たんぽぽ舎から  TMM:No2389

たんぽぽ舎です。【TMM:No2389】
2015年1月24日(土)地震と原発事故情報-5つの情報をお知らせします
                       転送歓迎
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★1.東電福島原発事故で配管の下敷きになって死んだO君のこと
   私の塾の教え子―配管は津波に襲われた     ☆連載1
        木幡(コワタ)ますみ(原発避難民・仮設住宅に住む)
★2.韓国で反原発運動をされている方々も-頼もしい限りだ。
   2015年1月23日(第134回)金曜官邸前抗議行動に参加して
             斎藤なぎさ(たんぽぽ舎ボランティア)
★3. 阪神大震災から20年 時刻の偶然に「神の存在」
      「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその85
                        島村英紀(地震学者)
★4.新聞より3つ
 ◆世界の未来なくなる 【金曜日の声 官邸前】  (1月24日東京新聞より)
 ◆溶けた核燃料の位置を「透視」  素粒子観測し調査へ
         (1月24日朝日新聞見だし)
 ◆発送電分離法案  延期規定が必要
  電事連会長が認識             (1月24日朝日新聞見だし)
★5.テント日誌1月22日(木)経産省前テントひろば1230日商業用原発停止493日
    反対運動も色々なやり方があって興味深いですね。
  もっとメディアが取り上げてくれれば良いのにと思う。    (I・K)
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※1/26(月)討論集会へご参加を
  テントが危ない!テントを守ろう応援連帯集会  
   上映:テント1000日 おてんとさまがみている
   原発現地やテント応援の方等、大勢の方からの発言予定 
   日 時:1月26日(月)19:00-21:30  (18:30開場)
  会  場:スペースたんぽぽ(ダイナミックビル4F)
   参加費:800円
  主  催:たんぽぽ舎 
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┗■1.東電福島原発事故で配管の下敷きになって死んだO君のこと
 |  私の塾の教え子―配管は津波に襲われた   
 |                        連載1
 └────  木幡(コワタ)ますみ(原発避難民・仮設住宅に住む)
 
◇2011年3月11日、未曾有の大震災、そして原発事故。私はその時原発のある大熊町にいました。私にとって決して忘れたくない、忘れられない一つの事実がありました。
 揺れが収まったかなと思い、状況を把握しようと町の中心街に向かいました。私の自宅から原発まで約7キロ離れていて、町の中心街から原発までは約5キロ離れていました。
 私達が双葉病院近くのコンビニエンスの前で車を止めた時、大勢の作業服を着た人達が原発から逃げて来たのか、黒い人だかりとなってコンビニエンスに入って来て、食べ物やら何やら持って嵐のように去って行ってしまった。
◇私達は大熊町で塾を経営していましたが、その時通って来ていた子供、もう大人でしたが、多くの原発から逃げて来た集団の中に彼がいて、「先生、原発はもう駄目だよ。配管から何から皆壊れて、もう大熊町は駄目だよ。終わりだよ。津波が来るから俺たち逃げて来たんだけど、Oが配管の下敷きになって、俺助けられなくて,置いて逃げて来てしまった。先生御免。」と体を震わせながら、「先生も早く逃げなよ。ここはもう駄目だよ。」と言って走り去っていきました。
◇Oは原発の仕事に入ったばかりでした。数か月前まではスーパーで働いていて、辞める時私に、「僕原発で働くことになったんです。」と嬉しそうに言ってました。私とかスーパーで働いていた人達は、原発はやめた方が良いよと、言っていましたが、彼にとって原発で働くことは唯一の誇れる事で、ご両親もそう思っていたのかもしれません。彼は小学校の時からずっといじめられて来ていました。しかし、塾は1度も休んだ事は無く、とても笑顔の可愛い、優しい子でした。
◇Oはその後半年たって、死体が他の県の海岸に打ち上げられ(注:配管が津波に襲われてOの身体が海に持っていかれた)検査をして、Oと分かったのですが、やっとご両親のもとに帰されたのですね。自民党の女性国会議員の有名な言葉で、「福島の原発事故での死者はいなかった。」とありましたが、わかりもしないでよくも簡単に、軽率な、浅はかな、人を人とも思わない冷酷な人です。
 安心安全をうたっていた原発は、結局地震で壊れて、津波が来る前に駄目になり、それによって人の命を奪い去ってしまいました。
 私はOの事は忘れない。決して忘れない。

