今日の『朝日新聞』朝刊(11月2日)の記事「ウクライナ侵攻の現場から 7」に「9月には、ロシア、ウクライナ間の捕虜交換でウクライナ側の215人が解放された。アゾフスターリで投降した内務省の部隊『アゾフ連隊』の108人も含まれていたが・・・。」とあった。
私=岩田は、この捕虜交換をベオグラードの日刊紙『ポリティカ』の記事「捕虜救出はビン・サルマンとアブラモヴィチにとって好機(強調:岩田)」(9月30日、p.2)で知っていた。
そこで、私は言語表現の文脈依存性問題にぶち当たった。上記の日本語文章でも「ウクライナ側の215人」が、「ウクライナ側が捕虜にしているロシア人(兵)捕虜215人」ではなく、「ロシア側が捕虜にしているウクライナ人(兵)捕虜215人」である事は、215人の中に『アゾフ連隊』108人が含まれていると言う追加指摘によってはじめて分明になる。
『ポリティカ』紙の記事は、キリル文字であるが、ラテン文字アルファベットに転記すると次のようになる。u razmeni(交換)215 ruskih(ロシア的)za55ukurajinskih
(ウクライナ的)zarobljenika(捕虜)。一読しただけでは、「ロシア人捕虜215人とウクライナ人捕虜55人の交換」、あるいは「ロシア側の捕虜215人とウクライナ側の捕虜55人の交換」、いずれなのか、判然としなかった。しかも後者は二義的であり、前者の意味にもなるし、主客正反対の意味にもなる。記事の文脈から判断し得なかった。
『ポリティカ』紙(10月10日、p.1)に「捕虜交換が実施された。彼等の中には親露派のウクライナ政治家(ウクライナ政権によって逮捕され獄中にいた、すなわちロシア人捕虜と同格:岩田注)がいて200人のウクライナ人兵士と交換された。」と記されており、主客正反対の意味が事実を表現している事が分かった。すなわち、字面とは正反対に、「ウクライナ人(兵)捕虜215人とロシア人(兵)捕虜55人の交換」が行われていた。さらにこの事実を今朝の『朝日新聞』(第9面)で再確認した。
さて、『朝日』記事のテーマは、息子(常民・庶民)を捕虜にとられた母親(常民・庶民)の苦悩であるのに対して、『ポリティカ』記事のテーマは、捕虜問題を国益・国威の為に、あるいは自己利益の為に活用した「大」人物、二人の国政家と一人の「世界市民」にかかわる。
ビン・サルマンは、サウディアラビアの皇太子である。2018年イスタンブールで同国の異論派ジャーナリスト、ジャマル・カショギ暗殺の首謀者である。かかる北米・西欧における汚名を洗浄する意図をもって、捕虜交換という人道的企画にとり組んだとされる。
アブラモヴィチは、プーチン大統領に近いロシアのオリガルヒ(大財閥)、8月末にサウディの首都リヤドでサルマン皇太子と会っていた。捕虜交換がトルコ大統領エルドアンと彼等の仲介で合意されると、ウクライナ側でたたかった外国市民捕虜10人(英国人5人、米国人2人、クロアチア人1人、モロッコ人1人、スウェーデン人1人)を自家用機で自身が付き添ってリヤドまで送り届けた。彼等のうち5人は、ロシア側がネオナチ集団だと非難していたアゾフ連隊、アゾフスターリ(製鉄所)防衛軍の外国市民指揮官であって、リヤドからトルコへ向けて飛び去ったと言う。
この捕虜交換で大きな役割を演じた三人、トルコ大統領エルドアン、サウディ皇太子ビン・サルマン、そしてロシアの大富豪アブラモヴィチの中で、前二者は国政家であるのに対して、アブラモヴィチはイスラエル国籍を有するロシアの一私人かつ「世界市民」である。
私の印象論によれば、二者には夫々の国益・国威概念がはたらいていると思われる。しかし、アブラモヴィチにロシア国益・国威概念があったであろうか。ロシア人捕虜のロシア帰国・受取りに自家用機を提供したのではなく、ウクライナ側の外国市民戦斗者のロシア出国・引渡しに自家用機を提供し、自身も付き添う親切を顕示した、何故か。露国への経済制裁によって凍結されたアブラモヴィチの在北米・在西欧の巨大資産の終戦後における早期解除を狙った布石であろう。人道的動機でもなく、国益・国威でもなく、巨大私益が動機であろう。まさしく、アブラモヴィチにとって、ロシア兵でもなく、ウクライナ兵でもなく、西側からやって来た外国市民兵を救出する事が最大関心事であったろう。ロシア側によって処刑されたかも知れない自分達の勇敢な市民を救出してくれた事に、北米西欧市民社会は好感をいだくに違いない、と計算して。
令和4年霜月2日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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