東日本大震災と、同時に起こった福島原発事故からすでに100日になろうとしています。被災地には、6月17日現在でも岩手・宮城・福島の3県で約66,350名の自衛隊員が出動しており、うち約250名が原子力災害派遣です。米軍や自衛隊が大きな顔をすることには批判的な方も多いと思いますけれども、実際に3.11以後の事態で自衛隊・米軍がどのような役割を果たしたかを検証することからお話を始めたいと思います。幸いにインターネットで米軍・自衛隊のサイトから相当な情報を得ることができます。
●自衛隊の初動は早かった
震災での自衛隊の初動はきわめて敏速でした。地震の発生が14時46分、防衛省災害対策本部が設置されたのはその4分後、つまり津波が来る前のことです。15時ちょうどには仙台の霞目駐屯地から映伝機ヘリ、つまり地上の状況を撮影して映像を生中継するヘリが離陸して、活動を始めました。同時に各県庁に連絡監部が派遣されて、情報収集を始めました。
これに対して首相官邸の初動は遅くて、自衛隊への大規模災害派遣命令が出たのは18時、原子力災害派遣命令が出たのは19時30分です。命令の3時間前から自衛隊は出動していたことになります。
なぜ命令なしの出動が可能だったかといえば、阪神大震災のときの自衛隊派遣の「遅れ」の教訓から、自衛隊法83条を改正して、要請や命令がなくても災害出動ができるようにしていたからです。各県と自衛隊は災害対処を協議してマニュアルを作り、マグニチュード7以上の地震が発生したときには、当該地域の自衛隊は自動的に第3種非常勤務態勢に入ることになっていました。1時間以内の出動が可能となる態勢です。
というわけで自衛隊は迅速に出動したわけですけれども、被災地では自衛隊部隊そのものも甚大な被害を受けました。とりわけ航空自衛隊松島基地は津波で壊滅的は被害を受けて、救難捜索機、救難ヘリ、そしてF2戦闘機18機などが破壊されました。同基地の有名な曲芸飛行部隊、ブルー・インパルスは九州新幹線全通記念イベントに出席するため出かけておりまして、無事でした。また宮城県沿岸部に出動するはずだった多賀城の第22普通科連隊は、津波で車両が使用不能になりました。
傷を受けながらもこのように迅速な出動を可能にしたのは、地震を想定した訓練が行われてきたからです。大きなものでは「みちのくアラート2008」というものがありますけれども、08年10月31日から11月1日にかけての、東北方面隊の震災対処訓練です。宮城県沖でマグニチュード8の地震があり、大津波が来たとの想定で、24自治体が参加、市民を含めて18,000人が参加した大規模な訓練でした。
これは陸上自衛隊の訓練ですけれども、このほか昨年4月26日には統合幕僚監部が「首都直下地震発生時における災害派遣」という文書をまとめています。昨年10月20日から21日にかけては、浜岡原発事故を想定した「平成22年度総合防災訓練」が行われていました。
また兵站、つまり人員・物資の輸送に関しては、本年2月17日に東部方面総監を長とする大規模な兵站演習が行われています。今回の出動では、補給ラインとして3本が設定されました。北海道補給処(島松)、関東補給処(土浦)、東北補給処(仙台)に、それぞれ前方支援施設(FSA)が設置されています。
ついでに申し上げますと、宮城県知事の村井嘉浩さんは元自衛隊員です。陸上自衛隊東北方面航空隊のヘリのパイロットだったわけですが、退官後、松下政経塾・宮城県議を経て05年に知事となり、いま2期目です。
●自衛隊はどのように役だったか
さて、自衛隊はどのように役だったか。阪神大震災のような地域限定、しかも交通便利なところでの災害と違って、まさに「みちのく」の広大な地域の被災であり、入口の福島が原発事故という事態でしたから、組織的に行動できる部隊として自衛隊以外に頼れるものがなかったのは事実です。
まず救難活動。人命救助、病院・避難場所への移送で、約19,000人が助かりました。なお20の国から救難隊が来ましたけれども、人命救助の実績はゼロでした。
次に救援物資の輸送。東北自動車道を自衛隊は優先的に使用して、一元的に燃料・生活用品・水・食糧など、ピーク時には連日100トン以上の輸送を担当しましたので、効率的な輸送ができました。ただし、自衛隊でなくてもできる部分にまで自衛隊を使って、救難活動や瓦礫撤去に支障は無かったのかという批判があります。
