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┗■1.特集:経産省前テントひろばを守る好論文-内藤光博論文紹介
| 「経産省前テントひろば」は憲法21条1項の「集会の自由」の保障を受けるものである
| テントひろば」の正当性を憲法学的理論付けしたという点で画期的な論文だ
└──── 山田和明(たんぽぽ舎会員)
○2月20日にテント裁判弁護団が裁判所に提出した、いわゆる「経産省前テントひろば」に関する憲法学的意見書 ―表現の自由と「エンキャンプメントの自由」― 内藤光博(専修大学法学部教授・憲法学) は「経産省前テントひろば」の正当性を憲法学的理論付けしたという点で画期的だ。
「経産省前テントひろば」は憲法21条1項の「集会の自由」の保障を受けるものであることを明確にした。以下具体的にその主な論点を記す。
第1に、集会とは「多人数が政治や経済、芸術、宗教などの問題に関する共通の目的を持って一定の場所に集まること」をいう。
一定の場所とは公園、ひろば、道路、公開空間及び公会堂など屋内の公共施設を含む。
第2に、「集会の自由」とは「多人数が共通の目的をもって集合する自由」をさすのではなく、「集団としての意思形成やその意を実現するため、集団としての行動をとることが、その自由の内容となっている」といえる。
「集会の自由」が保障されるためには施設の管理者である公権力はこれを妨げてはならない。
第3に、「集会の自由」の意義として巨大な資金力を持つマスメディアによる言論市場の支配的独占状態により阻害されている「一般市民」の意見表明権の保障という点にある。
もう一つの意義としては現代の議会政治における少数派の意見表明権の保障にある。
○以上のように「経産省前テントひろば」を民主主義の基本的な表明権の保障として、位置付ける氏の論点は実に明解であり、私たちの主張を見事に代弁している。
そして「経産省前テントひろば」は「テントを設営し、泊り込む」(英語で「エンキャンプメント」という)そして集会を行なうことは「実現行為」として、マスメディアに対抗する効果的方法であるという。
さらに「ひろば」を持続的、平和的に占拠し、複数の人間による討議空間として確保することは思想的、政策的な表現の自由、事実上の「請願権」を直接に行使することになるとも。
また、3,11原発事故は「人間に値する生存」の基盤を奪い去るものであり、「経産省前テントひろば」は「やむにやまれぬ意思表示・請願行動の」一環であるという。
それは憲法で保障された人格権、「個人の尊重(尊厳)」に直接関わる問題であると。
○「経産省前テントひろば」のテント設営地は経産省の敷地(国有財産)ではあるが、敷地を区切る柵外にある半円形をした形状の空間である。一般市民の利便のための「公開空地」と評価できる。経産省も「ポケットパーク」と呼んでいた。
つまり、「一般市民が自由に出入り出来る場所」として、憲法が保障している自由な言論活動を行いうる空地であると考えられる。
○その「公開空地」、経産省にとって何ら逸失利益のない空間にテントが設置されたとして、土地の明け渡し、高額な損害賠償を請求するのは、市民の言論活動に対する弾圧である。
言論を封じ込めるいわゆる「スラップ訴訟」(大企業や政府機関が一般市民など弱いものに対して威嚇し、行動を萎縮させる裁判)に他ならない。
○以上のように意見書は過去の判決例を踏まえながら「テントひろば」に対する私たちの気持ちを憲法学的にあますところなく立証してみせた。
この意見書を私たちは100万の力強い味方にし、自信を持って「経産省前テントひろば」を守り、闘いましょう。
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★【編集部】やや長い文章ですが、テント裁判が2月26日(木)のため、緊急重大事なので、全文掲載します。お急ぎの方は最後の「結論」の部分からお読み下さい。
なお、メールのため(注)は抜いてあります。アラビア数字等の文字は変更してあります。
-ここから本文-
いわゆる「経産省前テントひろば」に関する憲法学的意見書
-表現の自由と「エンキャンプメントの自由」-
2015年2月19日
東京地方裁判所民事第37部 御中
内藤光博
(専修大学法学部教授・憲法学)
1.序 論
東日本大震災・福島原発事故発生から半年後の2011年9月11日、経済産業省(以下、「経産省」とする)の北側角の敷地内に、実際に福島原発事故で避難を余儀なくされた被災者、いまだに原発事故による放射能汚染に晒されている福島の人々、さらには原発再稼働に反対する一般市民ら(以下、「市民団体」とする)が、政府に対する反原発・脱原発の意思表示と脱原発への政策転換の請願を目的として、テントを設営し、表現・集会活動を開始した(以下、当該テント設営および居住地を「テントひろば」とする)。
