二〇一八年五月五日付けのAl Jazeeraに「Brazil’s racialised sperm economy」と題した記事があった。読んでいて、あのブラジルでもそうんなんだとがっかりした。がっかりしただけでも、なんとかならないものなのかと気になってしょうがないのに、ほっとしもしたし、なんだそういうことだったのかと思うのもあって、どうにも落ち着かない。
記事は下記urlから。
https://www.aljazeera.com/indepth/opinion/brazil-racialised-sperm-economy-180426093908976.html
もう十年近く前になるが、三年半ほどお世話になったアメリカの会社の日本支社にブラジル人二世のソフトウェアエンジニアがいた。高校まではサンパウロの郊外で、大学は日本という人だったが、日本にざっと二十年、日常会話でも仕事の文章でも日本人となにも変わらない。小柄で風貌もどちらかといえば垢抜けない。誰がどう見ても日本人にしか見えない。ブラジル国籍だと聞いたとき、「へぇ、そうなんだ。でもそれは国籍の話で、日本人じゃないか」と思った。独身ということもあって、よく居酒屋にいっては仕事の話をしていた。ある晩、興味半分で訊いてみた。
「もう忘れちゃったかもしれないけど、はじめて日本に来たとき、何かこれといって違和感あった?」
うん、という顔をしながら、当時を振りかえっていたのだろう、何を見ているわけでもなさそうな目が宙を見ていた。
「うーん、これといって何もなかったな。ここは日本だって思っただけで……」
ちょっとたって、思い出したのか、
「何がって、一つあった。どこをみても日本人しかいなかったっていうのかな。だれもかれも、みんな同じ格好して同じ顔が、妙な感じだった。そりゃみんな違うんだけど、ブラジルでいう違うのとは違う。あっちじゃ白人もいれば、黒人もいる。混血もいるし、東洋系も。ぱっと周りを見回しただけでも、そりゃいろんなのがいる。でも日本に着いて、最初に思ったのは、みんな似たような背格好で、似たような顔して、それが日本に来たってことを感じさせてくれた……」
「そうだよな、あっちにいったら、人種の坩堝みたいなんだろうな」
「なんにしても、いろんなのがいる。危ないのはどこにでもいるけど、日本のようにおかしいのはいないな。なんていうんかな……、突然刃物を振り回したりなんて聞いたこともない。そりゃ、ギャングもいるしやばいのもいくらもいるけど、日本のオタクのようなのはしらないな」
同僚の話が漠然と思っていたブラジル、テレビや新聞で見聞きするブラジルの通りだと思った。混血も進んで、人種差別も少ない、よくもわるくもごちゃごちゃの国だと思っていた。ところがAl Jazeeraの記事には、どうもそうでもないことが書いてあった。
DNAの解析も終わって、遺伝子操作までが身近なものになってきた。もう人工授精は確立された日常の技術に過ぎなくなってしまったのだろう。ブラジルのNational Health Surveillance Agencyによれば、二〇一一年から二〇一六年の、人気というのも変な言い方になるが、精子の提供者に対する希望は、Caucasian(白人)が九十五パーセントで、目の色は、五十二パーセントがブルー、二十四パーセントがブラウンで、十三パーセントがグリーンだった。希望を要約すれば、ブロンドかブルネットでブルーアイの白人ということになる。
この精子提供者への好み、人種の坩堝で人種差別が希薄だと思っていたブラジルにもしっかり人種差別が残っていることを示しているように思えてならない。がっかりはしたが、あの人種の坩堝のようなブラジルですら、まだしっかり人種に対する希望があることに、なんかほっとした。それというもの自分の美意識、というほど大げさなものではないと思っているのだが、なにが美人かという判断基準が欧米化したまま抜け切らないことにある。ちょっと抜けた感じもあるのだが、抜け切らない。この抜け切らないのがいったいなんなのかを説明しきれないで、この数十年すっきりしないままでいる。
内面にはまったく関係のない見かけの話で、セクハラだといわれると困るのだが、それは女性にもあることだろうし、固いことを言わずに、ちょっと許してほしい。
