なにもないから親友なのか

著者: 藤澤 豊 ふじさわ ゆたか : ビジネス傭兵
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ちょっと早いが、待ち合わせの時間には遅れたくない。気にする相手でもないが、待たせるより待たされた方がいい。帰り支度を終えて、さっさと思っているところにキャンセルの電話がかかってきた。

一週間ちょっと前に、久しぶりの東京だから一杯行こうと言ってきた。一緒に仕事をしていたときは、それこそ毎晩のように話し込んでいたのが、転職してからはめったに会うこともなくなった。何があるわけでもないが、業界情報の交換もあるし、あちこちの消息も気になる。そろそろ会えないかと思っていたところだった。

楽しみにしてというほどのものでもないが、気持ちがぽっかり空いてしまった。まあ、仕事で東京にでてきているわけで、会おうといっても、できればがいくつも重なったその先のおまけでしかないということだろう。

まだ七時前、いつもならまだまだこれからの時間なのだが、一度切り上げてしまったのをまた始める気にもなれない。仕事というやつは、やればやったできりがない。ついつい深追いして惰性で引きずる。切り上げられるときは切り上げて、終わりにしたほうがいい。十時もすぎて時間もちょうどいからと、下手にアメリカに電話でもしようものなら、遅くなったではすまない時間になりかねない。

それにしても七時、家に帰るには早すぎる。かといって一人で飲みにいく習慣はない。とぼとぼ赤坂見附の駅まできたはいいが、いつものように東京駅にという気分じゃない。つい反対側の階段を降りてしまった。行き先は、高専時代からの友人、ただ一人の親友といってもいいヤツの店だった。本も読まずにぼんやり乗っていたら、中野止まりだった。いつもなら見附の駅で、ちゃんと荻窪行きを待つのに、行き先を見もせずに乗ってしまった。仕事中の緊張感がなくなって、その延長線にある張りもゆるんで、ぼうっとしていた。

荻窪の駅で改札をぬけて、人ごみに混じっていつもの狭い道を歩いていたら、お弁当屋の看板が見えてきた。お弁当屋は煌々と電気がついているのに、反対側の古本屋は百円均一の見切り品の山もあって、薄暗くてみすぼらしい。骨董品屋でもあるまいし、ばりっとした古本屋なんても落ち着かないが、古本屋にはその手の本も多いからか、入るだけでもなんか後ろめたい気持ちにされる。

客の気持ちを高揚とまではいわない、せめてちょっと元気にさせてくれるくらいの工夫はあってもいいと思うのだが、そういう商売ではないらしい。

開けっ放しの店先からそーっと入って、音をたてないように注意しながらカウンターの前までいって、上から覗き込んだ。いつのころからか丸坊主にしてしまった頭のてっぺんが薄くなっていた。赤青鉛筆をもって競馬新聞を真剣にみている。将棋をしているときも考え込むことがあったが、競馬の予想はなんでそこまでと思うほど集中している。天井からの光を遮りでもしなければ気づかれない。

古本屋はちょっと変わった商売で、客かもしれない人が入ってきても、それに気がつかないふうとでもいうのか、無視していなければならない。万引きを気にして、たまに顔を上げて店の中を看るにしても、努めて存在感を希薄に保つ。そこは荻窪、神保町とは違う。さしたる目的もなく入ってきて、誰に気兼ねすることもなくあれこれみて、買いたきゃ買うが、ほとんどは何も買わないで出て行く。レジに人が来ないかぎり、カウンターの後ろで本の整理でもしていればいい。ちょっと想像してみれば、その特異性がわかる。古本屋の軒を入ったとたんに、ラーメン屋や八百屋でもあるまいし、「へい、らっしゃい」なんて声をかけられたら、驚くのを通り越して、早々に出ていく。