そして遺体捜索。4月20日までに8372体ですから、さらに多くの遺体を収容しているはずです。損傷した遺体を収容して、個人識別ができるよう遺体組織の一部を保存したうえで仮埋葬するという、誰もが尻込みするような作業が自衛隊に任されました。
これらが災害派遣出動の主な項目です。そして原子力災害派遣は、大宮の中央即応集団・中央特殊武器防護隊がメインです。これは旧101化学防護隊で、サリン事件などで出動した実績があります。生物・化学兵器に対応したり、拡散した放射性物質から部隊を守る役割をしますので、対ゲリラ・コマンド戦では活躍しますが、残念ながら破壊された原子炉を修復する能力はありません。
爆発した原子炉周辺の片付けのために戦車も出動しています。自衛隊の持つ戦車ではいちばん旧型の74式戦車です。与圧によって外気が中に入らないようにできる、つまり放射性物質から乗員を守ることができるとのふれこみですが、自在に動くことはできずに撤退しました。90式戦車や10式戦車より軽いとはいえ38トンありますから公道を自由には走れず、富士山麓の駒門駐屯地からトレーラーに載せて運びました。
自衛隊の活動で重要なのは、陸海空が統一された司令部のもとに一元化されて運用されたことです。災統合任務部隊JTF-TH(Joint Task Force 東北)と名付けられましたけれども、司令官は陸上自衛隊東北方面総監・君塚栄治陸将です。仙台に司令部を置きました。演習以外では、陸海空の3自衛隊が統合運用されたのはこれが初めてです。3自衛隊はそれぞれ独自の発展を遂げてきて、予算獲得時にはライバルになりますから、あまり仲は良くなかったのです。統合運用の米軍と共同作戦を行うために必要なので、06年から自衛隊も統合運用をするようになっていました。
なお、原子力災害派遣部隊はこの統合司令部の下には入らず、別個に朝霞の中央即応集団に司令部を置きました。
●自衛隊の半数が災害出動中でも誰も攻めてこない
自衛隊の定員は24万人を割っていますが、今回は菅首相の一声で約10万人が災害出動しました。軍の常識では実戦に投入できるのは実勢の3分の1がせいぜいですが、今回は予備自衛官を含めても、常識外れの多数の兵員を出動させたことになります。約半分が東北に行ってしまった。残る半分で国土防衛ができるかといえば、できてしまったわけですね。この間、手薄なことが明白なのに、誰も攻めてこなかった。自衛隊の定員は半分でいいと証明したようなものです。
もちろん、ロシアや中国からの動きが全くなかったわけではありません。
3月17日にはロシア空軍の電子情報収集機イリューシン20が日本海で日本領空に接近しています。航空自衛隊がスクランブル発進して領空侵犯のないように対処しました。3月21日にはロシアの戦闘機スホーイ27がウラジオストクから秋田沖へと抜けています。また同日はロシアの電子戦機アントノフ12が能登半島沖から北海道西方沖へと飛びました。これらは日本の領空警備状況の偵察もあったでしょうが、原発事故データ収集の目的もあったのではないかと思います。
中国からは、3月26日に国家海洋局のヘリZ9が東シナ海で自衛隊の護衛艦「いそゆき」に接近しました。4月1日には同じ国家海洋局のプロペラ機Y12が同じく60メートルの至近距離まで接近しました。これらは尖閣諸島警備状況の視察でしょうが、海軍ではなく、日本の海上保安庁にあたる国家海洋局によるものであることに注意する必要があります。中国は不要な挑発にならないよう配慮していたわけです。
そして自衛隊は、半数が災害出動する中でも、主力部隊は被災地に出動させずに温存していました。千歳の第7師団。練馬の第1師団。熊本の第8師団。那覇の第15旅団。いずれも主体部分は被災地に送ってはおりません。
自衛隊災害出動をどのように見るか。自衛隊は、首相官邸の情けなさに比して、たいへん頼もしい、有り難い存在となりました。彼らの活躍については、正当な評価をする必要があると思います。ただし、命令や要請なしにこれだけ動いていいのか、軍主導の災害対策でいいのか、というあたりはもう少し検討する必要があると思います。
●オペレーション・トモダチとは何か
今回の災害に対しては自衛隊だけではなく、米軍が大きな働きをしました。オペレーション・トモダチ、すなわち「友達作戦」という名称が付けられています。沖縄で評判の悪くなっている米軍、本当にいざというときに頼りになるのかと疑われている在日米軍は、ここで悪評を挽回したかったでしょう。