小学校の低学年からアメリカのテレビや映画を見て育ったからか、気がついたときには、美人の基準がアメリカナイズされていた。還暦もとうに過ぎたのに、この規準がなんとも変わらない。基準は変わらないのに、三十を過ぎたころに好きが変わっていた。美人の基準が変わったわけでないのに、美人の好きが変わってしまった。変わったことに気がついて、なぜ変わったのか考えてみたが、よくわからない。どうもニューヨークに駐在を終えて帰任したころに何かきっかけでもあったのだろうと思っている。もしかしたらアメリカ人社会に入り込んで吸収した異物が帰国したときに弾けて、好みが日本に引き戻されたのかもしれない。日本の美というと大げさだが、目を開かされた。
七十七年にニューヨークに赴任したとき、まだ二十五歳だった。どこにでもいる戦後生まれの独り者。子供のころから西部劇とホームドラマにディズニーの漫画にしっかり染められて、アメリカに漠然とした憧れがあった。当時見聞きしたアメリカは、多少プロパガンダもあってだろうが、白人の中流家庭の大衆文化だったのだのだと、あとになって気がついた。七十年代の後半のアメリカは経済的に疲弊していて、黒人やプエルトリコ人や中南米からの人々の生活は、日本ではみられなくなっていたほど荒んだものだった。それにもかかわらず、テレビや映画ですりこまれたのだろう、女性の美に求めたのは、求めて得られるかどうかなど関係なく、ブロンドヘアーにブルーアイだった。美の基準が日本文化を背景にしたものからアメリカの白人文化に変容してしまっていた。
ここで一つ言っておかなければならないことがある。ニューヨークだけでなく、毎週のようにネブラスカやミネソタまで出張して気がついた。当たり前のことじゃないかと言われるだろうし、自分でも当たり前の話でしかないと思うが、映画やテレビに出てくるように誰も彼もが美人とか美しいというわけではない。それどころかほとんどの人は男も女も美人や美しいというのからはかけ離れている。非常に希に美人だな、美男だなと思う人と出会うことがある。その頻度は日本にいるのとたいして変わらないし、ヨーロッパに行っても、中国に行っても希にということでは似たようなものだった。
三十近くなって帰国して、アメリカの女性の美的基準からかなり外れた日本女性が、赴任する前と違ってきれいにみえた。笹の葉で切ったような、白目どころか黒目も見えない目。平坦な、それこそお盆に目鼻がそれはそれなりに絵になっているというと叱られそうだが、アメリカの評価基準とはまったく違う美しさがあるのに、ある日突然気がついた。
男にもいえることだが、映画にでてくるようなアメリカ人に比べると、脚は短いし、上半身はアメリカの基準でいえば、成長不良に見えかねない。でもそれがそれで美しい。
ただアメリカ的な美人のほうが平安美人より美人だと思うことに変わりはない。それでも平安美人を平安美人として、美しいと思いだした。正直驚いた。驚いたまでならまだしも、アメリカの美人を見ても、美人とは思っても、気が乗らないというのか、好きになれなくなってしまっていた。
ここでどうも納得がいかないのだが、アメリカ的なというのかギリシャ彫刻の延長線のような容姿が美人だということ、それが美人の基準であることには変わりがない。街ですれちがって、うんきれいだと思うのはやっぱりアメリカ的な美人の基準に支配されている。でもアメリカ人の、というより白人の美人を見ても、その美が好きになれなくなって、日本人で白人の美人に「ちょっと」近いほうが好きになってしまった。どちらが美人の基準に近いかといえば、アメリカ人の方なのに、基準から外れている日本人の多少アメリカ人的な美人の方に引かれるのはいったいなぜなのかわからない。
日本で生まれて育った日本人ということなのだろうが、それが何の説明になってるとも思えない。どうもそれが美人云々だけでなく、あれもこれもが日本に帰ってきたような気さえしてきた。なぜだかわからないが、年をとったというだけではなさそうだ。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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