アンディはニュージャージーの郊外というより、もう田舎に近いところで生まれて育った。あか抜けない、ずんぐりむっくりの朴訥なアイリッシュ、絵に描いたような田舎の若者だった。田舎のぽっと出の二十歳そこそこ、はみ出し駐在員と応援者がしょっちゅうマンハッタンで羽目を外しているのを傍で見ているだけでは収まらない。免疫のないのが毒されるのに時間はかからなかった。
アメリカ人の感覚では、バーなどで女性が隣にすわるということは、状況しだいでゆくところまでゆく可能性を、たとえ明示的でないにしても匂わせていることになる。カウンターがメインのフツーのバーと区別する必要から、ホステスが横に座る日本のクラブをホステスバーと呼んでいる。仕事かなにかで日本にきてクラブに連れてゆかれると、多くのアメリカ人が、よほどの堅物でもないかぎり可能性が気になって、どう振る舞っていいのか、どこまで進められるのか分からない。よくて手を握るくらいで、どうでもいい話をしながら酒を飲むだけだと言ってやると、なんだとちょっとがっかりする。そのがっかりの在り様が人さまざまで面白い。なかには、あらためて顔を上げて、なぜそんなことにお前のような貧乏サラリーマンが散財するのかと、忠告じみたことを言ってくるのがいる。
さんざん応援者の話を聞かされて、日本飯屋やピアノバーに行ってみたいと思うなと言う方が酷だろう。アンディ、ピアノバーで歌うのも、酔っ払いががなっているのを聴くも好きじゃないが、ホステスバーは気になる。ホステスバーもいい経験だろうと、アンディを連れて「銀嶺」行った。
ローラが空いたら、こっちへとお願いしたが、日本人ホステスと指定しなかった。アンディ相手ならアメリカ人でかまわないというより、言葉の障壁を思えばアメリカ人の方がいい。そんな客には希少価値のないアメリカ人ホステスをあてるのがフツーなのに、日本人ホステスがでてきた。日本人ホステスにも希少価値がほとんどない、アメリカ人とたいして変わらないのがいた。ちょっとケバイ化粧の四十は過ぎているのでないかというのがでてきて、のり子だと自己紹介された。邦子は売れっ子だったから、指定して待っててもなかなか空かない。目があって、なんでという顔はされても、気兼ねしなければならないわけじゃない。
のり子は歳がいっているだけでなく、若いときはと思わせるようなものもない。歳相応の話題も、少なくともはみ出し者にはない。田舎のスナックのカウンターの向こうが似合ってる。ただ日本語で話ができるというだけしかない。日本人でも英語での意思疎通が苦ではない人たちや、日本語しかダメという人たち以外では指名することはない。それでもアンディにとっては初めての経験。のり子の拙い英語に合わせて何か話し込んでいた。そうこうしているうちにローラがこっちに来て、二人プラス一人の会話から二人づつの二組の話になった。
のり子に下宿はNew Hyde Parkだと言ったら、じゃあ、「さっぽろ」知ってるでしょうと訊かれた。近いからというだけで、結構お世話になっていると言ったら、あの店は、札幌オリンピックの年に私が開いた店だとちょっと自慢げだった。後日、「さっぽろ」で女将に世間話がてらに、この間のり子さんに会ったと言ったら、顔をしかめて「あんなのと付き合っていたら、どっぽんしちゃうから。。。」と忠告めいた口ぶりだった。なにが「どっぽん」なのか、いまだに分からないが、私生活も含めた荒れを指してのことだろう。女将の口調にはどことなく、のり子と自分たち-店主の旦那と自分のことで触れられたくないことでもあるような響きがあった。のり子から何を聞いたのか気になる様子だったが、お互いそれ以上の深入りはしようとしなかった。
ちょっと経ったらアンディの持ち物が変わっていた。見たことのない柄の財布を持っていた。アンディが財布を見せながら、こんな女々しい財布、趣味じゃないんだけど、もらっちゃったからと言っていた。後日ルイ・ヴィトンだったと知ったが、当時そんなもの目にすることもないし、ルイ・ヴィトンという名前も知らなかった。左手には、いかにもビジネスマンという感じのセイコーが光っていた。それに気が付いて、これもプレゼントされちゃったと、ちょっと恥ずかしがりながらも自慢げな口調だった。残念ながら、あか抜けないアンディにはどっちも似合わない。でも、アンディもなかなかやるじゃないか、そこまで熱を上げるいい彼女でも捕まえたのかと思っていた。
それから数ケ月、どうもアンディの様子が入社したころと違う。セールスマネージャーのトムの息子でニュージャージーの実家から二時間近くかけて通勤していたのが、近くに引っ越したかのようなことを言っていた。ついにアンディも結婚かと思って、冷やかし半分にそれとなく訊いて驚いた。マンハッタンののり子のアパートに転がり込んでいた。歳の差二十近いカップル。二十歳をちょっとでたばかりの田舎者丸出しのアンディに、どう見ても身を持ち崩したとしか見えないのり子。人としてののり子については何もしらない。いい人なのかもしれないが、世間一般の常識(好きにはなれないが)からみて、とても似合いのカップルには見えない。アンディが何かの時に、ぽろっと日本語で言っていた「ちょっとブス、おばさん」その口調が今は一緒にいるのが楽しいという響きがあったのに、のり子には申し訳ないが、ほっとした。トムが仕事のないアンディを連れてきたまではよかったが、そこで距離を保たなければならない日本文化?に嵌ってしまった。
数年後、アンディが半分以上ご褒美で、研修で日本本社に来た。懐かしさもあって夕飯にでかけたら、驚いたことにのり子がいた。欧米人には若く見える日本人女性といっても、歳の差二十は隠しようもない。誰が見ても不釣合いなカップルにしか見えないが、姉さん女房の世話焼きに幸せそうなオヤジの顔をしていた。
他人がとやかくいうことでもなし。アンディとのり子が幸せならいいじゃないか。と思いながらも、その幸せのきっかけを作った張本人として、おめでとうと言わなきゃならないのに、どうしてもすまないという気持ちが抜けきれなかった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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