2012年6月30日~7月2日 番外号その3
■ 鉛のような雲が低く垂れ込め、雨が断続的に降る若狭の海を見ながら思いは大飯原発ゲート前の仲間の状況だ。取るものもとりあえずUstream中継を見てみる。ドラムの音も意気軒昂、昨日からの抗議行動は間断なく続いていた。Qさんも元気に皆と腕を組んで抗議を続けていた。それを見て胸が熱くなる。朝食をさっと採り6時に迎えのバスに乗る。予定では大島(原発がある地)の漁村公園に向かい昨日のSさんたちと共にそこからわずか500mではあるが原発ゲートまでデモ行進だ。昨夜の映像から、少しでも早く仲間と合流したい気持ちで一杯であった。雨の中、集会を終えデモは始まった。皆さん元気にシュプレヒコールを挙げる。『再稼動反対!再稼動撤回!大飯を止めろ!』
東京組と現地支援の皆さん、約100名の声が若狭の空に広がっていく。急な上り坂を登ると仲間たちの大きな拍手で迎えられる。『よく頑張った!よく持ちこたえた!』とそれに応えて私たちも仲間の輪の中に入る。もう既に警察・機動隊が待機している。道路の両脇は乗用車で埋まっている。
簡単に集会を済ませ、各自のアピールが始まる。ここでも福島の森園さんの言葉が沁みる。無機質な表情の警備の者たちに心を寄せながらも強く福島の現状を訴えた。『ここに居る40代50代のお母様はいらっしゃいますか?私には子供が居ませんがここに居る若者たちを自分の子供のように思っています。私たちはもう帰らなくてはなりませんが、残ったお母様たちが自分の子供のように思って頂き最後まで守って下さい!』13時にバスは東京へ出発しなくてはならない。引きずるような思いが僕の胸を押し潰す。一旦、漁村公園に戻り暫しの休憩時間。そこで誰ともなくある思いを持ち始めた。
■ このまま帰って良いのだろうか?誰しも思いは同じだ。渕上さん、江田さんそして柳田さん他幹部たちの相談が行われ、事情の許す限りの者が残ることになった。僕も残りたいが・・・。
バスの出発まで各自検討することになり、それまでの間、自由時間となったのだが、『もう一度デモをしよう!』その声で僕と女性一人を残し皆は朝の道程を行進して行く。また声が大飯の森に包まれていく。皆さん食事もせずに行ったため女性と食料を求めて海岸線を歩く。歩いても歩いても何もない。一人だけある店で食事をした方が居たのだが、『福田さん、原発反対抗議に対する批判をしていた。多分売ってはくれないのでは。バッチなど外して行ったほうが良いよ』と僕の帽子を預かってくれたのだ。そうかそんなにも根強く推進の思いあるのか。2Km位行くと「シーマイル」という施設があったのだが、そこには機動隊のバスが12台も待機していた。富山県警、愛知県警と県外からの出動だが、恐らく経験のないと思われる福井県警ではなく他県の警察が来たのは、何か不測の事態になった時に地元に非難が及ばないようにとの配慮かもしれない。結局、その店には寄らず帰ることにした。
■ 雨が止み日の差した若狭湾はそのリアス式の地勢から何度も言うが「美しい」の一語だ。海はエメラルドグリーンに輝き、灰褐色の砂浜とのコントラスト。島影が濃淡をなす掛け替えの無い景色。地元の方はそれが放射能に塗れる世界を想像することは無いのであろうか。歩き始める前、海岸線沿いにあった民宿の側で話した老人の言葉が蘇る。『大飯の原発は福島のとは違って安全だ。建設されてから一度も事故を起こしていない。岩盤も固いし安全だと何度も確認している。』ああっ!ここでも安全神話。311までは僕だって同じ思いだった。しかしこの老人も最後には『何かがあったら全ての情報を開示して欲しい。それによって逃げるかどうかを決める。』と言う。やはり不安はあるのだ。しかし地元経済にとって無くてはならないものとなっているその原発がいつ牙を剥くのか決してその不安を拭い去ることは出来ない思いでいるのだ。原発、北陸高速道そして北陸新幹線。その経済性に魂を売ってしまったと言うのは都会に住む者の驕りだろう。昨日話してくれた若者の『今は原発を辞めて金にならない仕事についている』この言葉が全てを象徴しているのだろうが、それにはっきりと言葉を掛けられない自分が情けなくもあった。
■ 程なくしてデモに行った皆さんが帰ってきた。いよいよ決断の時間。結局、僕を含めて9名の方が残ることになった。東京へ帰る皆さんの篤い志も頂き、その応援の言葉を胸に抱いて決意も新たに江田さん、柳田さんを筆頭にして現地支援のSさんたちとゲート前の仲間のもとに合流した。皆の強い気持ちと気合とに相まって、僕はといえば何だか出征兵士の心境だ。しかし皆昼ごはんを食べていない。偶然、車で帰路につこうとしていたお子さん連れの一人の女性が僕を監視テント村近くのスーパーまで載せて下さることになった。志を使って僅かばかりではあったが食料を買うことが出来、皆さんと食べたのだが、何と皆さんはゲートにあった沢山の差し入れを頂いていた。差し入れだけを置いて帰る方も多いのだという。先ほどの女性のように残念ながら帰路に着く方が食べ物を置いていくようだ。その食べ物にも魂が宿っているようで、焼きたての自家製ピザの差し入れもあったりした。
人心地ついてゲート内でドラムを叩き乱舞しながら『再稼動反対!』を叫ぶ若者たちと一緒になって僕も声を挙げた。彼らは昨日のゲート占拠から誰かが必ず音を出し続けている。そのパワーと意識の高さに敬服するだけだ。僕だけではない。江田さんも柳田さんも老若男女交えて皆が声を枯らしている。その声を相も変わらず無表情な警察官たちは聞くともなしに聞いている。直接声を掛けても視線を逸らし決して表情を崩さない。まるで能面のような顔の中には蒼白となった若い警官も居た。
警官だってこれから起こるであろう事態に緊張を隠せないでいる。その光景は警官隊と対峙したあちらこちらでみられた。緊張感は否が上でも高まっていた。その中、我々は道路側の先頭に座り込んだ。江田さんたちもロープを張った最前列に座り込んでいた。福島の女性たちに託された横断幕と共に。皆、声を合わせて反対を訴えている。『再稼動反対!再稼動撤回!大飯を止めろ!』
■ 午後5時になり福井県警の指揮車が我々に近づいてきた。どうやら何回か警告をした後、排除に至るようだ。一人の女性が服を脱ぎ、水着姿になって警官隊と対峙する。僕もその横に立ちごぼう抜きをされる瞬間を待った。緊張する。40年ぶりだ。後悔はないか、成すべきことをしているか。自問自答する。するとそこへ男性たちが神輿を担いでやってくる。その女性を載せて皆の気合を入れる。神輿が特徴のあるものだったので微かに笑いが起こった。その間も警察の警告は続く。最後は女性と二人で大の字になって地面に横になった。『さぁ、来るなら来い!』絶対再稼動を阻止してやる!眼鏡を取りバッグに入れた。5時半、いよいよごぼう抜きが始まった。富山県警の機動隊員が4名位だろうか僕を担ぎ上げた。ふわ~っと持ち上げられる。無理に力を入れずに身を任す。最後に地上に置かれる寸前、頭から落とされてしまう。恐怖で思わず足をバタつかせ身悶える。頭が痛い。落とした富山県警の警官も慌てている。しかし排除は続いていくのだった。 (福田良典)