そーっと見てはいても、ちょっとした動きで天井の照明の明るさが変わるのだろう。客が本をもってレジにきたとかと思って、あわてて赤青鉛筆をカウンターの下にぽんと放って、顔を上げた。客かと思った緊張感がぬけて、「なんだ、藤澤か、どうした」「いや、なんでもないんだけど」といつもの挨拶になる。そしていつもの似たような話が続く。卒業して十年もすぎれば共通の話題の多くが昔話になるが、二人とも学校ではいい思いがなかったから、昔話はしない。

方や日本と外資を渡り歩いて、事業のやり直しやらなんやら、方や古本屋。普通に考えれば、社会に対する共通の視点などあろうはずがない。ところがどういうわけか、俗な世間話から、民族や歴史に文学や思想に宗教まで話題にはこと欠かない。カウンターの横に立って、本を買いたいという客でも来ない限り、話がどこにどう転がるのか飛ぶのか、二人にもわからない。特に何といって話題を探す必要などないし、お互い答えを求めているわけでもない。なんにしてもどこまで共通の理解があるのか、違いがあれば、どこからどうしてその違いになるのか、いくら話していっても終わりがない。

話に疲れると、交代でちょっと表にでて、道の向こうのスーパーで缶コーヒーと煎餅かなにか買ってきて話の続きになる。それも疲れると、本棚の上のどこそこ大学出版会の学術書を見て回る。これはと思うものがあれば、カウンターの横に置いておいて、帰るときにただ同然でもらってきた。何ヶ月もしないうちに、他の読んでしまった本と一緒に持って帰ってきたから、貸し本のようなものだった。

古本屋で飯を食っていくのは大変なのだろう、年末から正月明けにかけて数日の休みがあるだけで、年中無休だった。それでも、つましいながらも一事業主。こっちはああだのこうだのいったところで、雇われ人でしかない。古本屋とサラリーマン、競争になるようなこともなし、相手がどうあったところで、比べてどうのというのがない。学校をでてから、あまりに違う道に進んでしまったが、社会観の基本ところは変わらない。その基本のところで話し合える相手が身近にはいないということだった。

二三ヶ月に二三度、ぶらっといっては十一時すぎに店じまいを手伝って新浦安まで帰っていた。何があるわけでもない、ないからそこ親友だったのだと思う。多くの親しい知り合いはお互いに気にしているというのか、それがなくなったら自分じゃなくなってしまうような思いに、なんらかの共通点があった。共通点があるからお互い会おうという気になる。それが親友として必須だと思っていた。ところが、古本屋とはそんなものがない。特段何というものがなかった。ないということが、何でも何になるというのか、お互いにしてしまうのが四十年以上にわたる付き合いだった。

特段何があるからこそと思っていたが、その特段何に仕事の関係か公私に渡る立場かなにかの変化から重みがなくなったとたん、親しい知り合いからただの知り合いに、そして時間の経過とともにかつての知り合いになる。生涯にわたる親友かと思っていたのが、そんなもんだったのかと気がついてしまうことがある。

もう半年以上前になるが、古本屋の親友がどこにどうしたわけか連絡がつかなくなった。携帯電話も固定電話も「おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめの上かけなおしてください」というメッセージが流れるだけになった。店をたたんで、アマゾンに出店するかたちで古本屋を続けてはいたが、奥さんに先立たれて、子供との関係もギクシャクして大変だったのは知っていたが、何ができるわけでもない。

どうしたものか、まさかと思いながら、親しかった同級生何人かに、暴走族の仲間だった何人かに電話してみたが、誰ももう十年、二十年付き合いがないと言っていた。

時の経過とともにすべてのものが変わっていく。自分だって変わってきたんだし、みんなもそれぞれ事情もあって、変わっていって、最後は何があるわけでもないということになるのだろう。それは寂しいとかというのとはちょっと違う。それがことのありようで、そのありようを何をするわけでもなく受け入れて、ただそれだけのことだろう。友人を失って、帰る自分が深くなったような気がする。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔opinion7883:180804〕