アメリカ大統領選挙まで4ヶ月足らずという時点で、バイデン大統領が撤退を表明し、副大統領であるカマラ・ハリス(59)を後継者として指名した。その直前の共和党全国大会ではトランプ氏(78)は、オハイオ州選出上院議員のJ.D.バンス氏(39)を副大統領候補に指名した。トランプ氏は、バンス氏を選んだ理由を「彼は複雑な家庭に育ったが、家族を愛している」として、アメリカ人の家庭尊重意識に訴える人物として選んだのだとしている。一方のハリス氏はミネソタ州知事のウォルツ氏(60)を副大統領候補に指名した。大統領選をめぐる景色は一変した。
政治家バンス氏の登場
7年ほど前、アメリカのプア・ホワイトの姿を描いた”Hillbilly Elegy”というバンス氏自身の半生記がベストセラーとなり、一躍、全米に名を知られるようになった。アメリカ社会の病んだ社会とそこからの脱出・成功の物語は、リベラル系のマスメディアからの注目を集め、インタビューや講演会も多くこなした。彼の名前は民主党支持傾向の強い東海岸や西海岸のリベラル系の人々の間に広く知られたのである。
彼はその後、カリフォルニア州に移って、弁護士としてIT関係の企業などに関わり経済的な地位も築いたが、数年前、出身地のオハイオ州の上院議員となるべく共和党員として政治活動を始めた。当初は、トランプ支持者ではないとしていたのだが、予備選において指名されるため選挙直前にトランプ支持を打ち出した経緯があった。
バンス氏の悲惨な成育環境と成功譚
バンス氏の「複雑な家庭」とは、著書のなかで次のように紹介されている。「あなたのsiblings(兄弟)は?」と聞かれた時、彼はどう答えれば良いか迷ったという。なぜなら、母親の産んだ兄弟は皆、父親が違っていて、一人の姉以外の「兄弟」とは疎遠であった。母親は薬物依存症であり、子どもたちの世話をほとんどできなかった。彼のことをもっとも気にかけて守ってくれたのが祖母であった。その祖母が一人暮らしの家で亡くなった時、家の中には20丁近くの銃があって、ドア、窓などに一丁ずつ置かれていたという。どこから不審者が侵入してきても撃退できるように、ということだ。彼が、それほど治安の悪い環境で育ったということも意味している。
バンス氏は高卒後、軍務に付き、その後、州立大学で法律を学び、イエール大学の法学修士課程に進んだ。イエール大学の学生のほとんどが、ニューイングランド地方のエリート家庭の子弟である。イエール大学は、学生の多様性を確保するため、ごく少数ではあるが彼のような学歴の学生を多額の奨学金を付けて入学許可している。彼は指導教授からも邪険にされる。「なぜ州立大学卒のような(質の悪い)学生の面倒を、私がみねばならないのだ」という訳である。バンスは論文作成やその他の活動で自らの優秀さを証明して、教授の評価をひっくり返すことに成功する。
イエール大学では、ニューヨークやワシントンDCに拠点を置く有力な法律事務所のリクルーターが卒業予定者と面談し、いわゆる青田買いが行われる。数回の面接を経て「内定」となると、大学町の最高級レストランでの会食がもたれる。会場に出向いた彼は並べられたフォークナイフの数に驚く。つまり彼はそれまでしゃれた高級レストランで食事をした経験がなかったのである。慌てた彼が助けを求めたのが同級生であり、現在の妻であるインド系アメリカ人であった。彼女は裕福なインド移民の娘として育っていたからである。
バンス氏は、著書のなかで彼の青年期を過ごしたオハイオ州のミドルタウンという中規模都市の若者が「薬物依存になったりして仕事が長続きせずに怠惰な生活を送っている」と、若者の覇気のなさを非難していた。海兵隊員になってイラクに駐留し、その奨学金で地元の大学に入り、さらに特別枠を用意しているアイビーリーグの一角を占めるイエール大学に進んだ自分のようなキャリアは誰にも開かれているという訳である。しかし、副大統領候補になってからは、中西部のラストベルトの人々の生活を破壊したのは民主党政権の責任だという主張をするようになっている。
副大統領候補の討論会
副大統領候補同士の討論会が10月1日に予定されている。ウォルツ氏の優位は揺るがないだろう。ウォルツ氏は州知事としての8年間の政治実績がある。政治家になる前には高校の教師とフットボールコーチを務め、州兵として軍務も経験している。連邦の下院議員を2期務めた後に州知事となっている。エリート臭がないという意味で、共和党の強い中西部でも一定の支持を得られるだろう。
一方のバンス氏の政治活動は一期の上院議員歴しかなく、インタビューなどでも精彩を欠く場面が目立つ。例えば、副大統領候補指名後、リベラル色の強いテレビ局のオンライン・インタビューを受けたのだが、さっそく経験不足を露呈した。キャスターが、全米の多くの大学でパレスチナ支持の学生たちがキャンパスで紛争を起こしていることについて、「大学の施設を破壊した学生たちは、刑事責任を問われるべきと考えるか」と問うた。バンス氏は、「当然」と応える。これに対してキャスターは、「では、20年1月6日に(トランプ氏に唆されて)議会を襲撃して破壊活動をした者たちも刑事責任を問われるべきとお考えですね」と突っ込まれ、返答に窮する様子が晒されている。
またカトリックに宗旨替えしているバンス氏は、妊娠中絶の全面的禁止を打ち出しているが、トランプ陣営が女性票を意識して、「扱いは各州に委ねる」として避けている問題である。討論会で問題が取り上げられれば、ここでも立ち往生しかねない。また経済問題、医療・福祉問題などの政策を実行してきた実績をもつウォルツに対し、トランプ氏は「過激なリベラル」とか「共産主義に向かっている」と攻撃していて、バンス氏もその線に従った議論をすることになるだろう。リベラルとか共産主義という語に強く反応する極右層の支持を固めるには役立つだろうが、浮動票を民主党側に追いやることになりかねない。
大統領候補との連携
大統領候補との連携という点でも民主党が優位だろう。民主党側は大統領・副大統領の両候補がほぼ同年齢で政治家としてのキャリアも長い。一方の共和党側は、いずれの候補も政治家としてのキャリアは短く不安定である。背後に控える陣営のスタッフが懸命に振り付けをしても綻びが目立つ。
つい先日も、トランプ氏が集会の演説で経済政策を取り上げるとして、アメリカ人に馴染みのある口臭予防ミント味のキャンディの大小二つのサイズを内ポケットから取り出し、「これがインフレだ」と説明(?)したのである。このニュースを受けたあるテレビ局は早速、スーパーマーケットの前にリポーターを立たせ、コーラの大型ボトルと小さな缶入りとを両手に持ち、「これがインフレの証拠です」というギャグを演じさせた。スタジオのキャスターが、「それは違う、ただ違うサイズの異なる価格だ」と呆れた顔で応じたのだ。
トランプ陣営は、その直後、バイデン政権下で食品などの価格が大きく上昇したことを示すパネルを用意し、記者たちの前でトランプ氏に、改めてバイデン政権の経済政策の失敗を追及させようとした。しかし、トランプ氏はその意図が理解できないのか、ハリス氏の人格攻撃などに終始する始末で、一部で囁かれているトランプ氏の高齢ゆえの認知能力の不安さえ窺わせたのである。討論会におけるトランプ陣営の振り付けが失敗すれば、民主党が優位に立つことになるのではないか。
初出:「リベラル21」2024.08.20より許可を得て転載
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