空母ロナルド・レーガンはなんと3.11の2日後、13日には仙台沖に現れて、救援活動を開始しました。原発災害の影響を恐れてすぐに沖合に移動しましたけれども。艦載機は山形空港を補給拠点に使いました。山形空港は民間空港ですが、県知事は米軍の要請を直ちに受け入れて使用を許可しています。米国西海岸のコロナドにいたロナルド・レーガンがなぜこんなに早くが到着したかといえば、米韓合同演習に参加する予定で5日にはすでに出港していたのが、急遽行く先を変更したからです。
佐世保に常駐するエセックスは沖縄の海兵隊を載せて、日本海を秋田沖回りで北上して、仙台沖に向かいました。この部隊の一部は交通の途絶した宮城県の大島に救援物資を運んで喜ばれました。
揚陸艦トーチュガは、苫小牧から陸上自衛隊第5旅団の300人を青森に輸送しました。
グアムからは無人偵察機グローバルホークを持ってきて、原発を含む航空写真を撮影しました。なんとカリフォルニアの基地からの遠隔操作です。ただし撮影された画像は公開されておりません。解像度は軍事秘密だからです。
いちばん凄かったのは、仙台空港の復興を迅速にやってのけたことです。津波で壊滅した仙台空港に3月16日、第17特殊戦飛行隊が兵と車両をパラシュート降下させました。降りた部隊は滑走路の使用可能部分にマーキングをして、管制なしに特殊作戦機を着陸させました。特殊作戦機といってもプロペラ機のC130輸送機、自衛隊も使っている機体ですが、よく訓練された部隊による運用です。そして20日からはもうC17Aグローブマスターという大型の輸送機が発着して、大量の人員・物資を輸送しました。
米軍以外でも、たとえば3月17日、オーストラリア空軍のC17が嘉手納から横田へと自衛隊部隊を輸送しています。
原発事故対応で鳴り物入りでやってきた米国のCBIRF(シーバーフ)と呼ばれる部隊は、実質的には何もせずに帰りました。この部隊は大宮の特殊武器防護隊と同じ役割のもので、壊れた原発を直す能力は全くありません。
これらの動きでもすでに明らかですが、自衛隊と米軍は緊密な連絡のもとに動きました。共同調整所が設置されています。3月14日に座間の米陸軍第1軍団前方司令部から10人が陸上自衛隊仙台駐屯地に派遣されて、これが現地共同調整所を構築する準備をしました。そして仙台と市ヶ谷に米軍・自衛隊の共同調整所がつくられて、毎日2回の会議を開き、任務分担を決めて救援活動が実施されたわけです。
米軍からは約1万6000人が救援活動に参加しました。在日米軍は第7艦隊を含めて約4万9000ですから、その約3分の1の数です。統合支援部隊JSF(Joint Support Force)が組織されて、司令にはパトリック・ウォルシュ太平洋艦隊司令が就任、横田に常駐しました。自衛隊側からは番匠幸一郎防衛副長官が横田に常駐しました。この人はイラク派遣第1次隊の指揮官だった人です。共同調整所は自衛隊の本拠である市ヶ谷、現地調整所が仙台とはいえ、実質的に横田とハワイを結ぶラインが「調整」の要だったことになります。
米軍側のトップは在日米軍司令部ではなく太平洋軍司令部からの派遣ということで、相当に力を入れています。これは沖縄で普天間問題が膠着していることや、米軍犯罪が根絶されないことで日本国内に蓄積されている不満を払拭するため、ということもあるでしょうが、双方の統合司令部の調整で対処する方式を、演習ではなく実戦的に実施できる機会を最大限に利用したというのが本当のところでしょう。
調整Coordinationとは、一方が他方の指揮下に入るのではなく、対等平等の立場で協力しあうことを言います。今後は東アジア有事の際にも、日米軍事協力・米韓軍事協力は「調整」でいきたい、という米軍の意向が透けて見えます。むろん日米・米韓が対等であるはずはありませんが、自衛隊も韓国軍も自らの分担分に関しては責任を持って対処する、ということです。
原子力災害についても、3月22日には「日米協力の最高機関」(細野首相補佐)として「福島第一原発事故の対応に関する日米協議」が発足しています。
なお、横須賀で定期点検中の空母ジョージ・ワシントンが福島原発事故の影響を恐れて佐世保に退避したのは、これも朝鮮半島有事演習をなぞったことになりました。原子力で動く船が原子力災害が怖いというのはジョークにもなりませんが、軍事リポーターの石川巌さんによれば、米軍は「原子力災害フェーズ1」を発動したようです(『軍事研究』6月号)。横須賀の第7艦隊は一時、すべて姿を消しました。有事に日本の原子炉が破壊された影響で横須賀が使えなくなったときは佐世保に退避する。そのようなマニュアルがあるのでしょう。