これに対し経産省側は、2013年3月29日に、テントの撤去と「テントひろば」の明渡しを求める訴えを東京地裁に起こした。同年4月25日には、経産省の敷地を不法に占拠し経産省の所有権を侵害したとして、これまでの土地使用料として約1140万円と、敷地明渡しまで一日あたり約2万2000円の土地使用料の支払いを追加請求した。
他方、市民団体側は、「経産省前テントは、2011年3月11日の福島原発事故を受けて、原発政策を推進した経産省と霞が関に対する闘いの砦として建てられたものであり、それは脱・反原発運動の一つ象徴として、今日では絶対に必要なものとなっている」「国が原発推進の政策を変えるまで、テントをたたむつもりはない」「飽くまで原発政策の是非を問う、大衆的・市民的な運動として、ねばり強く、幅広く闘っていく」としている。
本意見書では、「テントひろば」における市民団体による「テントで設営および居住(エンキャンプメント )」とそこでの意見表明・請願活動を、一時的に公開の空間(パブリック・フォーラム)を利用した「集会活動」の一類型と見た上で、憲法21条1項の「集会の自由」の保障を受けるものであるのか否か、また「集会の自由」による保障を受けるとした場合、経産省による本件提訴は、市民団体の「集会の自由」を違法に制約するものであるのか否かについて、憲法学的視点から検討した。
2.「集会の自由」および「エンキャンプメント(テント設営および居住)の自由」
1.「集会の自由」の意義と内容
憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定し、「集会の自由」を表現の自由の一形態として保障している。
第1に、集会とは、「多数人が政治・経済・学問・芸術・宗教などの問題に関する共通の目的をもって一定の場所に集まること 」をいう。集会を行うためには、一定の空間(場所)を必要とするが、それは公園、広場、公開空地など屋外の公共施設から公会堂など屋内の公共施設を含む。また集団示威運動が「動く公共集会 」とされ、集会の自由に含まれると解されていることから、道路もその本来の利用目的の一つとして集会および意見表明のための施設として位置づけることができる。
第2に、表現の自由の一形態としての「集会の自由」とは、単に「多数人が共通の目的をもって集合する自由」のことをさすのではなく、「集団としての意思形成やその意思を実現するため集団としての行動をとることがその自由の内容となっている 」といえる。したがって、「集会の自由」で保障されるべき内容をより厳密にいうと、「目的、時間、方法のいかんをとわず、集会の開催、集会への参加、集会における集団の意思形成とその表明、さらにはそれへの実現行為などを公権力が妨げてはならない」こと、つまり「公共施設の管理者たる公権力に対し、集会をもとうとする者は、公共施設の利用を要求できる権利を有する」ものとされている 。
言い換えれば、「集会の自由」が保障されるためには、集会の開催・参加・意見形成と表明に対する公権力による規制はもとより、集会の「実現行為」をも公権力により妨げられてはならないものとされているのである。
第3に、こうした目的を持つ「集会の自由」の意義としては、以下の点が重要であることが指摘されている 。
まず挙げられるのは、巨大な資金力を持つマス・メディアによる言論市場の支配的独占状態により阻害されている「一般市民」の意見表明権の保障という点ある。こうしたもっぱら情報の「送り手」であるマス・メディアの言論市場の支配状況もとで、もっぱら情報の「受け手」に置かれ、資金力をもたず有効な意見表明手段を持たない一般市民が、とりわけ政治・経済・社会問題について、自らの意見を国家や市民社会に向けて表明し、異議申立てを行う方法として、「集会の自由」や「集団行動(デモ行進など集団示威運動)の自由」の保障が位置づけられる。
もう一つの意義としては、現代の議会政治における少数派の意見表明権の保障という点ある。現代の政治民主のもとにあっては、政治的少数者は、国の政策決定に参加する機会がしばしば閉ざされがちである。彼らにとっては、集会(あるいは結社)という集団を形成し、意見形成を行い、連帯して政府(公権力)に対して批判や自らの意見表明を行わざるをえないことになる。「政府や社会の支配体制に対する少数派による批判を保障することは、民主制の維持・発展のための基本要請であり、また少数派個人の権利や利益を保障するという人権の基本原理から生ずる要請でもある」といえる。
第4に、「集会の自由」は、「多数者が集合する場所を前提とする表現活動であり、行動をともなうこともあるので、他者との利益と矛盾・衝突する可能性が高いので、それを調節するためには必要最小限の規制を受けることもやむを得ない 」といえる。
2.「集会の自由の実現行為」としての「エンキャンプメント(テント設営および居住)の自由」
前述のように、「集会の自由」の目的が「集団としての意思形成」と「その意思を実現するため集団としての行動をとること」にあり、「目的、時間、方法のいかんをとわず、集会の開催、集会への参加、集会における集団の意思形成とその表明、さらにはそれへの実現行為」を保障することを内容とする自由であるとすれば、集団の意思形成とその表明を行うための「実現行為」の保障が最も重要な要素となる。