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┗■2.韓国で反原発運動をされている方々も-頼もしい限りだ。
 |  2015年1月23日(第134回)金曜官邸前抗議行動に参加して
 └──── 斎藤なぎさ(たんぽぽ舎ボランティア)

 風が強く凍てつくような寒さの中、大勢の参加者が怒りの声をあげている。始まって30分もたたないころ官邸前を離れ財務省上に向かって歩くと、二つ目の地下鉄口までしか人の列ができていない。財務省上では太鼓をリズミカルにたたく音色に合わせて元気なコールが響く。横断歩道を渡り国会議事堂エリアに向かう途中に原発の絵を長い板に描いた青年がいる。彼は2012年のころは官邸前で絵を掲げていて、よく警察官が「コーンより前に絵を出すな」と文句をつけていたものだ。国会議事堂エリアは、先週から工事のためと称して狭い歩道に場所を移させられている。そのため横断歩道を渡ったところにいた人たちもこちら側に場所を移しているので、希望のエリアが分断されてしまった感じになる。一周して財務省上に戻ると、ハングル文字の横断幕を掲げた一団がいて写真を撮るなどひときわにぎやかになっていた。なんでも韓国から昨日7人で来られ、今日はこちらにいる韓国人と合流して参加されたとのこと。韓国で反原発運動をされている方々である。頼もしい限りだ。
 官邸前を離れている間に、今回のイスラム国での日本人拉致と安倍総理の責任と原発とのかかわりをスピーチした人がいたとのこと。命が危険にさらされ、いとも簡単に見捨てられるのは原発ひとつ見ても安倍政権の本質がわかるはずだ。最後は「安倍(総理)がテロだ」とのコールで締めくくられた。

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┗■3. 阪神大震災から20年 時刻の偶然に「神の存在」
 |     「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその85
 └────   島村英紀(地震学者)
 
※『夕刊フジ』公式ホームページでの題は「阪神大震災から20年 発生時刻が分ける生と死」
 
 1月17日、阪神淡路大震災から20年になる。マグニチュード(M)7.3。6,400人以上の人がなくなった直下型の大地震だった。
 中京地区で約5,000人が死亡した1959年の伊勢湾台風から約40年。巨大な自然災害の恐ろしさを日本人が忘れかけていたときに襲ってきた大災害だった。
 神戸市を見おろす高台にある神戸大学の構内には、この地震で犠牲になった同大学の学生の慰霊碑が建っている。工学部の小林陸一郎非常勤講師が作ったものだ、
 そこには39名の名前が刻まれている。なかには外国人留学生の名前もある。
 この39名の学生のうち37名は下宿がつぶれて死んだ。自宅から通っていた学生に比べて、下宿生のほうがはるかに死者が多かったのだ。
 神戸大学が他の大学と比べて特別に下宿生の割合が高いわけではない。理由は、この下宿生たちは古い木造建築、つまり自宅生たちよりも弱い建物に暮らしていたことだったのである。
 地震が起きたのは午前5時46分。まだ暗い冬の明け方だった。学生たちは深い眠りについていたに違いない。
 じつはこの地震では高台で地盤がいいところに建つ神戸大学の建物はひとつも倒壊しなかった。もしこの地震が昼間に起きていたら、これらの学生たちは死ななくてすんだだろう。
 他方、「地震が起きた時間」に救われたものもあった。
 新幹線だ。地震が起きた時間は山陽新幹線が走り出すわずか14分前だった。この地震では新幹線のレールを載せている鉄道橋がいくつか落ちた。つまり、もし新幹線が走っている時間だったら、多数の犠牲者を生む事故になっていた可能性が高い。
 この連載で前に書いたように、2004年の新潟県中越地震(M6.8)では新幹線が高速で通りぬけた直後に地震が起きて、上越新幹線の魚沼トンネルの中がめちゃめちゃになった。地震が起きたのは17時56分だった。こちらも間一髪だった。両方とも、たまたま運が良かったとしか言いようがない。
 作家の野坂昭如は次の文章を残している。それには「戦前の大水害や第二次世界大戦での空襲の大被害からの戦後の復興がめざましかったばかりではなく、その後の市街地開発や山を削って海を埋め立てる国土改造の先兵だった神戸を兵庫県南部地震が襲ったこと、しかも季節が冬で、新幹線が通る寸前の明け方だったことに神の存在を確信する」と書いてある。
 地震が一日のうちのいつ起きるかについては、いろいろ学問的な研究が行われたが、結論としては、いつ起きても不思議ではないとことがわかっている。
 つまり、地震が起きる時刻の偶然によって被害のありさまが左右されてしまうのが地震の恐ろしいところなのである。                  (1月16日『夕刊フジ』より)

