バラク・オバマが初めて大統領に当選したとき、その就任以前にアーミテージやナイなど、知日派と呼ばれる人たちは日米でシンポジウムを開き、新大統領の下でも対日政策に変更はないことを強調、また、ナイは日本の民主党に対してインド洋給油活動の停止や地位協定見直しを求めることは反米と見なすとまで述べた。アメリカでも大統領に先行して政策を既定のように主張することがあると分かった。主張しているのは一群の旧・現の官僚だが、その背景に何らかの力を想定しても不自然ではないだろう。前記のシンポジウムの企画には日本の経済紙が加わっていたが、前政権を踏襲するという断定に疑問を抱いた様子が全くないのがふしぎであった。当時の下馬評で駐日大使にナイが有力とされたが、大統領が任命したのは全く関係のないジョン・ルースであった。新聞は選挙での資金確保への貢献に報いたと報じたが、大統領には官僚たちの言いなりになる必然性などはない。そうした視点の報道も日本では見られなかった。ルースは赴任してから、広島・長崎・沖縄の式典に参加するなど今までの大使に見られなかった活動をした。
もともと知日派とは、1995年に国防次官補であったナイの発表した「東アジア戦略報告」に基づいて日米防衛協力の新ガイドラインを導き、2次にわたり作成された「アーミテージ報告」で日本の外交・軍事への指針を示してきたという人たちである。日本政府はずっとこのタカ派の路線に忠実であった。シンクタンクの戦略国際問題研究所はこの人たちの拠点で、ここで研修をした日本の政治家や官僚も多いし、代々の首相も訪問している。関係は強く、日本の政権にも外務省にも、オバマ政権の成立を変化のチャンスとして活かそうという発想は鳩山由紀夫を除けばなかったし、鳩山は日米官僚の連携で潰されたとみられる。結局「アーミテージ報告」は第3次も作成され、現在の安倍内閣もその路線に忠実であるようだ。
日本の報道機関は当たり前のように「知日派」と記しているが、アメリカ、オーストラリアなどの現代日本に詳しい学者たちはこの人たちをJapan Handlersと呼ぶことがある。Handler は辞書で引けば動物の調教師とか、ボクシングのトレーナーとか、選挙での候補者を影で操る人という訳語が出てくる。外から見た実態の率直な表現なのだろう。政治家やジャーナリストが実態を直視することを避けている限り、アメリカの路線を変えさせようとする自発的な姿勢はとれないだろう。アメリカにもいろいろな考えがあり、立場もある。アメリカをHandlerで代表させることには無理がある。政府に、さまざまな考え方の中のどういう人たちとどう連携していくかを考える自立した姿勢は見られない。
もう後に選挙がないオバマ大統領は制約してきた勢力に遠慮しなくてもよくなった。キューバとの国交回復、イランとの核問題解決のための交渉、それに反対し、ガザ地区への無差別攻撃を繰り返すイスラエルに対する厳しい姿勢など、議会との対立も辞さない。2月にネタニヤフが訪米し議会で演説した際にオバマは面会を拒否した。
前年のまだ不明であった勢力による後藤健二氏の拘束の公表を抑えたまま、安部首相は1月に中東訪問の一環としてイスラエルとパレスチナを訪問したが、イスラエルに対してパレスチナ自治政府との和平交渉を再開して暴力と不信の連鎖を止め、入植活動を停止するよう要望しながらも、日本とイスラエルとの安全保障や経済関係の連携強化を発表している。一行には多数の経済界の代表が参加していた。これはオバマの厳しい姿勢とは対照的である。現地では首相がマケイン上院軍事委員長ら米議員の表敬を受けたが、それは何を意味するのだろうか。首相はオバマ以降を見越した意図的な選択を考えているのだろうか。日本政府はオバマというアメリカの一つの可能性を見捨てようとしているのか。
いまのままでは沖縄の状況も変わる可能性がない。アメリカの専門家の中に沖縄に海兵隊の基地を集中するのは無意味で危険だという見解があることが報じられても、それを活かそうと日本政府が働きかけたという話は聞かない。一つのアメリカがあって日本に何かを求めているという考えは日本の権力の利害から作られた面が強いのかも知れない。そのことへの疑問を問わないジャーナリズムの責任は大きい。主語に「アメリカ」が来る文を見かけたら、その「アメリカ」とはだれなのか、分析して具体的にしていくように努めたほうがよい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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