その「実現行為」の保障には、政府が、集会を主催者たちに「すべての人々に開かれた集会の場」の提供の保障を前提とし、彼らの主張する多様な意見、政府に対する批判的見解や要求を最も効果的に政府や社会に対し表明できる方法や手段を保障する必要がある。その方法は、平和的な方法であることを前提として、集団行進や示威運動をはじめ、多種多様な形態が考えられる。
本件「テントひろば事件」における「テントの設営および居住」、すなわち「エンキャンプメント(encampment)」も、集会を行うための「実現行為」として効果的な方法と考えられる。すなわち、誰もがアクセスできる「公開の空間」に簡易テントをはり、そのテントを利用して寝泊まりしながら、自らの意見表明を常時行い、またテントを利用して定期的に集会を開くことにより、「恒常的・持続的な集会」を可能にし、さらには「公開の討議の場の創設」を導くことから、マス・メディアのように充分な資金力をもたない一般市民によるきわめて簡便かつ効果的なコミュニケーション活動と評価できる。
そしてこうした「テント設営および居住」は、「集会の自由の実現行為」の有効なる方法であるが故に、憲法21条1項が保障する「集会の自由」の一類型として、「エンキャンプメント(テント設営および居住)の自由」と命名されるべき表現権として保障されるべきである。
言い換えれば、「エンキャンプメントの自由」は、一般市民が、誤った政策を強行する政府に対して、その政策の修正変更を求めて、その意思を伝えるために緊急かつ一時的に居住する権利である。その具体的行使にあたっては、①長期・短期を問わずに持続的に、公共的な空間を平和的に占拠して居住すること、②複数の人間による討議空間を確保することによって、思想的、政策的な表現の自由を行使しつつ、事実上の請願権を直接的に行使することを、その特徴としている。
3.「人間に値する生存」の確保のための「やむにやまれぬ意思表示・請願行動」
2011年3月11日の東日本大震災とそれにともなう原発事故は、現在および将来にわたる甚大な被害をもたらした。
原発事故にともなう放射能汚染により、多くの市民は長期的に避難を余儀なくされ、故郷を離れて避難所暮らしを強いられている。これにより、避難民は、家や財産の喪失、失職、家族の離散、自治体や隣近所などのコミュニティの崩壊をもたらした。さらには、放射能汚染は、住民に、とりわけ子どもたちに現在から将来にわたる放射能被曝による健康被害をもたらす危険性をはらんでいる。すなわち、原発事故は、文字通り人々から「生存の基盤」を奪い去るものであり、「人間に値する生存」の基礎を大きく突き崩すものである。
このように考えると、「エンキャンプメント」による反原発・脱原発への政策転換の主張と政府への直接請願行為は、「人間に値する生存」を確保するための主権者国民による「やむにやまれぬ直接行動」であると理解される。
さらに、こうした「エンキャンプメント」による継続的な表現・請願活動が、原発政策の直接の推進者であった経産省前で行われることは、反原発・脱原発の意見表明と請願を行うあたり、政府および市民社会に大きなアピールを行うという効果を持つ象徴的表現行為ということができる。
このように本件の「エンキャンプメント活動」が、「人間に値する生存」を確保するための「やむにやまれぬ直接的表現・請願行動」であるという点を考慮した場合、憲法21条1項の保障する表現の自由の保障のより強い保障がなされるべきものと言わなければならない。なぜならば、基本的人権および権利の行使および人権侵害の被害回復は、それを強く主張して初めて実現するものであり、ましてや「人間に値する生存」の確保を求める意見表明と請願は、まさに人権保障の根幹にある「個人の尊重(尊厳)」に直接的に関わる問題であるからである。
3.「パブリック・フォーラム」としての経産省前「テントひろば」
1.アメリカにおける「パブリック・フォーラム」の法理
表現活動やその一類型である集会には、それを行うための手段(言論・出版・多種多様な表現手段、また集会や集団示威運動なども手段ではあるが)や物理的空間(場所)が必要となる。表現の自由が保障されるためには、それを行うための空間、すなわち誰もがアクセスすることのできる「公共空間」の利用が保障されなければならない。こうした言論のための「公共空間」を「パブリック・フォーラム(公共の言論広場)」とよぶ。
この「パブリック・フォーラム」の概念は、アメリカの判例の中で、集会や集団行進の自由とその場所的(空間的)限界を論じる際の法的概念として主張され、展開されてきた。アメリカで伝統的に「パブリック・フォーラム」とされてきたのは道路・歩道・公園などであり、「道路や公園を利用する権利」として主張されてきた。
