南シナ海をめぐる管轄権や主権的権利の係争の考察はどうしても軍事的観点に関わりがちである。吉田靖之「南シナ海における中国の「九段線」と国際法」(海幹校「戦略研究 5ー1」2015・6)も現役武官による自衛隊の部内研究誌の論文だが、係争の経過を双方の法的根拠の主張と共に整理していて、国際法に精通した的確な記述となっている。
http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/5-1/5-1-1.pdf)
中国の南シナ海支配の主張は中華民国に始まる。1930年に地図上で中国領と表示、第2次大戦後では1947年の地図に11個のセグメントに分けて表示、これは後に増減があって九段線の主張となる。中華人民共和国は1988年に南沙群島の占拠に動き、ヴェトナム海軍と衝突して破り緊張を生むが、2002年12月に第8回ASEANサミットで南シナ海行動宣言(DOC)が発表され、拘束力はないものの平和的な行動規範として認識された。ところが、2009年にフィリピンとヴェトナムが国連大陸棚限界委員会(CLCS)に大陸棚限界の延長を共同申請した際に、中国が「中国は南シナ海の島嶼及び近隣する海域並びに海底部分に対して争いのない主権を持つ」と主張し、対立が明らかになった。吉田論文は島嶼と海域に分けて中国の論拠を検討、国連海洋法条約(UNCLOS)の121条だけでなく、エリトリアとイエメンに適用された「歴史的権限による凝固」(先占、時効、無主地などとは異なる)という主張や九段線を海洋法形成以前から存在する伝統彊界線とする主張を紹介、海洋法の通例の理解とのずれを示す。
吉田論文が国際法の適用と解釈の面の整理であるのに対して、Alex Calvo(European Univ. Barcelona. のち名古屋大学客員)は、Eジャーナル The Asia-Pacific Journal: Japan Focus 上でそれぞれの主張の意味と影響を広く国際関係論の面から検討し論文を発表している。なお Japan Focus は最近は巻号を付した冊子形態のPDFファイルも公開、著者名でも巻号でも検索できる。
http://apjjf.org/
Alex Calvo, “MANILA, BEIJING, AND UNCLOS: A TEST CASE,” The Asia-Pacific Journal, Volume 11, Issue 34, No. 1, August 26, 2013.
2012年にフィリピンはスカボロー礁で対立してこれを占領した中国をASEANに訴えたが、議長国のカンボジアが親中的で、一致した対処はできなかった。フィリピン政府は2013年1月に中国に対し国連海洋法条約(UNCLOS)に基づく仲裁に従うと通告、中国はこれを拒否し、外部に介入させるのは当事国間の協議で解決するDOCの取り決めに違反すると主張した。拒否は予想されたことで、中国を欠いたまま進めることに意味があるのか、Calvo はさまざまな見方を比べている。中国の狙いが欧米列強の定めた海洋法秩序を新たな現実に作り変えることにあるとすれば、中国を追い込めばUNCLOSから脱退するおそれもある。他方でUNCLOSに強国から中小国を保護する機能を期待する立場もある。日本の関与も含む国際環境と中国の国内事情の詳細な検討のあとで、Calvo は国際法の問題は黒白の決着では済まず、その時点でのバランスを反映した歩み寄りと原則の修正の中で解決されるもので、選択の余地は広いと記す。
常設仲裁裁判所(1899年ハーグ平和会議で設立 PAC)は中国が承諾しないまま提訴を受理、フィリピンは2014年3月に単独で陳述書を提出した。同年12月に中国がポジション・ペーパーの形で反対の立場を表明した。
http://www.fmprc.gov.cn/mfa_eng/zxxx_662805/t1217147.shtml
この問題に関係のあるヴェトナムも見解を示した。さらに同月、アメリカ国務省もこの問題についてポジション・ペーパーを発表した。
http://www.state.gov/documents/organization/234936.pdf
2015年7月に中国抜きでフィリピンの口頭陳述が行われた。事態のこうした展開をふまえて、Calvo は新たに冊子で48頁、引用資料などの注が289という詳細な論文を Japan Focus に発表した。
Alex Calvo,
“ China, thePhilippines, Vietnam, and International Arbitration in the South China Sea” Vol.13, Issue 42, No2, October 26, 2015
Calvo はまずこの時期に、中国とヴェトナムの2国間の外交・軍事のハイレベルの交流が活発になった事実を追った上で、その交渉は領土問題解決には有効でないと見る。両国ともに国内のナショナリズムの動きは強く、ネットのコントロールも難しい。中国の根拠とする宋代の記録の評価も食い違い、ヴェトナム側は王朝の記録、フランスの史料、宣教師・商人の記録を援用する。
