オセロN女もオウム真理教も、時代の危機のシグナル!・・

著者: 大木 保 おおきたもつ : 心理カウンセラー
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時代にいたたまれなく解離し、依存を欲求し、あるいは神との同化を欲求する人が社会にあふれる日も遠くない。–

ロウバイのかたい花が風におとされ、マンサクの花がしずかにひらきはじめる

微かな季節の変わり目に気づくこともなく、 

わたしたちは、のほほんと心ゆたかに暮らすことをゆるさない時代のなかで、 

たがいの視線を背にうけて

軽薄を生業とする芸能人に似せるように、口先だけの

軽口をあわせては ため息をついて

来る日も来る日も、 時間だけが虚しく消費されてゆく。・・・
さて、ことほど左様に、くちびるどころか身も心も寒い時代には

おもいもよらないところから、時代の危機が心的な病理のかたちをしてあらわされるものです。

ある読者の方から、
近頃マスメディアでしきりにスキャンダラスに報道されているタレントN女のことについて質問をいただきました。

– はたして彼女はなぜ、どうして占い師だか霊能師だかの女性の言葉にひきよせられたのか?・・

「個」としての人は恒常的な精神の抑圧から、社会への不安・予期不安・恐怖をかかえこむと、

社会(のなかで生かされていることを失念)を拒もうと、固有の自己観念に内向します。
するとやがては結果的に、精神の逸脱や破綻として表現されることからまぬがれないことになる。

いま、N女は「どうしようもない生き難さ」というものを、

不可解にも破綻してゆこうとする「個」 として、

この時代、この社会にむかって無意識に表現しているようにおもえてならない。・・
それはまた、かつて初期オウム真理教へのひそやかな熱狂としてあらわされたときの

それぞれの生き難い「個」の、「時代の危機」の表現ともじつのところ変わらない

無意識のシグナルだとみとられる。

それぞれの「個」が、それぞれの固有の生活の中で精神の生き難さにとまどい、

それを無意識のうちに病理の方向や信仰の方向へとむかわざるをえないところにこそ、
この時代のかかえる病理が、危機が、鮮明に暗示されているとみなければならない。・・

この国が「個」を疎外してすべての商品化・記号化思考を完成し、

ついには「消費が病理行動となる」時代をむかえたとき、

国民の自己意識が了解意識そのものから解離をしめし、

まして、関係意識の形成に及びがたく、あるいはゆがみをともない、不全を成すとき、
ひとは不可解なうちに、破綻してゆくことを 個としてはとどめようがない。
– N女の場合、知りえる情報では、
直近の行動履歴の、「無自覚な過食による肥満とダイエット」いうことがあります。

このことがきっかけとなって、占い師(霊能師?)との密着した関係が形成されたかどうかは、あまり大きな問題ではありません。

いうまでもなく、個の尊厳にとっては、そのようなことが大した事であるはずもないわけです。

そうではなく、どうしてもだれかにつよく依存・同化しなければ生きられないとかんがえる

彼女のやせ細ってしまった精神、その心的な動機が問われてよいわけです。
むろんのことに、心的な逸脱や破綻は思春期以降あるいは成人したあとに発現することが一般的ですが、

そのもっとも深層部での心的な病いの原因は、もっとはるかに遡った、
胎・乳児期の母子関係の形成のところまでたどられなければならないものです。

おなじような体験を契機としても、あきらかに片方の精神がやせ細るというとき、

その不可解な相違は、遠い生育歴にこそあるとみとめるほかないわけです。

しかしそこは、どのようにもたどり着けないふたしかな記憶の海の底ゆえに、

その遡行の手前の幼児期の記憶をたよることで、

その不可解な傾きの性向の刻印の片鱗をうかがい知ろうとするわけです。

それは「生育歴による性格形成プロファイリング」といわれるものです。

しかしながら、「個」の性格形成がその時代の両親、とくに母子的な関係性にあるというとき、

いやでもその時代の性格ともいうべき歴史性が、その家族に容赦なく影響することも自明なことです。

この、どんづまったような時代のなかで、

いたたまれなく無意識に解離し、依存を欲求し、あるいは神との同化を欲求する人が

社会にあふれる日も遠くないようにおもえる。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0788:120305〕