そして、これまでのアメリカの判例論の「パブリック・フォーラム」法理の展開の中で、ある空間(場所)が「パブリック・フォーラム」と判断されると、その場所での表現活動は全面的に禁止することはできず、そこでの時・方法などの規制は合理的なものでなければならず、すべての表現者に平等にアクセスが保障されなければならないとされ、その場所における所有権や管理権よりも、その場所の本来の利用目的と両立されるべきか否かが問題とされるに至った 。
さらに、1983年のPerry Education Association v. Perry local Educator’s Association事件連邦最高裁判決では、「パブリック・フォーラム」を、(1)「伝統的パブリック・フォーラム」(道路・歩道・公園)、(2)「指定的パブリック・フォーラム」(公会堂・公立劇場)、(3)「非パブリック・フォーラム」の3類型に区分され、その区分に応じて問題の解決を図る判例理論が確立してきた 。
(1)の「伝統的パブリック・フォーラム」とは、「永きにわたる伝統ないし政府の命令により集会及び討論に捧げられてきた場所」をさし、「その主要な目的は思想の自由な交換であるので、言論主体がパブリック・フォーラムから排除されうるのは、その排除がやむにやまれぬ政府(州)の利益に仕えるのに必要であり、かつ、その排除がその利益を達成するために限定的になされている時のみである」とされる。
(2)の「指定的パブリック・フォーラム」とは、「政府がある場所やコミュニケーション手段を意図的にパブリック・フォーラムに指定した時は、言論主体は、やむにやまれぬ政府の利益なく排除されえない」とされる。
(3)の「非パブリック・フォーラム」とは、「伝統」や政府による「指定」のいずれによってもパブリック・コミュニケーションのためのフォーラムではない公的財産をいう。
この分類にしたがった場合の違憲審査基準としては、(1)の類型では、通常の表現の自由の規制に関する違憲判断基準が適用されるが、政府はこの類型のパブリック・フォーラムを表現・集会活動に対して閉ざすことが禁止される。(2)の類型については、政府は表現活動に開いておくこと、こうしたフォーラムを作ることについての憲法上の義務はなく、やめることもできるが、この類型のフォーラムが存在し続ける限り、表現の自由の法理が妥当する。(3)の類型については、政府に広い裁量が認められ、特定の見解に基づく差別でない限り、内容に基づく差別さえ認められるものというものである 。
しかしながら、こうした「パブリック・フォーラム」の3類型論には、アメリカの理論においても、日本の憲法学でも、要旨つぎのような批判が向けられている 。
第1に、この類型論によると「パブリック・フォーラム」と認められるのは、政府所有の財産のみであり、私有財産はパブリック・フォーラムから排除されてしまうことである。また(1)の類型に分類される「パブリック・フォーラム」の基準が「伝統」にあるとすると、新しい類型の表現の場(大規模な国際空港など)が除外されてしまうことである。
第2には、(2)の類型の「パブリック・フォーラム」について、「指定的パブリック・フォーラム」の内容や射程が政府の意図により確定してしまうので、救済を求めている表現者が排除されてしまう点である。
すなわち、こうした3類型による「パブリック・フォーラム」論は、ある場所を「パブリック・フォーラム」でないとすることにより、表現活動や集会の規制を正当化する理論として機能するおそれがあるのである。
このような批判があるものの、「パブリック・フォーラム」の法理においては、道路・歩道・公園など、明らかに「パブリック・フォーラム」にあたるとして、政府による規制を極力排除して、活発な言論空間を保障しようとしてする点で評価される。
2.日本における「パブリック・フォーラム論」と違憲審査
日本においても、この「パブリック・フォーラム」の法理は注目され、最高裁判例の中で論じられている。
私鉄の駅構内で鉄道係員に無断でビラ貼りおよび演説を行い駅管理者の退去命令を無視して駅構内に滞留した行為が鉄道営業法35条と刑法130条後段の不退去罪に問われたいわゆる「駅構内ビラ配布事件」最高裁判決 における伊藤正己裁判官の補足意見は、つぎのように述べられている。
「ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確保することが重要な意味をもつている。特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となってくる。この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといってもよい。一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを『パブリック・フォーラム』と呼ぶことができよう。このパブリック・フォーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。道路における集団行進についての道路交通法による規制について、警察署長は、集団行進が行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、また、条件を付することによってもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限って、許可を拒むことができるとされるのも(最高裁昭和五六年(あ)第五六一号同五七年一一月一六日第三小法廷判決・刑集三六巻一一号九〇八頁参照)、道路のもつパブリック・フォーラムたる性質を重視するものと考えられる。」
