混迷するエジプト「革命」。1981年以来,政権の座にいるムバラク大統領の退陣も近いと予想されている。ムバラク大統領が後継者と希望するスレイマン副大統領がすんなり政権を継承できる情勢でもない。「ツイッター大統領」と呼ばれるエルバラダイ前IAEA事務局長(2005年ノーベル平和賞受賞者)やオマル・ムーサーアラブ連盟事務総長が次の大統領候補として報道されている。反ムバラク派の誰が次の大統領になったとしても、エジプトの最大野党勢力とされるムスリム同胞団の影響力が格段に増すことが予想される。ムスリム同胞は日本人にとってなじみの薄い組織である。筆者もムスリム同胞団に詳しいわけではないが、何人かの識者にムスリム同胞団について話をうかがった。聞きかじりの断片的な話(オムニバス)になって恐縮だが、お許しください。エジプト事情に詳しい方からの訂正や叱声をお願いします。
① 元祖スンニ派イスラーム原理主義(復興主義)集団・ムスリム同胞団
1928年にエジプトで誕生した。創設者はハサン・バンナーである。当時のエジプトには名目的にムハンマド・アリー朝が統治していたが、実際は連合王国(UK)の植民地であった。ムスリム同胞団が生まれた場所はスエズ運河の中央部にある都市イスマーイーリーヤである。そこには連合王国が所有するスエズ運河会社の本部があった。バンナーはアリー王家と連合王国が進めた西洋化と植民地化に反対し、イスラームの復興を軸に現状打破することを提唱した。エジプトを連合王国の植民地から解放しなければならないと説くことでも多くの支持者を集めた。
1940年代末には人口約2000万人のエジプトにおいて、50万人もの構成員や支持者を集めた。世俗派(西洋化派)や社会主義、共産主義勢力をしのいで、エジプト最大の政治結社になった実力は賞賛に値する。その後はシリア、レバノン、ヨルダン、スーダンなど周辺諸国にも支部ができた。シリアの支部はバアス党のアサド(父親)政権によって残酷に弾圧され、壊滅した(1982年のハマー事件など)。ハマー事件で殺されたムスリム同胞団や巻き添えになった市民は2万人ともいわれている。このアサドをキッッシンジャー元米国務長官は、「20世紀でトップ10に入る優秀な政治家」と絶賛している。ただ、ガザ地区を実効支配するハマースはムスリム同胞団の系列に属する。
② エジプトムスリム同胞団の実力
ムスリム同胞団は1952年のエジプト・ナセル革命に同調したが、その後世俗化、社会主義化をより進めたナセル大統領(第2代大統領)とは離反し、1954年のナセル暗殺未遂事件を契機にして弾圧され、非合法化された。非合法化は現在まで続いている。
ただ、ナセルの後を継いだサダト大統領(第3代大統領)はナセル路線を修正して、左派勢力に対抗する目的から、ムスリム同胞団の復興を支援した。投獄されていた幹部が釈放された。1979年にサダトがイスラエルと和平条約を締結したことから、サダトとムスリム同胞団は対立関係に入る。1980年にサダトはムスリム同胞団系と同根の過激派ジハード団の影響を受けた青年将校に軍事パレードのさなかに暗殺される。
しかし、1971年憲法で、「イスラーム法は法源の一つ」と定められたことはムスリム同胞団の成果といえよう。サダトとムスリム同胞団が蜜月関係にあった時代には、「エジプト人の5人に1人がムスリム同胞団(シンパを含む)という。
ムバラク政権下、ムスリム同胞団は非合法化が続いて、過酷に抑圧されたが、現在でも強大な勢力を誇る。米国の圧力で比較的自由で公平な選挙が行われた2005年の人民議会選挙ではムスリム同胞団系の議員が約20%を占めた。それが、2010年12月の選挙では不正選挙が復活し、議員の数はゼロもしくはひとりになってしまうが(合法政党ではなく、無所属なので数え方で異なる)、最大野党と報道される実力を保持している。
「ムスリム同胞団の構成員はどの団体、組合、企業にいる。今、自由で公正な選挙をすればムスリム同胞団が過半数を握るだろう」という。
③ 本流は穏健で段階的な改革路線
ムスリム同胞団は日本の新聞では、「穏健なイスラーム原理主義組織」という切れ味の悪い報道がされる。その通り、米国から「テロ集団」と扱われているアルカイダなどとは全く性格の異なる組織である。筆者は日本で似たイメージの組織を探すとなると創価学会や公明党になると思う。ムスリム同胞団の敵を単純に図式化すると、世俗派(脱宗教派)と急進派、それにイスラエルとなる。が、本流はあくまで段階的に目標を実現する穏健改革路線という。
軍事政権時代に弾圧された苦い経験から政治活動、軍事闘争より民衆に浸透する経済活動、生活支援、社会活動を行っている。民衆への慈善活動、生活相談や教育・医療サービス、スポーツクラブの運営まで行っているという。
ガザ地区でハマースがファタハ(PLO主流派)に選挙で勝利した原因も民衆に慈善活動などで信頼を得た結果である。ガザ地区の民衆にとって、ファタハはきれい事をいうばかりで、民衆の困難に手を差し伸べず、外国からの援助をくすねて私腹を肥やしている集団というイメージだったいう。
④ ムスリム同胞団の最終目標は
ムスリム同胞団主流派の思想はトルコの政権与党AKP(公正発展党)の思想に似ていると思う。トルコ建国の父であるアタ・チュルクが進めた急進的な世俗化=脱イスラーム教化への反発である。世俗派の守護神である軍隊の脅威に絶えずさらされている点も似ている。しかし、AKPは市場経済を支持し、自由な経済活動を認め、EU加盟も目標にしている。反資本主義、反米路線ではない。イスラーム教に基づいて現状を改革したいというイスラーム復興運動の一つだろう。そこで分岐点になるのが、サウジアラビアやイランのようなスンニ派とシーア派の違いはあってもイスラーム法(シャリーア)を基本とする社会を目標にするかどうかである。筆者は識者からその答えを引き出せなかった。ムスリム同胞団は多様な考えの集団であることら、その目標にも立場の違いや温度差があると推測する。
ただ、ムスリム同胞団が今の段階でシャリーアが基本になる社会を目指すと公言する、過激なイスラーム化路線を鮮明にすると、欧米から警戒されることは間違いない。穏健路線を継続したほうが、政権奪取にも有効だろう。ムスリム同胞団が結成されて、すでに80年あまり。「あと50年、100年くらい待つことすら何でもない」と指摘する声がある。あわてず、時間軸を長く設定して、創設者のハサン・ハンナーが考えたイスラーム主義が生活の中心になるイスラーム復興を目指していると思われる。
国際情勢に与える影響では、サダト以来のイスラエルとの和平路線の修正は動かないものになるだろう。現在、エジプトとイスラエルが協調してハマースが実効支配するガザ地区の経済封鎖をしているが、ムスリム同胞団が政権に参加すれば、この協調体制が終わることは間違いない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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