今晩はトルコ料理だと宮益坂のアンカラ(ANKARA)という店に連れて行かれた。母娘で何度か来ているようで、駅からまっすぐ迷うこともない。予約しておいたのだろう、一つだけ空いていた奥の落ちつたテーブルに案内された。土曜日の夕食どきだからか、貸しきりパーティでもなければ、使うこともなさそうなカウンター席以外は客でいっぱいだった。そこには、三十前後のカップルもいれば、年配のグループもいる。隣は社会人になってまだ何年でもなさそうな若い女性四人だった。
ウェイターが重そうにメニューを二冊もってきた。一冊は並んで座っている娘二人に、もう一冊が夫婦用にとの配慮だった。まだ二十代半ばにしかみえないが、勉強した流暢な日本語でお勧めの料理を紹介してくれた。トルコ料理は初めてではないが、これといって食べたいものもない。メニューを開いても、眺めているだけで自分から選ぶ気などさらさらない。下手なものを言い出せば、何?という顔をされるだけだろうし、三人に任せにしておいたほうがいい。
三人で相談しながら、最後は娘二人で決めて、ウェイターに確認しながら、あれこれ頼んでいった。よく知っているのに呆れながら聞いていた。何がでてきても食材までしかわからない。出てきたものをおとなしく食べていた。うまいかと聞かれれば、「うん」と答えるが、定番のトルコ料理、特別何がというわけでもない。
椅子の後ろの棚にトルコ旅行のガイドブックが置いてあった。何年も前のものなのだろう、来る人来る人にめくられて、痛んだ表紙や破れたページがちょっと痛々しい。座ったときから気になっていたが、食事の前に手をだせば、行儀がどうのといわれかねない。
料理が途切れるのを待って、何気なくというそぶりで一冊手にとってみた。仕事であちこち駆けずり回ってきたし、駐在も何回か経験して、観光にしてももう海外にという気にはなれない。それでもイスタンブールだけは、一週間や十日じゃ足りない、せめて一ヶ月、できることなら二、三年住んでみたい。東西文化が重なりあって融合した、アメリカやヨーロッパともアジアとも違う、古臭い言葉でいえば、日本の日常からは遠く離れたエキゾチックなイメージがある。まあ、その程度しか知らないということなのだが、いい年になっても夢は夢でもっていたい。
出てきたものを食べながら、何が書いてあるわけでもないガイドブックをちらちら見ていた。女子会なのだろう、隣から女の子たちの楽しそうな話し声と明るい笑いが、何が書いてあるわけでもないガイドブックからのイメージをふくらませてくれた。四人で盛り上がって声も大きい。すぐ隣だからだろう、あちこちから聞こえてくる話し声をバックグラウンドにして、海外旅行にも慣れた口ぶりのイスタンブールやカッパドキアがブルーモスク……が聞こえてきた。
食べるのも落ち着いて、ワインに重心が移って話し声も笑い声も大きくなっていた。そこにウェイターが頼まれたワインを持ってきた。ワインの能書きを聞いていた向かいの一人が唐突に訊いた。
「アンカラって何なんですか」
一瞬、何を言ったのかわからなかった。聞き間違えかもしれないと思ったが、女の子が繰り返した。
「あのー、アンカラって何なんですか」
ウェイターが「えっ」と言葉に詰まっていた。大きな声で話していたから、そしていかにもトルコは料理も含めて知っているという口ぶりで注文していたから、まさかアンカラが何かを知らないはずがない。思わず「なんですか」って訊いた女の子を改めて観てしまった。ちょっと恥ずかしそうにしているが、目はしっかりウェイターを見つめていた。隣にいた子が複雑な顔をして女の子を睨んで、肘で女の子の横腹をつついていた。顔は見えないが、訊いた子に向かって座っている二人も、横腹をつついていた子と同じように、なに?という顔をしていたと思う。
ウェイターもまさか「店の名前ですよ」とは言えない。さりとて、「トルコの首都です」とも言いかねる。相手は子供ではない。若いにしても立派な大人、服装からも口ぶりからもそこそこの社会層で、それなりの教育は受けているように見える。聞こえてきた話から、まさかアンカラがトルコの首都であることを知らないとは思えない。
時間にしてみれば、たかが数秒だった。女の子がなんでそんなことを聞いてきたのかに気がついたのだろう、もう落ち着いていた。一呼吸おいて、それでも意識してか、ちょっと吃りながら、
