アジサイの季節になって―長めの論評(九)

 「岸を倒せ、岸を倒せ」土砂降りの雨の中で、気分を高揚させながら僕らはデモをしていた。異様なまでの岸首相に対する憎悪は僕らの心的に支えとなっていた。この感情の高まりとは何であったのだろうか、と後年になって想起することがあった。直接的には岸の振舞いがアメリカという権威に忠誠を誓うどこか卑屈な姿に映っていたことがある。岸はアメリカからの独立を画するナショナリストであると言われたが、当時の僕らにはそうはみえなかった。岸は権威にひれ伏す存在にみえたのだ。これは共産党のソ連や中国への盲従に対する憎悪と似ていた。権威に服する態度としては似ていたのである。僕らの自由な感性とは相いれないところがあった。権威の対象を天皇からアメリカやコミンテルン(ソ連や中国)に変えただけにしかみえなかったのだ。この権威主義に僕らの内なる精神構造をみていて、それへの反逆心があったのかも知れない。

 米ソに対する反感には敗戦後の日本人が底流に持ってきたナショナルな感情なのだろうかと思うこともあった。戦中派(戦前―戦中に自己意識の形成を経た人々)ならこれはもう少し明瞭なのだろうが、僕は敗戦のころが四歳くらいだから、幼少期に刷り込まれて無意識として存在していたものであるように思う。岸も共産党も政治的にはナショナリストであるが、彼らは政治的にそうであるだけで、国民意識としてのナショナルな感情にアンテナは延びていない。戦後のナショナルな感情が戦前のようにウルトラナショナリズム(過激なナショリズム)として発現することは封じられている。ドイツの第三帝国も大東亜共栄圏も敗北したのだからである。そうだとすれば、それは米ソの理念に屈服(転向するか、沈黙をするしかない。戦後の日本人のナショナルの感情は沈黙をしれられてきたのだが、この感情は米ソの世界支配と彼らが主導する戦争への反感として流出する機会を安保闘争において持ったのではないか。日本人の戦争体験と結び付いて戦争観はアメリカとソ連が演じる戦争への否定の意識と重ねられたのである。国家が国家を超えるものとの矛盾の中でしか存在しえないという歴史段階がウルトラナショナリズムの相克として現れ、アメリカとソ連が勝者として戦後を形成したのなら、それをかつての自己(ウルトラナショナリズムを演じた自己)も含めて否定(止揚)する以外に、日本人のナショナルな意識と存在に表現はない。安保闘争を支えた戦争に対する危機感は日本国民のナショナルな感情を世界史の舞台に登場させる契機だったのだ。ブントや全学連の米ソ支配の枠組みへの否定が国民感情と触れあっていたのもここにおいてだ。

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