ウクライナ問題:米攻露守の深層

朝日(3月28日朝刊)耕論面に二人の識者がクリミア・ショックに関するインタビューを受けていた。説得力ある諸見解を示していたが、二人に共通して全く触れていない二つの論点があった。NATOとコソヴォ問題である。

冷戦期は、NATOとWTO(ワルシャワ条約機構)の軍事的対峙・対抗の時代であった。1989-91年期、ソ連・東欧社会主義体制の自崩と共にその軍事機構もまた消滅した。しかしながら、本来的使命が消失した後も、NATOは、生き延び、かつ強化・拡大した。旧ソ連の中核国家ロシア連邦は、資本主義社会に転換したにもかかわらず、西側資本主義諸国の軍事同盟NATOによって押され続けている。

あたかも関ヶ原後、大阪の陣前の様相であるが、プーチンは、淀君ではない。江戸城の家康=オバマ、大阪城の幸村=プーチン、真田丸=クリミア半島と言ったところか。

グルジアから南オセチアとアブハジアをロシアの軍事力でもぎ取り、独立させた時(2008年)も、ウクライナからクリミア自治共和国をもぎ取り、併合した今回も、ロシアの行動をNATO要因を無視して説明するのは、あまりに西側偏奇であろう。グルジアやウクライナの親NATO派政治集団がNATO加盟に成功する前に断固行動する。旧ソ連諸国がバルト三国のようにNATOに入ってしまった後ではプーチン・ロシアに打つ手はない。ウクライナにアメリカの核ミサイルが配備されれば、モスクワまで2分30秒である。プーチンは、半世紀昔のケネディに似た、しかしケネディよりもはるかに追い込まれた立場にある。

 

一人の識者によれば、クリミア併合は、冷戦終結後「力による国境変更」の初事例だそうである。どういうわけか、セルビア共和国からのコソヴォ自治州分離・独立の大事件が全く視界の外に置かれている。1999年、NATO諸国軍による78日間に及ぶ対セルビア大空襲(劣化ウラン弾の大量使用)を経て、NATO諸国軍がコソヴォに進駐し、やがて2008年2月、コソヴォ自治州議会は、セルビアからの独立宣言を議決し、コソヴォ・アルバニア人は、念願の国家独立を果たした。冷戦終結後初めて起こった事態は、「力による領土拡大」である。コソヴォに関連させて言えば、クリミアは先例となって、アルバニアが同じアルバニア人地域コソヴォを併合するであろう将来に効いてくる。アメリカはそれを今のところ許していない。クリミアのウクライナからの分離までは、プーチンはアメリカの論理をそのまま借用して(注1)、自己正当化できる。しかし、併合に関しては、別のレトリックが必要であろう。

ここで、西側を過信したミハイル・ゴルバチョフの発言を紹介しよう。ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(3月18日)による。ゴルバチョフは、クリミアの住民投票の結果を歓迎し、西側によるロシア制裁を批判した。「クリミアは、旧ソ連の法制に従ってウクライナに与えられた。その際に、住民の意思表示は求められなかった。今日、民衆はその誤りを正す決定を下した。1954年のニキタ・フルシチョフの誤りが60年後に正された」

 

クリミアのロシア併合は、河幅数十メートルのドリナ河を隔てるだけのセルビア共和国とBiH(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)のセルビア人共和国とでは受け止め方が違う。

セルビア共和国は、2000年にミロシェヴィチ・レジームが打倒されて以来、ミロシェヴィチが建党したセルビア社会党も先頭に立ってEU加盟路線を突き進んできた。

今日やっと加盟候補国と認定されたので、外交政策がEUのそれからそれるわけにいかない。しかも、ロシア・プーチンの論法を承認すれば、セルビアはコソヴォの喪失を承認せざるを得ない。それはできない。とすれば、アメリカを支持して、ロシアを非難するか。それも出来ない。そんなことをすれば、大空爆と軍事進駐によるコソヴォ分離・独立を承認したことにされてしまう。小国の悲哀である。その悲哀から脱出するには、民族を忘れ、祖国を忘れ、一個人として世界市民になるしかない。しかしそんな特権的可能性が開かれている人々の数は少ない。

かくしてセルビア第一副首相ヴゥチチ(3月中旬の総選挙で絶対多数を獲得したセルビア前進党)は、3月22日に語った。「EU加盟途上の諸義務は尊重する。しかし、ロシアに対して非友好的態度はとらない」「セルビアは、国家の領土的一体性の尊重を主張してきた。今もそうである」「セルビアの領土的一体性を踏みにじってきた人々がわれわれに領土的一体性について講義する資格はない」(『ポリティカ』2014年3月23日)。

セルビア人共和国の大統領ドディクは、BiHからの独立、そしてセルビアへの併合を望む。それ故ヴゥチチと異なって、「クリミアの住民投票は、人民の意志の民主的表明である。尊重されるべきだ」と直截に語る。アルバニア人と同じ利害。

 

NATOとロシアの大戦略の交叉に関して興味深いスペキュレーションがある。「ウクライナとユーゴスラヴィア」なる小論文(ベオグラードのヨーロッパ研究所元研究員ミシャ・ジュルコヴィチ)がそれである。要点を紹介する。

ウクライナとグルジアの主権がテーマとなるときに、国際法が有効とされる。しかし、ユーゴスラヴィア、あるいはセルビアの主権がテーマとなるときは、国際法が無効とされる。それは何故か。かつてマドレン・オルブライトは、「ロシアが今日の形で存在することはできない。たった一つの国がシベリアや極東の大地に賦存する諸資源すべてを管理しているのは公平ではない」と語ったことがある。

ブレジンスキは、「ウクライナなしのロシアは、普通の国である。ウクライナを有するロシアは、帝国である」とかつて書いた。米国の元国務長官と元大統領補佐官の言である。無視できない。要するに、プーチンが追求するユーラシア同盟構想にウクライナが引き込まれることを是が非にも阻止する。

アメリカ外交の公理がここにある。何故かと言えば、ユーラシア同盟の潜在的加盟国にとって、ウクライナの加盟は、同盟がロシア支配に堕落しないために必須条件だからだ(『ポリティカ』2014年3月6日)。

私、岩田がシュルコヴィチの言いたいところを明言すればこうなるだろう。ウクライナの喪失⇒ユーラシア同盟(帝国)構想の破産⇒普通の国ロシア⇒シベリア・極東の資源コントロール権の喪失、あるいは弱化⇒西側による当該諸資源へのアクセス権確立、あるいはアクセス容易化。かかる目に見えないシナリオの世界で米露は攻守関係にある。頭の片隅に入れておいてよい見通しである。   平成26年3月28日

 

(注1) もちろん完全なアナロジーはありえない。コソヴォでは、コソヴォ解放軍が蜂起して、一時はコソヴォの半分以上を支配した。セルビア軍・警察部隊の反撃によって鎮圧された。その過程でいわゆる人道的破局が実態以上に報道されて、NATO出撃を容認する社会心理が市民社会に成立した。クリミア危機では、クリミア解放軍が立ち上がったことはない。ロシア軍出兵をロシア社会に迫るようなクリミア住民の悲劇がウクライナ軍警によってなされたことはない。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2585:140401〕