●もともと日米安保は朝鮮半島有事対応のため
自衛隊の前身である警察予備隊は1950年、在日米軍の主力が朝鮮戦争に出撃してしまった空隙を埋めるために組織されました。51年の旧安保条約における極東条項も、メインは朝鮮半島だったと思います。65年に暴露された三矢作戦計画は、第二次朝鮮戦争が起こったときに日本側はどのように米軍に協力するか、というシミュレーションでした。このように朝鮮半島有事対応を第一に考える日米安保体制は、自衛隊海外派兵がイラク・ソマリアにまで及ぶようになった現在でも変わっておりません。
99年に周辺事態法ができています。日本の周辺地域で紛争が起こって、日本に波及したときを想定するものです。周辺地域はどこかといえば、台湾海峡や南シナ海ももちろん含みますけれども、メインはやはり朝鮮半島です。周辺事態における自衛隊・米軍の共同作戦計画は01年に完成したとの国会答弁がありましたが、その文書の実物は国会議員も見ることができません。この延長線上で03年、05年に有事法制が完備して、有事の国民動員体制までが法制化されたことはご存じのとおりです。
軍事評論家の福好昌治さんは、「トモダチ作戦は日米共同作戦における調整要領の実戦的訓練にもなった」と書いています(『軍事研究』6月号)。横田のJSFは、有事にはJTF(Joint Task Force)になります。
じつは共同作戦のための自衛隊・米軍の調整は有事に行われるのではなく、平時から日常的に行われています。97年の新ガイドライン(日米防衛協力の指針)で決められたことですが、「調整メカニズム」のもと、防衛省・外務省だけでなく必要に応じて他の関係各省庁の課長クラスにいたるまでが参加して、在日米大使館・在日米軍の課長クラスと協議して、有事の日米協力の調整に当たっています。
そこで朝鮮半島有事のさいの具体的な日米の共同作戦が問題です。前ほど、空母ロナルド・レーガンが震災2日後には宮城県沖に現れたのは、米韓共同演習に参加する途中だったためとお話ししました。この米韓共同演習こそが、朝鮮半島有事対処、概念計画(Draft Operation Plan)5029を作戦計画に練り上げるための演習だったのです。米韓は3月から4月にかけて、指揮所演習ウルチフリーダム・ガーディアン、実動演習キー・リゾルブ、実動演習フォール・イーグルの3つの共同演習を立て続けに実施していました。
演習は、単なる訓練とは違います。シナリオに基づいて行い、作戦計画を練り上げていくために行われます。この場合の作戦計画(OPLAN)5029のためのシナリオは6項目を含んでいました。①核・ミサイル、生化学兵器など大量破壊兵器の流出、②北朝鮮の政権交代、③クーデターなどによる内戦状況、④北朝鮮内で韓国人を人質にとる事態、⑤大規模な脱北事態、⑥大規模な自然災害など(2月15日デイリーNK、金泰弘記者による)。見られるように①⑥あたりを日本で実戦的に演習することができたことになります。
●作戦計画5027から5029、5030へ
この間、日米・米韓の共同演習を見ますと、運用の一体化が進んでいます。昨年10月の日米共同演習キーン・ソードでは、自衛艦に米給油艦が給油をする場面が公開されました。また航空自衛隊のE767早期警戒管制機を先頭に米日の戦闘機が編隊を組む写真も公開されています。この共同演習は4万4000人が参加する大規模なものでした。
米韓の共同演習が立て続けに行われていることは前に述べました。
かつては米韓共同演習チーム・スピリットと、日米共同演習ヤマサクラ(実動演習でなく指揮所演習ですが)が連動・連続して行われていましたが、これは94年からは休止されています。しかし共同作戦を織り込んだ作戦計画を練り上げていくことで、米日韓の共同による北朝鮮包囲・脅迫が継続されています。
有名な作戦計画はOPLAN5027と呼ばれるものです。92年あるいは94年に策定されて、以後2年ごとに改定されました。極秘のはずの作戦計画なのにその概要が分かるのは、意図的にリークして脅迫の材料とするためです。OPLAN5027も、94年3月の韓国国会で韓国国防相が概要を説明しています。
OPLAN5027は武力で北朝鮮政権を打倒して、南北統一をなしとげる作戦計画です。北の軍隊が境界線を越えて南下してきたとき、米韓は共同して北の南進を阻止し、首都ソウルを死守する。さらに境界線を越えて北進し、平壌を包囲、米韓軍は中国との国境までを制圧する。北政権を打倒し、統一政府を樹立する。