「ア、アンカラは店の前ですけど、」
どことなく恥ずかしそうに続けた。
「それは、トルコの首都の名前からとったものです」
それを聞いた女の子は、「へーっ、そうだったんだ」という表情をつくって恥ずかしそうに微笑んだ。その仕草、ウェイターには可愛い日本人の女の子と映るか、それとも散々見せられた臭い演技と映っているのかわからない。横腹をつついていた女の子は、何をやってんの恥ずかしいという素振りで、下手な演技をしている女の子を睨んでいた。「やめてよね、みっともない」とでもいわんばかりの顔だった。
店に入ってウェイターを見たときのこの人は大変だろうな、九十九パーセントのうらやましさに一パーセントほどの余計なお世話の不安を感じた。細身で百七十後半の長身、フランス系のような線の細さがある。冷たさや精悍さが勝ちすぎるヨーロッパ系にありがちなところがない。どことなく穏やかなアジア系の雰囲気が混じっている。濃い茶色にブロンドが混じって全体では明るいブラウン、ナチュラルで柔らかなそうな髪がやさしそうな面立ちをひきたてていた。
若い女の子の視線を感じずには渋谷の街を歩けない。どこを歩いても、同性の嫉妬どころか女性からも羨望の目でみられて、ときには声もかけられる。どうでもいい話から始まって、「アンカラって?」と聞かれても、どぎまぎすることもないだろう。それでも「アンカラ」という店で、さもトルコのことも料理も知っているという口ぶりの女の子の口から、まさか「アンカラって何なんですか」、さすがに「えっ」を通り越して瞬時には受けきれなかった。
ウェイターがキッチンに帰ったあとで、三人が声をかけた子に、
「あんた、何やってんのよ。もう恥ずかしいから……」
それまでは聞こえてきただけだったが、おもわず聞き耳を立ててしまった。
「何でもいいんだけどさ、アンカラはないよ。恥ずかしくって、もうこの店には来れないじゃない」
「あんた一人が馬鹿にされるのはかまいやしないけど、道連れにしないでよ、まったく……」
アンカラって何と聞いてしまった女の子、それなりになんと声をかけようかと考えたと思う。あれこれ考えて、どうしようって思っているところにウェイターが来てしまって、とっさに「アンカラ」がでてしまったのだろう。それにしてもアンカラで飯を食ってワインを飲んで、アンカラって何はない。せめて、ブルーモスクの印象だとか、ボスポラス大橋から見た景色とか、もうちょっと気の効いた、そしてこの人はという印象を残せるものがあるだろう。おバカで受けようってのなら、いっそのこと「プエルトルコってトルコのどの辺りなんですか」ぐらいまでいってしまった方がいい。
最初の一声が、第一印象を決める。第一印象がなければ、第二もなければ第三もないこともある。これはナンパでも仕事も同じで、最初にどう切り出すか。考えて考えた末の一言なのに、そのときの場の雰囲気にのまれて考えてきたのとは違う、お馬鹿な一言がぽろっとでてしまうことがある。聞いたほうも「えっ」なら、言ったほうも「えっ」。その「えっ」をうまく転がすアドリブぐらいできなきゃと思いはするが、そこは人をしての経験と厚みが生み出すもので、考えて用意してのことからは出てこない。なんでも準備は必要だろうし、できるものならしたほうがいい。でもできる準備でどうにかなるのはできる準備でできることまででしかない。
第一印象は、極端にいえば可も不可もないものにできればいいとして、問題は次の展開を丁々発止でできるかにある。それは知識や教養にその人の人としてありようからにじみ出るもので、準備した演技ではしきれない。
それにしても「アンカラでアンカラって何なんですか」、大阪駅で降りて、タクシーつかまえて「梅田に行って」というのとも、JRの有楽町を出て、「銀座へ」というのとも違う。そこまでトチれば、恥ずかしいのなんかどこかに飛んでいってしまって、笑い話になる。ただそれは、横で聞いていたオヤジがそう思うだけで、イケメンのウェイターがどう感じたかはわからない。女の子たち、店をでたときには、もう笑い話にしているだろう。そうあってほしいと思う。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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