Calvo はフィリピンが並行して広く戦略的な外交を進めていると指摘する。マレーシアはヴェトナムと共に大陸棚認定の延長を求めたとき、大陸棚認定の基準をめぐりフィリピンと対立していたが、マニラは係争の解決を提案し実現した。また、マニラはアメリカと軍事協力を強化、韓国・日本・インド・ロシアから防衛装備などを入手、ハノイとも関係を強化している。
次にCalvo は中国の主張を見る。中国には仲裁を受け入れる意思は決してないが、立場を前記のポジション・ペーパーで表明した。それによれば、この件は領土的主権に関わるものであって海洋法条約の適用範囲を越え、条約の解釈や応用には関係がなく、中国の拒否は国際法の堅固な根拠に立つとする。Calvo はこの主張から生じる論点のいくつかに触れ、さらに巻末に付録を設けてこの文書を詳細に検討している。また、中国はフィリピンの主張が1935年の憲法で定める領域(アメリカがスペインからパリ条約で割譲された範囲)と異なり矛盾すると批判、台湾にも論及していて、Calvo は論点が2国間以外に広がり、2国間での解決は難しいと見る。
続いて、Calvo はアメリカのポジション・ペーパーを検討する。アメリカは領土帰属で特定の側に立たないと繰り返し表明してきたが、帰属の結果には強い関心を持ち、中国の公式発表を分析している。ペーパーはまず九段線を今まで発表されてきた地図から分析、中華民国による地図(1947年)が最初で、後にトンキン湾内2本を削除、台湾東方1本を追加して九段線になった経過を見ながら、この線が位置も性格もあいまいで、さまざまな解釈の余地を残し、明確な線内の島嶼に限定した主張でなければ国際法の原則に合わないとする。岩を基準としたり、隣接国との中間を越えたりしているのは不法の例である。ペーパーは次に「海洋領域Maritime Zones 」「海洋境界Maritime Boundaries 」「歴史的湾・権利Historic Bays and Tittle 」などについて、北京がいままでの通例と異なる解釈により優位を主張する可能性を指摘する。ここでCalvo は中国がUNCLOSを批准しているのに、日本と共にUNCLOSから最大の恩恵を享受するアメリカが批准もしないで力を行使していることへの批判があると注意している。次にペーパーは「歴史的湾・権利」の主張にはその水域への明白で継続的な支配権の行使と他国による黙諾の存在を立証しなければならず、中国の主張は一部を除いて認められないとして、アメリカの立場の国際法上の根拠を挙げ、バーバリ戦争、アヘン戦争以来の外交方針を説明している。問題の破線 dashed line についてのアメリカの解釈の結論は次の3点である。
① 破線はその中の島の主権と島に伴う水域を意味するべきもので、それ以外の海域を意味しない。
② 破線は中国では国界の記号で、未定国界を意味しない。隣接国の承認がなく一方的で、座標の表示もない国界は認められない。
③ 破線を歴史的主張と認めることはできない。中国の挙げる多くの根拠は国際的に承認されていない。海洋法の条文ではなく、より「一般的な国際法」に拠るという主張も認められない。
Calvo は領土問題で特定の立場をとらないというアメリカの方針には問題があり、米西戦争でフィリピン群島の範囲に関わるパリ・ワシントン条約を結び、フィリピンの独立時に引き渡しており、第2次インドネシア(ベトナム)戦争ではベトナム共和国など地域に深くに関わると指摘し、南シナ海との関係の検証の必要を説いている。
Calvo の論文はさらにベトナムと関係の深いロシアのこの地域への関心を東アジアやヨーロッパとの政策と関連付けて詳しく検討、ルック・イーストを志向するインドの関心にも目を向けている。そして、この地域の成り行きは沿岸諸国の運命だけでなく、国際海洋法の諸条項やアジア太平洋の勢力のバランスにも、そしてさらに広くにも影響を与えると結んでいる。
補記(2016・5・15)
アメリカ国防総省は2016年5月13日に中国に関する軍事・安全問題の議会への年次報告書を発表、中国が南シナ海で過去2年に岩礁7箇所約3千エーカーを埋め立て、飛行場・港湾・通信兵站施設を建設し基地化を進めていると指摘した。
http://www.defense.gov/Portals/1/Documents/pubs/2016%20China%20Military%20Power%20Report.pdf
中国は14日に談話でただちに反論、アメリカを非難した。前後に関連する論説等も発表している。
http://jp.xinhuanet.com/2016-05/15/c_135359934.htm (日本語)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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