もとより、道路のような公共用物と、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所とはいえ、私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあっても、パブリック・フォーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と所有権、管理権とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。」
この伊藤補足意見における「パブリック・フォーラム」の法理では、アメリカにおける3類型論にはよらず、「伝統」や「公的・私的」の区別をすることなく、「パブリック・フォーラム」の概念をより広く捉え、「一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない」場所と定義し、道路、公園、広場などがこれにあたるとしている。そして、「パブリック・フォーラム」と認定された場所(空間)が、表現活動の場として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみて、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があるとしている。
つまり、伊藤補足意見は、表現・集会活動と管理権との利益較量を前提としつつ、当該空言論空間(表現・集会を行う場所)の「パブリック(公共・公開)性」に着目して、「パブリック・フォーラム」に当たる場合には、表現活動の空間的保障の領域を拡げることにより、民主政治の基礎をなす表現の自由および集会の自由の優越性に配慮した法理として一応の評価はできよう 。
3.「パブリック・フォーラム」としての経産省前「テントひろば」
それでは、本件テント設営および居住の場所(「テントひろば」)は、「パブリック・フォーラム」と評価できるのであろうか。ここでは、現時点ではほぼ妥当と思われる伊藤正己補足意見に即して考察してみたい。
本件におけるテント設営および居住の場所土地(明渡しの対象となっている経産省前の土地)は、経産省の北側の交差点角に位置し、経産省の敷地(すなわち、国有財産)ではあるが、敷地を区切る柵外にある半円形をした形状の空間である。面積は89、63平方メートルあり、霞ヶ関付近の建物の案内板が設置されている。経産省ビル前庭との間には柵を挟んでベンチ本石が置かれており、その目的は特定されていない。筆者の見る限り、一般市民の交通などの利便に供せられるべく提供された「公開空地」と評価される。
すなわち、「テントひろば」は、経産省が公開空地とすることによって、事実上のパブリック・フォーラムとしての機能を担っているといえる。本件「テントひろば」は、アメリカの判例理論に言うところの「伝統的パブリック・フォーラム」にあたり、「駅構内ビラ配布事件」最高裁判決野伊藤正己補足意見が指摘するところの「一般公衆が自由に出入りできる場所」であり、「表現のための場として役立つ」「テントひろば」は、パブリック・フォーラムとして、誰も自由にアクセスでき、憲法が保障している自由な言論活動を行いうる空地であると考えられる。
また、経産省はこの空地を何らかの公共目的をもって利用しているわけでもなく、市民団体側は平和のうちに表現活動を行っており、言論活動を行おうとする他者との競合もない。
したがって、経産省は、国有財産として管理権を有するものの、「パブリック・フォーラム」としての機能にかんがみ、表現の自由の保障に可能な限り配慮する必要があるといえる。
4.経産省による本件提訴の「スラップ訴訟」性
1.スラップ訴訟とは何か
近年、大企業や政府機関により、ジャーナリストや報道機関はもとより、一般市民、市民運動団体や労働組合などの私的な団体をターゲットとして、言論を封じ込めることを目的とする民事訴訟法が提起される事例が問題となっている。いわゆる「スラップ訴訟」である。