この作戦計画には、自衛隊の後方支援が織り込まれています。防衛庁(当時)は「K半島事態対処計画」をまとめました。日本の国内法としてこれに対応した周辺事態法、有事法制が整備されたのは前に述べたとおりです。韓国国防院でも94年4月に、第二次朝鮮戦争シナリオを作成しています。
しかし、現在ではこの作戦計画が実施される可能性はきわめて低くなりました。代わって登場したのがOPLAN5029と5030です。
米軍が概念計画5029を策定したのは1999年と言われます。これは前に6項目のシナリオをお話ししたように、北の政権崩壊に対応する作戦です。99年8月にティレリ在韓米軍司令官がその存在に言及しています。しかしこれを米韓共同作戦に練り上げていく過程で太陽政策を継続していた盧武鉉政権は躊躇して、05年に米韓協議を中断してしまいました。それが李明博政権になって協議が復活して、連続的共同演習でOPLANに練り上げていく作業が行われているわけです。
もうひとつ現役の作戦計画が、5030です。米軍側では03年に策定されていますが、これもまだドラフト・プランでしょう。しかしこれに基づく演習はひんぱんに行われています。中味を簡単に述べますと、攪乱工作作戦です。北に軍事的圧力をかけて北の政権内部での反乱・政権崩壊を誘発する。ひんぱんに演習を行って、対応せざるを得ない北の備蓄燃料などの枯渇をねらう。韓国軍に領空・領海侵犯をさせないようにしようとすれば、北の戦闘機・軍艦が出動せざるを得ませんから。蔚山にF117ナイトホーク戦闘爆撃機を配備して情報収集活動をしているのは、この作戦のためと言われます。
こうして作戦計画5029、5030を練り上げ、事実上の日米韓共同作戦体制をつくる作業が進行中です。ではなぜ自衛隊・韓国軍の役割が強化されるのか。理由は簡単です。米国には東アジアに大軍を送る余裕がないからです。
09年1月、米国の外交問題評議会、これは『フォーリン・アフェアーズ』という権威ある外交専門雑誌を出しているところですが、朝鮮問題で特別報告書を出しました。ここにはこう書かれています。北朝鮮政権崩壊の混乱に米軍が介入した場合、最大46万人の兵力が必要だと。イラク派兵最大時よりもはるかに多いですね。さすがにベトナム戦争時よりは少ないですけれども。イラク・アフガン派兵では州兵まで送ったり、若者を相当に無理をしてリクルートしたりしていますけれども、中東に加えて朝鮮半島に46万の兵力など、送れるはずがありません。だから日韓をあてにするわけです。
北朝鮮はこのような包囲・脅迫を受けてハリネズミにならざるを得ません。では本当に北朝鮮は脅威なのか、日本に攻めて来ることがあり得るのかを分析してみたいと思います。
●延坪島事件とは
昨年11月23日に延坪島事件がありましたね。北朝鮮軍が島を砲撃して、2人の韓国軍人と、軍施設の修理に当たっていた2人の民間人が亡くなりました。野蛮な行動だと思いますけれども、この事件は突然に起こったものではありません。
この日、延坪島駐在の韓国海兵隊の砲撃訓練が予定されていました。朝の8時20分に北朝鮮は訓練中止を求め、実施すれば報復するとのファクスを送りつけてきました。実際に北では後方の第4軍団ロケット砲旅団から18門の砲が延坪島の対岸に展開しているのを、韓国側も承知していました。このような警告を無視して10時30分に韓国側が海に向けて砲撃訓練を始めると、北朝鮮側は14時34分から島への攻撃を始め、これによって韓国側に4人の犠牲者が出ました。韓国側も14時47分から北朝鮮側に反撃しましたが、これによる北側の被害は不明です。
この島は南北対立の象徴のような島です。1945年に日本の植民地支配が終わって以後、38度線の南側にあったこの島は対岸の甕津半島とともに韓国の京畿道甕津郡に所属しました。朝鮮戦争によって甕津半島は北朝鮮の支配下に入りましたが、延坪島は韓国領にとどまり、95年に仁川広域市に編入されました。対岸の甕津半島からわずか12キロですが、ここが境界線となり、島には韓国海兵隊が常駐しています。
朝鮮戦争が休戦となったとき、陸上では38度線近くに軍事境界線を引くことが合意されましたけれども、海上では境界線についての双方の主張が異なっています。「国連軍」が定めた北方限界線と、北朝鮮の主張する海上軍事境界線が異なるわけです。北朝鮮の主張によれば、韓国の延坪島領有は認めるけれども、同島は軍事境界線から神社の参道のような細長い水路の奥に袋小路のような形で存在している。この水路以外はすべて北朝鮮領という主張です。北方限界線は延坪島と甕津半島の間に引かれています。このように境界についての合意がないため、海上では衝突が起こりやすい状況が続いています。
