インタビュー「上空から攻撃する視点」(『朝日新聞』/8月26日)を読んで――黙殺された国の事例――

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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 『朝日新聞』(8月26日、金、朝刊)に吉見俊哉東大大学院情報学環教授への会見記「上空から攻撃する視点」が載っていた。そこには、東京大空襲、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、そしてロシアのウクライナ侵攻が空爆関連で言及されている。どう言う訳か、NATOの新ユーゴスラヴィア、実質的にはセルビア空爆が全く無視されている。

 冷戦終了後のヨーロッパで勃発した二つの侵略戦争、第一が1999年3月24日から6月10日まで連日続いたNATOの対セルビア大空爆であり、第二が今年2月24日以来のプーチン・ロシアの対ウクライナ特別軍事作戦である。

 「上空から攻撃する視点」と銘打ちながら、アメリカ・クリントン大統領の対セルビア大空爆が言及さえされていない。北米西欧市民社会の軍事力NATOが国際法を侵犯してヨーロッパの小国に断行した大空襲は、日本市民社会としても忘れてしまいたいと言う深層社会心理の一現象であろうか。

 ウクライナ戦争はすでに六ヶ月を超えて続いている。ウクライナ常民の言われ無き苦痛は止むことがない。不幸中の幸いと言うと語弊があるが、侵略者が権威主義国であるが故に、被侵略者ウクライナは、北米西欧日本の市民社会から大量の軍事援助、経済支援、そして人道的同情を受取る。

 それに対して、被侵略者セルビアの場合、侵略者が北米西欧市民社会であるが故に、軍事攻撃だけでなく、経済封鎖、そして人道的蔑視の対象となった。ウクライナ大統領ゼレンスキーは、善の象徴として称賛され、ユーゴスラヴィア大統領ミロシェヴィチは、悪の権化として訴追された。

 ここに紹介したい興味深いデータと地図、そして知るに値する一交渉の記録がある。出所はともにГенерал Спасоjе Смиљанић、АГРЕСИЈА НАТО, Београд、2009、スパソイェ・スミリャニチ将軍著『NATO侵略』(ベオグラード、2009年)である。

 1999年・平成11年3月24日から三ヶ月弱続いたNATO大空襲の強度を1日当たりの出撃空爆回数で見ておこう。空爆第1週(3月24日-30日)、1日当たり207回。第2週(3月31-4月6日)、220回。第3週(4月7日-13日)、244回。第4週(4月14日-20日)、276回。第5週(4月21日-27日)、235回。第6週(4月28日-5月4日)、389回。第7週(5月5日-11日)346回。第8週(5月12日-18日)、383回。第9週(5月19日-25日)384回。第10週(5月26日-6月1日)、497回。第11週(6月2日-8日)、438回。第12週(6月9日-10日)、280回。(pp.59-60)

 上記の回数の空爆をコソヴォを含むセルビア全土の地図にプロットすると以下の如くになる。『NATO侵略』付録13の地図である。但し、複数回空爆を受けた標的・地点だけが図示されている。1回だけ空襲された標的・地点を含めると、この作図法では図示できなくなるからだそうだ。

 ここで、注意すべきは、ウクライナは東欧の大国、人口領土ともに、バルカンの小国セルビアの6倍、ないし7倍であることだ。

 侵略軍がNATO(北米西欧)軍であるか、露軍であるかによって、被侵略国の抵抗能力、特に防空能力に大差が生じ得る。露軍に侵攻されたウクライナ軍の場合、NATO諸国から各種最新兵器が大量に供給されている。課題は、ウクライナ軍がそれらを活用する能力と意志にある。

 NATO軍に侵略されたセルビアの場合、隣国がすべてNATO諸国か、NATO加盟待機諸国であって、軍事援助を期待できる露国は遠い。しかも、その露国の政治指導部にセルビアへ武器援助をする意思が全くなかった。

 本書の著者スパソイェ・スミリャニチは、新ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロからなる連邦)軍の空軍・防空軍の最高司令官であった。NATO空爆と直接対峙した軍人である。彼の証言を聞こう。要約する。

 ――「S-300を持ってますか?」アメリカの空軍特使ジョン・ペンバートン大佐が私に発した最後の質問だった。1999年3月18日のことだ。「あなた方が我国を攻撃したら、わかるでしょう。」――(p.25)
 ――1999年1月末、ユーゴスラヴィア軍参謀総長オイダニチ将軍とロシア軍情報総局長ヴァレンチン・カラベル二コフ大将が会談した時に、私は同席していた。私は大将に言った。「あなたの約束やロシア国家トップの口約束、そんなものは不必要だ。我々が必要としてるのは、ロケット師団、ロケット部隊だ。長距離レーダーとその指揮装置だ。航空隊、特に戦闘機だ。」「我々をこれ以上だまさないでくれ。」とさえ言った。――
 ――そんな空約束の続きで、ロシア大統領ボリス・エリツィンはセルビア・テレビに「空爆はないでしょう。そんなことをロシアは許さない。」と声明した。だが、その時すでに侵略が始まっており、最初のロケットがユーゴスラヴィア内の標的に落下していたのに。――(p.452)
 ――セルビアの将軍達は、ロシアの将軍達がエリツィン政府を説得してくれると期待していた。開戦3日目に防空軍の司令官ムラデン・カラノヴィチ少将を団長にモスクワへ軍事支援交渉チームが派遣された。S-300等各種の対空兵器の供給を求めた。モスクワからのカラノヴィチ報告に「10日間待った。絶望。ロシア民衆とロシア軍は、ユーゴスラヴィア救援と武器供給に積極的だ。しかしながら、エリツィン政府と彼の顧問団は決してそれを許可しないだろう。」とあった。――(pp.455-457)

 かくして、ユーゴスラヴィア軍(セルビア軍)は、手持ちの旧式兵器のみで闘い、それでも、アメリカの最新鋭ステルス戦闘爆撃機一機を撃墜し、NATOに衝撃を与えた。そして、軍は降伏せず、ぎりぎり政治決着をかちとったと評してよかろう。、

 侵略者のNATOと露国とに共通する誤算があった。両者ともに数日で決着がつく心算で戦端を開いた。続く戦争において、セルビア常民の死者達は、国際市民社会の評価ではコラテラルダメージと見なされた。ウクライナ常民の死者達は、侵略の犠牲者と見なされる。

                            令和4年8月28日(日)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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