<東日本大震災緊急支援市民会議>のメールより

皆さま
本当は今回から「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」への支援に絞った福島市内にある無認可保育園ネットワークへの野菜と飲料水(御殿場のおいしい水1000リットル)の物資搬送予定でした。
しかし、現地行政からの「支援要請書」は本当はたかだか高速料金が免除になるという理由からだけで志を曲げてまで本当にやりたいことから少しずつズレたところへわれわれのややサイケデリックなペイントを施したトラックが流されて行くというのもまたおかしな話だがそれはそれで全然意味がないこともなくむしろ今回奇しくも権力側の意図するところも垣間見ることが出来たのであるしデテイールな場面での第3次避難所へ流されて行く人々の心の機微にも触れることができたのだからこれはこれで苦労した甲斐もあったということにして置かねばならない。
それは2日目の昼過ぎに南相馬市から磐梯町避難所「リゾートイン磐梯」の3FキッズコーナーでノートPCに持参したプリンター複合機をセットしていた時であった。
1ヶ月前からカウンターの向こうに見かけたというわれわれのクルーの証言もあったが私にはホテルロビーを入ってカウンターに向かうほんの数秒の間にすべてを理解することができた。
いつもの星グループのホテル従業員の態度ではなく官僚的な言動でわれわれにこう言ったのである。
「少しお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「何の用で来られたのですか?」
「誰があなた方を呼んだのかその者の名前を言ってください。」
「避難している人々の心の弱みに付け込んで何かオカルトっぽい新興宗教の団体が勧誘に来ているという警察からの指示があった。」という。
ほんの2週間前には120名の人々がまだ10月末までは居られそうだと言っていたのに、一気に50名になっていてなおかつ8月末までには全員出なくてはいけないらしい。
何があったと言うのだろう。
権力は幻の共同体になろうとしていた「リゾートイン磐梯」を8月末までに強引に解体しようとしている。
まるでわれわれに何か秘密を知られたのを恐れているみたいなのである。
第10次の準備にいつものように磐梯町役場の災害対策本部に電話をしたら「ウチはリゾートイン磐梯のボランテイア活動には一切ノータッチになりました。リゾートイン磐梯に直接聞いてください。」というおかしな対応だったのを思い出す。
「リゾートイン磐梯に避難している5つの市町村の代表で自治会があってそこで避難所・リゾートイン磐梯は運営されています。カウンター内のホテル側の従業員はただその自治会の運営のお手伝いをしているだけです。」と初めて訪れた時に役場でそう言われた時の感動を覚えています。
人々に何があったのかというと「東電」から各家庭に100万円の賠償金が振り込まれている。
それが家庭を破壊し残された老人だけが「私は一円ももらっていない。」と少し口ごもりながら言わせるのだ。
その老人は「最後までここに居てどうしても追い出すというならオレは歩いてでも浪江町の自分の家に帰る。」と言うのだ。
たかが100万円が人々の心をさらに倦ませるのだ。
実のところ福島市公認の保育園で児童に飲ませているのはチェルノブイリ並みに線量の高い水道水なので折角入園が抽選で当たっても私たちの無認可保育園に帰ってくる児童もいるのだという。
毎月のペットボトル入りあるいはサーバー型飲料水にかかる費用は15の無認可保育園ネットワーク全体で12万円を越すという。
いまわれわれ市民会議で問題になっているのは、これをボランテイアで1週間に1000リットル運ぶことが出来るとしても絶対量の最低必要分に足りないということなのである。
おまけに何故か時間に余裕のある年金暮らしの60年安保全学連世代の数名の方々だけが箱根や御殿場での献身的な水汲み作業があっての話なのである。
本当にこのボランテイア活動は持続可能なのか?
おまけに辻堂にある昔サニヤシンだったかたの畑の野菜提供のために江戸川に住むクルーは出発日前日の晩に茅ヶ崎のサウナで寝て早朝にその畑でミカン箱5箱のじゃがいもと人参、ピーマンとなすびなどを泥まみれになって収穫して来てくれた。
何故そこまでやるのかと私はとくに訝しく思うという理由からでもなく問うたのであった。
何となくそうではないかという理由が2日間トラックの運転を何度も交代しあってやっと分かった。
彼のお姉さんが何ということだろう。
3.11の翌日に何かの理由でというにはあまりにも不条理であるが自決されたのだという。
絶句せざるを得ない。
千葉県香取市の農事組合法人「和郷園」で彼とは待ち合わせであった。
われわれに合流した大阪の門真市の戸田まさよし市議と運転手のMさんの2人の軽四に塩見さんと私が乗せてもらうという格好で合計4人は中野アソシエを午前8時半に出発したのであった。
午前10時に「和郷園」を出発予定であったが、結局,11時だった。
近くの風土村直売所で戸田市議が無認可保育園の児童たちへのお土産にスイカを10個約2万円分を購入してくれた。
一般道を稲敷まで1時間半くらいかかってしまい常磐道経由でいわきの手前で磐越道に乗り東北道に出て福島西を降りたのはもう夕暮れだった。
雨が降りはじめ3人のクルーは濡れながら野菜とスイカと飲料水を降ろし丹治園長と驚くべき無認可保育園と行政の関係をはじめて聞くのであった。常連ボランテイアの私だけがカッパに着替えていた。
それから「こども福島ネットワーク」共同事務所を訪ね椎名代表に会うことが出来た。
しかしそそくさと用件のみを伝えると10分くらいでわれわれは南相馬市へ向かった。
時間はすでに午後7時半を廻っていた。
南相馬市鹿島区の民宿「森のふるさと」に電話して到着は9時半頃になりそうだと伝えた。真っ暗な田んぼのなかでカエル達がはげしく合唱をしていた。
民宿に到着して1時間くらいビールを飲んで順番に風呂に入って 川の字になって寝た。
あとは私の非公式Blogの絵日記をご覧いただければ大体お分かり頂けると思うのでこれで筆を置きます。

非公式Blog「東日本大震災緊急支援市民会議」
  http://seijiosafune-shushu.blogspot.com/

第11次東北支援トラック隊隊長・長船青治から
註)H.R.Pとは「リゾートイン磐梯」及び「南相馬市ボラセン」において兄弟分みたいなもんです。