スラップ訴訟とは、1980年代に、アメリカでその問題性が指摘された訴訟の性質を表す言葉である。英語では”Strategic Lawsuit Against Public Participation(SLAPP)”という。直訳すると「公的参加を妨害することを狙った訴訟戦術」であり、具体的には「公に意見を表明したり、請願・陳情や提訴を起こしたり、政府・自治体の対応を求めて動いたりした人々を黙らせ、威圧し、苦痛を与えることを目的として起こされる報復的な民事訴訟」と理解される 。
スラップ訴訟の特徴 としては、大企業や政府機関が、(1)その正否や妥当性をめぐり論争のある重要な政治・社会問題や公共の利益にかかわる重要な問題について、(2)大企業や政府機関など財政・組織・人材などの点で優位に立つ側が原告となり、(3)憲法二一条一項で保障されている正当な意見表明行為(集会、デモ行進、ビラ配布、新聞や雑誌への寄稿、記事の執筆など)をおこなった個人や市民団体などを被告として、(4)プライバシー侵害、住居不法侵入、業務妨害などの民法上の不法行為に基づき、合法的に裁判所に提訴し、多額の損害賠償金を請求し、(5)その真の目的が、裁判を提起することにより、金銭的・精神的・肉体的負担を市民や団体など被告に負わせることにより、言論活動に萎縮的効果 を与え、言論弾圧を行うことにある点にある 、といえよう。
さらには付け加えるとするならば、いまだ訴えられていない潜在的な公的発言者も、企業や政府機関の提訴を見みて表現活動をためらうようになり、かつ市民や市民団体を提訴した時点で、彼らに苦痛を与えるという目的は達成されることになるので、原告の企業や政府機関の側は、訴訟の勝敗にはこだわることはない、いわば裁判としての意味をもたない提訴であるといえる。
2.スラップ訴訟としての経産省による提訴
経産省による本件「テントひろば」立退き・損害賠償請求訴訟は、アメリカでいうスラップ訴訟であることは明らかである 。
第1に、土地明渡しの対象となっている経産省前の土地は、前述のように、公開空地として一般市民に提供された空間であり、その目的も特定されていない。経産省はその土地から何らの収益をあげているものでもなく、またテントが設置されたからといって公共の利便性を大きく損なうものでもない。つまり、経産省にとっては、逸失利益は何ないといえる。
第2に、経産省が公開空地とすることによって、「テントひろば」は、事実上の「パブリック・フォーラム」としての機能を担っているといえる。つまり、「テントひろば」は、「パブリック・フォーラム」として、憲法が保障している自由な言論活動に利用されているのであり、誰に対しても意見表明を行うために開かれている。テントが設置されているとはいえ、決して占有などとはいえない。
第3に、前述のように、原発政策を推進してきた経産省前で、原発に反対する意見表明を行うことは象徴的な言論行為といえる。すなわち、反原発・脱原発の主張を、原発政策を推進してきた経産省前で行うことは、最も効果的な社会的アピールを可能にする。
第4に、経産省は、土地明渡しの他に、高額な損害賠償を請求しているが、これこそまさに市民の言論活動に対する弾圧行為であるといえる。つまり、経産省は「テントひろば」から何らの収益や利益を得ているわけではないのであるから、損害となるべき権利侵害は生じていないにもかかわらず、多額の損害賠償を要求することにより、市民団体に言論活動を躊躇させる効果(萎縮的効果)を期待し、言論を封じ込めようとする意図を読み取ることができる。経産省の目的は、土地の明渡しでも損害賠償金を手に入れることでもなく、もっぱら脱原発・反原発に対する言論弾圧にあるといえよう。
したがって、この裁判は、政府により土地明渡しにかかわる民事裁判として提起されたものであるが、その本質は、政府による脱原発・反原発運動に対する言論弾圧事件であり、さらにはこうした言論弾圧を通じて、政府の原発事故についての責任を回避し、原発推進政策を維持・強行しようとする意図をもつスラップ訴訟であるといえる。
5.結 論
以上論じてきたところにより、以下のことが論証された。
第1に、「エンキャンプメント(テントの設営および居住)」は、憲法21条1項が保障する表現の自由の一類型としての「集会の自由」の実行行為であり、かつ本件「テントひろば」における「エンキャンプメント」による意見表明活動は、原発事故により長期的避難を余儀なくされている被災者や放射能汚染に苦しむ福島の人々、そして反原発・脱原発を主張する一般市民が「人間に値する生存」を維持しようとするための「やむにやまれぬ行為」であることから、とりわけ強く表現の自由の保障を受けることである。
第2に、経産省前「テントひろば」はいわゆる「パブリック・フォーラム」にあたり、経産省の管理権よりも市民団体側の「集会の自由」の保障が優位されるべきことである。
第3に、経産省による市民団体に対する提訴は、訴訟による権利救済などの実質的な法的利益がないと考えられることから、「裁判を利用した言論抑制」、いわゆるスラップ訴訟であり、実質的な表現の自由への侵害行為である。
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