「3・11」ならぬ「9・11」は10年も前のことであって既に歴史的出来事のように思われるところがある。「9・11」から出てきたアフガニスタンでの戦争は現在でも展開されていて決して歴史的な出来事ではないのであるがそう思えるところがあるのだ。先にはじまったアフガニスタンでの戦争は継続し、後から開始されたイラク戦争が終結されたという事態がそこにはあると言えるのかもしれない。「9・11」から展開されたアメリカの反テロ戦争は現在の存続しているのであるが、それを現在的出来事として認識することが難しいのであり、そのためには意識な努力が必要であると言いたいのである。
僕は前稿でイラク戦争が中近東等の諸国に向けられた側面と日本やドイツなどに向けられた側面があると書いた。「9・11」以降のアメリカの反テロ戦争が地域紛争国などに向けられていたことは明瞭だった。地域紛争がテロの温床になり、ここからアメリカに向けられた闘争(戦争)に発展することにその地域の民主化で対応するという戦略を導いた。冷戦体制の崩壊後に激発した地域紛争へのアメリカの新戦略であったがイラク戦争における「イラク自由化」という理念はそれを端的に現わすものであった。地域の統治権力の自由化や民主化をテロ防止と結び付けるこのアメリカの戦略は冷戦体制崩壊後の新戦略であるが「9・11」がこの導きの糸の役割を果たしていた。これが地域権力の歴史性を媒介にしないものであって地域の紛争やテロを激発させるだけであることは明瞭だった。この一つの回答は「アラブの春」と呼ばれる運動であったと言える。地域紛争の解決やテロの防止に専制的な統治権力の変革(自由化や民主化)が決め手になるにしてもそれは外国からの介入ではなく、地域住民の主体的運動としてしか有効に機能しない。そしてまた。専制的な統治権力の変革は戦争によって成し遂げられるものではない。これはアジア解放の理念を掲げた日本のアジア大陸への進出が導いた結果を見ればよく分かることである。革命の理念を掲げたロシア(スターリン主義)の東欧解放だって同じことである。
地域住民の主体的運動としてしか統治権力の自由化や民主化は出来ないのであって革命の輸出は統治権力の近代化に寄与しないのである。言うまでもなく地域紛争と自国の利害をテロの防止という普遍的の利害で結び付けるアメリカの介入(戦争)戦略はアメリカの支配(覇権)を隠し持つものであった。これはイラク戦争においてはアメリカの石油支配、あるいは中近東の石油支配の野望と言われた。この点を明瞭にしないとイラク戦争は一面的にしか見れない。
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〔opinion0789 :120305〕