それを口にするか

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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もう四十年以上も前のことなのに、昨日のことのように思い出すことがある。いいかげん忘れてしまいたいのに、あたまの隅に抜ききれないシミのように残っている。今でも似たようなことがくり返されているのかと思うと、いい歳して新しいシミもイヤだし、お付き合いする気にはなれない。

七二年に入社して三年で子会社に左遷されて、六年目には日本に置いておくと煩いからとニューヨークにある孫会社に飛ばされた。ある日突然辞令をもらって、一週間で取る物も取り敢えずに赴任した。ろくに機械に触ったこともなかったのが、旋盤やマシニングセンターの据え付けと修理で走りまわった。英語もYes、Noに毛の生えた程度、右も左も分からないアメリカでチャレンジというよりトラブルの毎日だった。

オイルショック後の国内市場の行き詰まりから、日本の工作機械メーカは海外に成長の場を求めざるをえなくなっていた。アジアの経済発展が途につくのは十年以上後のことで、ヨーロッパは各国に分かれていて、どれも小粒で手間暇かかる。そこにいくと、アメリカは巨大な単一市場で限られた予算と人員で参入しやすい。七十年代中ごろから日本の工作機械メーカがどっとアメリカに押しよせた。日本メーカ同士の熾烈な競争のあおりを受けて、世界の名門といわれていたアメリカの工作機械メーカが弾き飛ばされて、あっというまに消えていった。

それは工作機械に限ったことではない。テレビを始めとする家電製品からカメラにしても乗用車も、ほとんどすべての一般耐久消費財市場が日本メーカに席巻されていった。アメリカは、大量生産を基盤とした製造業が傷んだところに二度のオイルショックで倒産と事業再編で失業率も高かった。
どれほどアメリカが傷んでいたか、街を走っている車をみれば分かる。当時ニューヨークでもどこでも、日本では信じられないポンコツ――例えばバンパーが付いていないとか、ドアが落ちないようにボルトで固定してあるとか――が走っていた。前を走っている車のマフラーが地面をこすって火花が散っていてヤバイと思ったときには、外れて転がってくるなんてこともあった。

販売は代理店にまかせているからいいようなものの、機械を据え付けて、サンプルを加工して検収を上げて来るサービスマンの手が足りない。客の多くが地場の零細賃加工屋で設備に余裕がないから、故障でもしようものなら、即の対応が求められる。駐在員を増員したいがどうにもならなかった。失業率が高いことから現地法人の経営に携わる人や特殊な技能をもっていてアメリカ人では置き換えられない職種でもなければ、就労可能なビザが下りなかった。

アメリカのビジネスなんだからアメリカ人を雇えばと考える日本の経営者はほとんどいなかった。日本語ですら体系だった社員教育がないところで日本語を解さない従業員を雇っても、戦力に仕立て上げる術がない。英文の資料といえば、拙い英文カタログに、日本語でも何が書いてあるのは分からないマニュアルを字面で訳したのがいくつかあるだけだった。

限られた人数でなんとかやりくりしていたが、とうに限界を超えていて、いつまでも続けてはいられない。そこで日本の工場から三ヵ月期限付きの出張という形で応援者を出すことになった。海外がまだ遠い時代で英語も分からないのがきたところで、日常生活もままならない。それでも機械を前にすれば、やるとことは日本にいたときと何が変わるわけでもない。代理店や客に世話になりながら貴重な戦力として活躍してもらっていた。
ところが、やっと生活にも慣れてきたころには帰国で、また一から手間のかかる人たちがやってくる。常時四、五人はくだらない人たちの日常生活のお世話からお土産、昼夜のマンハッタン探索の案内役まで仰せつかった。家族持ちは週末は家族サービスであけられない。ニューヨーク支社でただ一人の独り者にすべてがまわってきた。

そんなところに一期二期上だけならまだしも同期の大卒までが海外体験なのか、研修という名目で(遊び?に)きた。
一ドル二百五十円以上、まだまだ海外が遠い時代に奥さんまで連れて、会社が用意したアパートに三ヵ月。大した給料もらってるわけでもなし、自費で奥さんもとは考えられない。将来会社を担っていくことを期待されてのことにしても、駐在員も応援者も目のまわる忙しさでバタバタしているなかで、平然と新聞や雑誌を読んでいた。

機械の据え付けや修理に走り回っている駐在員の多くは工業高校卒の人たちで、だんだん高専卒が多くなっていた。戦前からの名門企業ということなのだろうが、学卒は国公立と私立はほぼ早慶に限られていた。大学をでていれば十年かそこらで係長になれる。高専卒では、よほど抜きん出た優秀な人でも、十五年経って稀に係長になれるかどうかという人事政策だった。