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┗■4.新聞より3つ
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◆世界の未来なくなる   【金曜日の声 官邸前】

 東京都江戸川区の会社員 福田政夫さん(71) 絶対に原発を止めないといけない。このままでは日本だけでなく世界の未来がなくなる。原発事故からもうすぐ4年だが、何年たっても忘れてはいけない。原発をやめるまで、官邸に通い続けるつもりだ。
 埼玉県所沢市の主婦 松田光江さん(62) 自分一人が来てもどうなるものでもないと思うが、これまであいまいな態度をとってきたことが、原発を増やすことにつながったと反省している。最後は一人一人の声しかない。少なくとも自分は反対の意思を示したい。
                   (1月24日東京新聞より)

◆溶けた核燃料の位置を「透視」  素粒子観測し調査へ
         (1月24日朝日新聞見だし)

◆発送電分離法案  延期規定が必要
  電事連会長が認識  
                 (1月24日朝日新聞見だし)

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┗■5.テント日誌1月22日(木)経産省前テントひろば1230日商業用原発停止493日
 |   反対運動も色々なやり方があって興味深いですね。
 | もっとメディアが取り上げてくれれば良いのにと思う。
 └──── (I・K)

 雨に降り込められテントで過ごす
 今日は朝から雨でテントに籠らざるを得なかった。
私が着いたら泊まりあけの二人とKさんが居てKさんは受付の周辺の片づけをしていた。
 暫らくして毎週水曜日「脱原発・中野サンモール・オキュパイ」をされているという方が寄って下さった。彼は12年の5月から夜10時から12時ごろまで1人か2人でこの行動をしているそうです。
 「原発綱引き」と称してスタンプを押しての意思表示“賛成”“反対”“どちらとも言えない”を聞いたりしているそうです。ずっと原発反対が勝っていますが、14年7月-12月は82対1でやはり反対の勝ちだった。
 その他にも原発に関係した意見を書く「原発掲示板」などもあるとか、一寸行って見たいけれど、遅い時間なので私には無理。そんな時間でも結構人通りがある様です。
 彼と話していると八王子で金八デモをやっているというKさんも来て甲府の面白いアピールの話も聞いた。
 反対運動も色々なやり方があって興味深いですね。
 もっとメディアが取り上げてくれれば良いのにと思う。

 1時前、刷り上った「テントニュース42号」をOさんが届けて下さった。Kさんが明日のために2月7日のチラシと組み合わせる作業を始めたのでみんなで手伝う。
 私と第2テントのTさんで今夜の「お話と座談」のための場所整理をした。
たくさん参加してくれれば良いけれど、と思いながらテントを後にした。
                              (後略)

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