昨年3月には韓国の天安艦沈没事件がありました。北朝鮮軍の攻撃によるものとされていますが、異論もあります。朝鮮戦争が休戦となった53年以来、韓国と北朝鮮の間では、絶え間なく互いに挑発し、衝突する事件が相次いできたわけです。今年の1月3日、韓国国防省は休戦以来の北の挑発は221件、うち武力挑発が25件と発表しました。韓国側からも、とりわけ軍政時代には実尾島事件のような、金日成暗殺計画も現実にありました。
延坪島事件をどう見るか、ということですけれども、北朝鮮指導者の命令による組織的な行動というよりは、北朝鮮権力内部での抗争の結果と見るべきだと思います。09年2月には中央総参謀長の金格植、この人は83年のラングーン事件責任者の古参の軍人ですけれども、格下げで第4軍団長に転出しました。第4軍団はまさに今回の事件の当事者です。他にも09年11月には北の哨戒艦が韓国軍との銃撃戦に大敗して逃げ帰り、責任をとって総参謀部作戦局長の降格がありました。天安艦沈没事件の後、北の軍幹部約100人が一斉に昇進しています。軍内部で権力闘争があり、それは金正日への忠誠競争の形を取るわけです。
延坪島事件は日本で大々的に報道されて、今にも北朝鮮が日本に攻めて来るとか、朝鮮戦争が再開されるかのように煽る評論家もありました。そのなかで新「防衛計画の大綱」が抵抗なく成立し、沖縄知事選挙では伊波候補が負けました。
では、本当に北朝鮮は脅威なのか。
●北朝鮮軍の実力
ロンドンの国際戦略研究所が毎年出している『ミリタリー・バランス』という本があります。軍事オタクの聖書ですが、2011年版が3月に出たところです。これによって北朝鮮軍のデータを見てみましょう。
北朝鮮軍は119万人。人口が2399万の国ですから、5%が軍人ということになります。人口に比して膨大な数ですが、これは軍人でないとまともな人間として扱われず配給もない、だから軍人になりたがる、ということもあるでしょう。旧社会主義国で共産党員でないとまともな人間として扱われなかったのと同じです。軍人は糧食の優先配分を受けるとはいえ主食だけで、副食は自給です。弾薬の不足もあって、ふだんは農業をして暮らしている。屯田兵のようなものですね。
虎の子の兵器としてミサイルがあります。ノドン欧米で呼ばれているミサイルは最大射程1500キロで日本を狙えますが、半数必中界250-500メートルと、正確さに欠けます。より大きなテポドンは射程3000-4000キロのミサイルです。核兵器開発を進めていますが、まだミサイルに搭載できるほどの小型化には成功していないようです。
戦車が3500台ありますが、ほとんどは50年代製という骨董品のようなもので、現代の戦車戦には使えません。戦闘艦は1500トン級のフリゲート艦が3隻、これは海上保安庁の大型巡視船クラスです。他の艦艇は沿岸警備用の小型艦と、工作員潜入用の小型潜水艦だけ。
爆撃機はこれまた50年代のイリューシン28。米韓日の防空網は突破できないでしょう。戦闘機458機のうち第4世代、つまりいま空中戦のできる能力のあるのは69機。しかも燃料不足でパイロットの年間飛行時間は20時間だといいます。これでは飛行がやっとで、とても戦闘はできません。日本や韓国の戦闘機パイロットは少なくとも年間150時間は飛んでいます。戦闘機の代わりにプロペラ複葉機のアントノフ2が多数あって、低空を低速で侵入するのに用いると言われます。
この状態で朝鮮戦争が再開したら、北の敗北は明白です。だから通常の戦争はあきらめて、核開発とゲリラ・コマンドに依存して、あとは外交努力で生き抜くほかはない。戦争など望むはずがありません。
対する韓国軍は、68万5000人。人口4850万。経済力は北とは桁違いですから、戦車2414台のほか、戦闘機はF15、F16と最新式、海軍にはイージス艦があり、ミサイル防衛システムがあります。
さらに在韓米軍2万5000がいます。主力は議政府にいる第2歩兵師団と、烏山の第7空軍です。海軍と海兵隊は司令部要員がいるだけです。有事には在日米軍が朝鮮半島に出動します。ただし在韓米軍はかなりの部分が撤退する方向で、ソウル市内龍山の在韓米軍司令部は平沢に移転が決まっています。境界線付近には米軍はいなくなります。有事には韓国軍が米軍の指揮下に入るという大田協定は、12年には廃棄されるはずでしたが、15年まで延びました。