ベテラン駐在員も帰任して何年もしないうちに、研修にきたエリートを上司として仰がなければならない立場になる可能性がある。腫物に触るようとまでいかないにしても、エリートの心証を悪くはしたくないという気持ちがどこかにある。一方、エリートの方にもアメリカでは駐在員の世話にならなければならないという引け目がある。年齢も上、職務経験も豊富な先輩駐在員に対しては、一応の礼儀をわきまえた話し方をしていた。

エリート連中、先輩駐在員に気を使っていたのがストレスになったのだろう、新米駐在員で使い走りのような立場で年も下、たまったストレスのはけ口にされた。
同期の学卒には閉口した。人の車を面白がって運転して、縁石に乗り上げては大笑いして、アクセルを思いきり踏んでは後輪がスリップして前にいかないのを愉しんでいた。

ある日、夕飯にお連れしたとき平然と言われた。アルコールは入っていたが、酔っちゃいない。二人だけだから気にすることもないと思ってのことだろう。

「駐在にでると、一人で機械から電気までやらなきゃならないから、いい勉強になるだろう、おい、藤澤」
「いやー、どっちか一つでも大変なのに、両方いっぺんにってのも大変で……」
「お前、工場にいたことないから、機械に触ったことなかったんじゃないか」
そういうあんたもろくに触ったことないだろうし、今も、これからも手を汚すことも切るもともないんじゃないか。ああだのこうだのと講釈垂れて、人の評価をしていればとしか考えちゃないだろう。そうは思ってもこんなところでケンカしてもはじまらない。

「そうなんですよね。こっちにきて初めてですから。何から何まで初めてのことばかりで」
「いいいじゃねぇか。初めてのことってのは」
「でもな、初めてのことばっかりやってると、便利屋にはなれても技術屋にゃなれねぇ」
余計なお世話だ、バカやろう。人を管理することしか頭にないヤツには言われたくない。
「まあ、しょうがないじゃないですか。あれもこれも初めて、あれもこれもそこそこ分かるって……」
十三ミリのスパナじゃあるまいし、ある特定のときだけ必要にされる能力にどれほどの意味があるのか、考えたことあるんかと思いながら聞き流そうとした。

注)
十三ミリのスパナは旧JIS規格。新JIS規格では十二ミリの次は十四ミリ。十三ミリのスパナは、古い機械を修理するときに、ないと困ることがある。ことがあるだけで、なければないで、アジャスタブルレンチ(通称モンキーレンチ)を使えばいいだけでしかない。いざとなれば、ちょっと手間だが、十二ミリを削って十三ミリに広げればすむ。特定の狭い技術分野に特化すると、その技術が新しい技術で置き換えられたとき、技術と一緒にいらない人材になってしまう。和文タイプライターやアナログテレビは、そのいい例だろう。

「まあ、お前の立場じゃ、それしかないからな」
「オレは先々会社を背負って立たなきゃならないから、専門の技術に集中しなきゃならねぇ」
朽ちた名門と言われていた会社、業界ではとっくに実用化されている技術を慌てて取り入れようとしていた。そんなところで、なにを偉そうに集中だ。周回遅れの専門が笑わせるなと思っていた。

「だから、こうして出張には来ても、駐在には出ねえっ」
「駐在なんかにでたら、技術が遅れちゃうじゃねぇか」
黙って聞いてりゃ、いい気になりやがって、この周回遅れが、業界の笑い話にされるだけじゃないか? オレだからいいようなものの、他所で言うんじゃないぞ、と呆れて聞いていた。飯から足まで、なにからなにまで世話になっておいて、その言い草はないだろう。このまま、ほっぽらかして、一人で帰っちゃろうかと思った。

「駐在にでると、専門分野で遅れちゃうから、出張まで……」は、多少言い方に違いはあったが、少なくとも遊びに来たもう一人のエリートと課長一人から聞いた。会社があの人たちにはそう言っていたのだろう。

一生、あの人たちの使い走りで終わるのか? いつまでもこんなことしちゃいらんない、と三十を前にして真剣に転職を考えだした。
それにしても、いつ思い出しても腹が立つ。

勤続十年、八二年の八月きれいさっぱり足を洗った。その後エリート連中が何をどうしたのかは知らない。ただ二十年かそこらで倒産したってのはどういうことなんだって、首根っこ掴まえて訊いてみたいという気持ちはなくならない。倒産したときの役員のうち三名は同期の修士一人に学卒二人で、学卒の一人が遊びに来たエリートだった。
あのまま沈んでいく船にのって下働きを二十年もしていた可能性があったことを思うと、ぞっとする。抜けないシミですんでよかった。
2021/1/18
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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