政治的にみる限り世界は国家間関係を基礎にして存在している。だが、この国家間関係にも歴史段階的な変化がある。国家が国益であり当然と見なされた行為が疑念にさらされ、国家を超えるという課題が人類史(普遍的)課題として登場したのだ。第一次世界大戦の結果に対する衝動とも反省ともいえるものだが、ナショナリズムや戦争についての自然的通念(歴史的理念)が疑われだしたのだ。だが、第二次世界大戦への道は国家利害がそのまま裸形ではなくそこに世界性を加えて登場したが、国家間対立を超えたものではなかった。ドイツの第三帝国、日本の大東亜共栄圏、ソ連の「祖国社会主義の防衛」、「反ファシズム―自由の防衛」も国家が利害を貫徹するための理念的形態であった。第二次世界大戦後の社会主義圏と資本主義圏というのは延長上の考えである。同時に、第二次大戦後は人々の国家と戦争を超えるという意識はより強くなった。国家と国家を超えるという課題は矛盾的に存続している。現在的なものだ。
反ファシズム統一戦線として連合国を組んできた米ソが第二次世界大戦後の世界支配を競って出てきたのが冷戦構造であり、そのイデオロギー的形態が「資本主義圏」と「社会主義圏」の対立であった。この頂点は1950年代で1960年代はこの第二次世界大戦の世界支配の枠組みに動揺が見られ始めた時期である。社会主義圏はスターリンの死後のハンガリー事件などを通してソ連の強権的な支配構造が露呈し始めていた。「社会主義」は国家社会主義であり、実態は官僚階級の支配国家であることを示し始めていた。他方で資本主義圏(自由主義圏)もアメリカの世界支配の構造が見えはじめていた。強固に見えた米ソの戦後支配という枠組みが揺らぎはじめてきたのが1960年代を前後する時期であった。この時代の日本の政党や政治家の政治情勢的判断はどうあったか。岸はアメリカの軍事力による世界の安全保障に協調的であり、戦後の世界支配の枠組みは持続すると判断していた。彼はイデオロギー的には強固な反共主義者であり、その枠内でアメリカの要請に応じつつ、憲法改正と本格的な軍事化を政治・社会権力の再編とともにやろうとしていた。アメリカの世界支配にあることと、ナショナリズム的な国家主張は彼に矛盾ではなかった。これに対して共産党を中心にする左翼はソ連社会主義の信奉であった。戦後世界の枠組みとしての米ソ支配を信じる点で岸と日本共産党は相似的であった。対抗的であったが、世界の現状認識は似ていたのだ。この戦後の世界の枠組みにイデオロギー的かつ、政治情勢論的に反対し別の考えを提起したのはブントや全学連であった。