●権力移行期の混乱
金正日の後継者として三男の金正恩が指名されたと報道されています。朝鮮労働党が一党支配する北朝鮮ではなんと80年の第6回大会以来、大会が開かれておりません。昨年9月28日に党大会・党中央委員会よりも格下の党代表者会が開催されて、金正恩が党中央委員、党軍事委員会副委員長に就任しました。続く10月10日に正恩は党創立65周年記念軍事パレードを閲兵しました。お披露目です。党大会も国会審議も経ずに世襲3代目決定となると、社会主義とも民主主義とも無縁の社会だと思いますが、体制維持のためにはもっとも安全な方法なのでしょう。
正恩は28歳の若者で実績は何もありませんが、正日の実妹の夫、張成沢が補佐をするとも言われます。ただし張成沢もまた軍の中でたいした実績はありませんから、正恩の権力確立は困難が予想されます。
ご存じのとおり、北朝鮮は先軍政治です。98年の憲法改正で国防委員会を国家の最高機関としました。ただし党中央委員会の組織指導部が軍の総参謀部を指導し、各軍団・師団にも政治部将校がいて党の意向を優先させますから、党が軍を指導する体制は残っています。党と軍の関係は微妙です。どちらも指導部は高齢化して世代交代がなかなか進まず、硬直化しています。
北朝鮮は金正日の独裁国家だとよく言われますけれども、戦前の日本の天皇制によく似た社会だと考えたほうがいいのではないでしょうか。昭和天皇は絶対者ではあっても、日常的には軍と元老・特権勢力のミコシに乗っていて、軍の暴走を抑えることもできませんでした。このような社会では、延坪島事件のところで述べたような「忠誠競争」が起こりやすいと思います。
金正日の健康に不安があるいま、北朝鮮の権力移行が混乱なく行われるかどうか、危ぶまれています。世襲に反対の意向を表明した長男の正男、この人は01年に成田空港で偽造パスポートを見破られて強制送還になったことのある人ですけれども、北京・マカオで生活しています。在中亡命グループとの関係も取り沙汰されています。
金正日は昨年の2度の訪中に続き、この5月にも訪中して胡耀邦主席と会談しました。穀物が決定的に不足していますから、経済援助を求めたでしょう。
中国としては、韓国主導の朝鮮半島統一が果たされると、その韓国と国境を接することになって、中国国内の朝鮮族の民族運動と連動することになるのを恐れます。しかしもう北朝鮮を見限ったほうがいい、韓国主導の半島統一でいいという議論も政権内にあります。当面、北朝鮮が六カ国協議の枠組みに戻ること、国際社会に復帰することを、やはり中国は説得しようとしたでしょう。経済封鎖のもとで北朝鮮経済が成り立つはずもありませんから。
そして、この7月で中朝友好協力条約が締結されて50年になります。確かに朝鮮戦争では中国は義勇軍の大部隊を送りました。この条約には軍事協力条項もありますけれども、北朝鮮の冒険的軍事行動を中国が支援することは、もうあり得ません。中国はかなりクールに実利を追求する。中朝国境、鴨緑江の黄金坪島に工業団地を中国資本で建設して、朝鮮労働者を雇用することを始めます。6月始めに起工式の様子が報道されましたね。
この4月にはカーター元米大統領が訪朝して、朴宜張外相と会談しました。六カ国協議の枠組みに戻るよう説得したはずです。米中とも、まだこの説得に成功していません。米国では北朝鮮の権力移行期の混乱に対して、先に述べた軍事的対応をしていますけれども、カーターのような人もいるわけです。ただし、混乱時にはなるべく米国の犠牲は少なくして、日中韓に任せたい。なぜかといえば、米国自体が落ち目だからです。
●あらためて3.11以後を考える
いま、自衛隊賛美のビジュアルな出版物が相次いでいます。私の目に止まったものでも、たとえば『週刊アサヒ芸能増刊・頼もしいぞニッポン自衛隊!』、『JGround特選ムック・自衛隊災害派遣装備パーフェクトガイド』、志方峻之監修『図解こんなに凄かった自衛隊』などというのがあります。いずれも東北大震災での自衛隊の活躍、日米同盟の再確認、そして世界で活躍する自衛隊を描くものです。軍事関係の雑誌『軍事研究』、『丸』なども、今回の自衛隊災害派遣とオペレーション・トモダチに関する特集をしています。
確かに、自衛隊の災害出動はたいへん有り難いものであって、今回の地震・津波被害では自衛隊に助けられた人がきわめて多数にのぼったこと、そのような作業を警察・消防・ボランティアで代位するのは不可能だったことは事実です。
