古矢 旬(北大名誉教授)著『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』(岩波新書2020)を読んでいる。実例を含めて非常に興味深い指摘をされていて、今までアメリカについて多少とも知っていると思い込んでいた自分の常識が脆くも崩れ落ちていくのに驚いた。
もちろん、すべての点でこの本の主張に賛成しているわけではない。いろんな疑問点は持っている。しかしそれにしても成程とうなずかされる点が多い。
この本の基調は、次の「はじめに」で次のように述べられている(文章は適当に変えているのだが)。
「(「南北戦争(1861-65年)の世紀」という)歴史的視点に立つとき、アメリカ史における1970年代の画期性が改めて浮き彫りにされてくる。それは南北戦争終結の1865年を起点としてまさに一世紀の長期にわたる変化の末に絶頂期を迎えたアメリカの国家体制が、一転して大きく動揺し始めた時期にあたっていた。国際経済学者マルク・レヴィンソン(『例外時代』みすず書房2017)によれば、戦後の世界史は、20世紀の後半、つまり1973年を境としてきれいに二つに分けられるという。すなわち、世界の先進資本主義諸国の多くが異常なまでの好景気に沸き、後に「黄金時代」として広く憧憬の的となる第一期と、その繁栄の曇りが冷たい不安感と衰退の予感にとってかわられた第二期とである。」
戦後のアメリカを、1970年代を分水嶺として、「黄金時代」と「最悪の時代」とに区分していること、「71年、アメリカの貿易収支は戦後初めて赤字を計上。76年以降、赤字は慢性化し、その幅は着実に増大して今日に至る。」ということから推測すれば、今日のアメリカは、トランプ陣営の選挙戦用の「大見得」(『今、米国史上最も急速な景気回復の真っただ中にある』ムニューシン財務長官の証言)にもかかわらず、まさに塗炭の苦しみをなめているのではないだろうか。
かつて、チャルマーズ・ジョンソンは、その著『帝国解体―アメリカ最後の選択』の中で、この巨大な財政赤字を「もはや救いようがない」と切り捨てていた。
「国際自由主義の盟主」を自任していた国が一転して保護政策を取らざるを得なくなる。今日のトランプの「アメリカ第一主義」は、アメリカ的自由主義の崩壊、国家に守られた資本主義の一方で、新自由主義的政策の採用。このこととグローバリズムの関係をどう考えるべきか。アメリカの覇権(国益)を守るために周辺国へのごり押し、このようなグローバリズムは成り立ちうるだろうか? またアメリカの経済力の低下は、必然的にその軍事力の低下に結びつかざるを得ないのではないだろうか。素朴な疑問である。
歴史家アーサー・シュレジンガー・ジュニアが1973に指摘した「帝王的大統領制」というアナクロニズムを、瀕死のトランプは復活させようとしているとみるべきか。
だが、ここでは次の点を取り上げてみたい。それは、この本で紹介されているアメリカ国内の世論調査についてである。
この本の36ページに図1-3「連邦政府に対する人びとの支持(1952-2008年)」として示されているグラフである。
この質問内容がなかなか面白い。日本のようにある内閣を支持するかしないか、ある政党を支持するかしないか、支持する理由が(政策に賛同できる、とか、人柄が良いから、とか、その他、云々)あらかじめ「矮小に」決められていて、それの選択といったものとは一味違う印象を受けた。
それは、「政府は信頼に値するか」「公務員は人々に十分配慮しているか」「政府は少数の巨大利権にではなく国民全体の利益に役立っているか」「政府は税金を濫費していないか」という質問内容から成っている。もちろん、工夫次第でこういう質問内容はいくらでも増やすこともできるであろうし、その時の状況に応じて、例えば「モリ・カケ・桜」問題に対する質問に変えることもできる。
要は、日本的な「人気投票」に流れてしまった質問ではなく、「信任か不信任か」をはっきり問う形式になっている点にある。
どうしてこの程度のアンケートすらやろうとしないのであろうか。メディア人の大多数が政府権力への「忖度」(すり寄り)をやっているとしか考えられない。
因みにこのグラフから読み取れるのは、政府への一般の信頼度は、1960年代初めまではおおむね高かったが、60年代後半になると劇的に低下し、70年代末までには、政府に対する不信感が圧倒的に多数を占めるようになる、という結果である。
さて、こういう質問をやった時、日本ではどうなるであろうか? はたして菅内閣は持つであろうか? 「臭いものにはふた」の政界や官界はどこまで支持を得られるであろうか?
ぜひ大手マスコミにやって頂きたいものである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10145:200928〕