欠点も含めて相手の能力を認め合った同年輩の親しい仕事仲間。口調は自然とタメ口になって、時にはタメ口を越えた荒っぽいものにすらなる。社会層によっては、口調の荒っぽさがお互いの信頼関係の緊密さを表している。信頼関係が深ければ深いほど口調が荒っぽくなる。
ニューヨーク支社の先輩駐在員の二人-E先輩とM先輩の日常会話は、知らない人が聞いたら口喧嘩しているようにしか聞こえない。朝から晩までなじり合い、ひどいときにはもう罵倒し合っているのではないかと心配になった。特に職人気質で気の荒いM先輩の口調は極端で、機嫌のいいときのお調子者のような口調と、気に入らなかったときの八つ当たりのような口調には誰もが閉口していた。それでも親分肌のE先輩は、鷹揚に受け止めて口調まで合わせていた。
それができたのは、M先輩がいくら頑張ってもE先輩の技術屋としての領域には踏み込めない、一目置かざるを得なかったからで、もし二人が同じ領域を専門としていたら、つばぜり合いの火花が飛び散っていただろう。ニューヨーク支社で電気屋はE先輩だけだった。本来は電気屋だったが、出先で何でもこなさなければならない修羅場をかいくぐってきた経験から、機械屋としても通用する知識と技術を体得していた。それでも機械加工に関してはM先輩に右にでる駐在員はいなかった。ただ叩き上げの機械屋で、電気系の知識は経験で拾った点としての知識の寄せ集めから一歩もでなかった。
お互い仕事では認め合ってはいるが気性は全く違う。この気性の違いが幸いして一方が突っ張るときには、一方が上手に受け流す丁々発止が成り立っていた。傍からみれば、いつ喧嘩になってしまうのかと心配だったが、丁々発止の罵倒もどきまでで終わっていた。お互いどのようなときに、どのレベルまで相手に踏み込んでいいのか、どこに越えてはならない一線があるのかを熟知していた。その熟知のレベルに至るまでに、二人とも一線を越えかけたこと、あるいは何回か一線を越えてしまったことがあったと思う。
そんなところに、シドニーの暴れん坊が出張で来たからたまらない。二人の間の一線などということに気が付くわけもなく、二人に対して二人と同じようなタメ口から始まって、罵り合いのような口の利き方をした。そのままいったら小火ではなく大火事になりかねない火花が散り始めた。
認め合う関係から生まれた男同士の罵り合いは、二人の間でのストレスの発散でもあった。そのような関係に気が付くこともないシドニーの暴れん坊、本気の罵り合いや口喧嘩になるのに大した時間はかからなかった。
倉庫で展示会に出展する機械の準備をしていたM先輩のところに、手伝うわけでもなく出てきては、作業のありようについてああだのこうだの言い出した。最初のうちは聞き流していたM先輩の堪忍袋の緒が切れた。スパナーを暴れん坊に放り投げて、偉そうなことを言ってないでお前やれと怒鳴りつけた。そんな喧嘩口調で出てこられたからと言って引き下がる器量もない暴れん坊が怒鳴り返した。怒鳴り合いをしているうちにM先輩がバカバカしくなったのだろう、作業を中断して事務所に戻ってしまった。
M先輩の手伝いをしていたのに、M先輩が途中で作業を放り出してしまった。きりのいいところで中断して事務所に戻ったら、M先輩と暴れん坊がまだ怒鳴りあっていた。暴れん坊、技術的な知識でも経験でもM先輩にもE先輩にもかなわない。国は違う(アメリカにオーストラリア)が、駐在員としてはオレが先輩だという態度に皆が閉口して、ほとんど誰も相手にしなくなっていた。それが面白くなかったのだろう。それでもE先輩やマネージャには突っかかっては行かなかった。職人気質の意地とツッパリで生きいているM先輩が突っかかって行けるただ一人の相手だった。新米駐在員に突っかかっても、するっとぬけてしまって突っかかりようがない。
怒鳴りあっているうちに、どちらからともなく手がでてしまった。殴り合いの喧嘩になった。体の大きさでは暴れん坊の方が二回り大きいが、運動神経ではM先輩の方が格段に優れている。M先輩、殴り合いから後ろに引いたかと思ったら机の上に飛び乗って、そのまま暴れん坊に飛び掛って二人して床にころがって殴り合いが続いた。マネージャが止めに入ったが、小柄でとめきれない。二人が疲れて止めるのを待つしかない。二人とも口の中を切って、口の周りから手から腕まで血だらけで喧嘩が終わった。
人数の少ない所帯では中間層としてバッファになる人が少ない。二人がいがみあったとしても、十人やそこらの中間層がいれば、二人が直接ぶつかり合う機会はそう多くない。熱くなっても中間層の人たちとの付き合いのなかで熱が冷める。一人二人の中間層ではそうは行かない。熱いままぶつかって、ぶつかる度に熱くなる。どんどん熱くなって閾値を超えると熱いだけではすまなくなる。
小さな所帯に我の強い荒っぽいのが複数いれば、ぶつかり合いが始まるのは時間の問題。些細なぶつかり合いまでですむかどうかは、当人たちがお互いに超えてはいけない一線を見極める知恵があるかないかにかかっている。周囲の人たちだけでは止めきれない。
統計処理ではないが、母数(人数)がそこそこの大きさでないと処理結果(組織)が安定しない。一つのノイズが結果や組織の存在を損ねかねない。ところが、駐在所はいつも少人数でぎりぎりのオペレーションを余儀なくされている。ぎりぎり故に穏やかな人たちだけでは成り立たない。覇気のある人材でなければ勤まらない。覇気があればぶつかりかねない。覇気があって、ぶつかるときやぶつかり方を判断する知恵がなければ少人数の組織では使えない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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