しかしこれらの本には、地震・津波被害の機会を捉えて自衛隊・米軍が朝鮮半島有事の共同作戦練り上げに利用したことについては、まったく書かれておりません。また、対処が軍主導であったことへの批判もありません。5月15日付朝日新聞は原発事故対応の日米協議に関して、「協議途中で防衛省幹部が『これから先はミリ・ミリでやります』と情報開示を拒否することも。ミリはミリタリー(軍)の略で、軍同士で対応した方が話が早いという本音がのぞいた」と書いています。このような状況は各所で見られたでしょう。
そして自衛隊・米軍が朝鮮半島有事の5027作戦計画を共同して行うことから、5029、5030作戦計画の共同作戦体制へと移行し、いまその日本国内での条件整備をしようとしていることは、お話しした通りです。近く行われる日米安保協議委員会(2+2)で「共通の戦略目標」がどこまで改定されるか分かりませんが、中朝を仮想敵としたこの路線のもとにあることは確かだと思います。東アジアでの自衛隊の役割は、ますます大きくなっていきます。冷静に見るならば、北朝鮮は富国強兵でなく貧国弱兵であって、中国は軍拡途上で日米同盟に対抗できるのはまだ先の話なのですが。
では、3.11以後の日本の安全保障をどう考えるか。本来、国家安全保障と軍事とは別の概念です。米国では国家安全保障計画と国防計画は別個のものであって、国会に提出される教書もそれぞれ別物です。国家安全保障には軍事だけでなく自然災害対策も、ハイジャック・テロ対策も、感染症対策も、情報のセキュリティーも含まれます。けれども日本では多くは軍事問題として自衛隊主導で、国防・国際協力以外のことは付けたりになっています。災害出動は自衛隊の本来任務ではありません。
自然災害の多い国であるにもかかわらず、日本の災害対策は不十分でした。地震・津波災害の復旧には、これからまだ長くかかりそうです。今だに避難所生活を余儀なくされている多くの人々があります。そして原発事故対策と言えるものは何もありませんでした。原発は止めてからでも安全になるまで何十年もかかり、放射性廃棄物は何百年、何千年ものお守りが必要です。にもかかわらず防災訓練は型どおりで、自衛隊OBの警備会社が作成したシナリオをもとに、住民のごく一部だけが参加して行われてきました。
繰り返しになりますが、3.11で明らかになったことのひとつは、自衛隊が確かに頼もしい存在だということです。円匙(スコップ)を持って災害出動した兵たちは、銃を持って米国の戦争協力に出動するよりも、はるかに喜ばれ、はるかに感謝されたのではないでしょうか。殺し、殺されるかもしれない海外派兵より、命を救う災害出動のほうがどんなにいいか、身をもって体感したのではないでしょうか。
自衛隊を災害対処部隊に改変しようという提案は、古くは60年代に公明党が主張していました。その後はこの提案は前田哲男さん、深瀬忠一さん、水島朝穂さんらによって理論化されてきました。いま、この提案が現実性を持って目の前に現れています。
私はすでに日米安保について2冊の本(『日米安保を読み解く』『日米安保は必要か?』ともに窓社刊)を書きました。そこでは、安保条約は廃棄されるべきであり、日本国憲法9条を実現化して軍隊の不要な社会をめざそうと書きました。しかし、そこに至る条件作り、外交的・政治的努力を考えると、必ず過渡期があります。また、日本にどんな政府ができようと、24万の自衛隊員の首切りがただちにできるはずがありません。だとするならば、自衛隊員の「活用」法を、隊員・OBを含めて議論することが有用でしょう。
じつに3.11という事態は、自衛隊の将来、日本の安全保障の将来について、多くの示唆を与えてくれたと思います。
(2011年6月18日に行われた「許すな!憲法改悪・市民連絡会」主催、市民憲法講座での報告をもとに執筆)
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大内要三氏の活動の本拠は、「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会」(略称・平権懇)http://comcom.jca.apc.org/heikenkon/で、「へいけんこんブログ」でコラム「読む・読もう・読めば」を執筆
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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