カタログよりブローシャ

どこでどう違ってしまったのか知らないが、日本語でいうカタログと(欧)米企業が英語でCatalogueと呼ぶ印刷物はかなり違う。日本でカタログと呼んでいる印刷物は(欧)米ではメールオーダーなどの業界以外では希にしか見ない。お互いに該当するものがないのだから、カタログをCatalogueやBrochure(ブローシャ)と訳すのも、その逆も注意書き付きでなければ誤解を招く。話しを先に進める前に、ここでは製造現場で使用する製造装置や検査装置、およびその関連業界での話しであることを最初にお断りしておく。

 

日本企業が用意しているカタログは情報満載で、一冊あれば提供されている製品やサービスの基本的なことについてほとんど全てが分かる。カタログが提供する便利さに-ある限定(後述)はあるものの-慣れてしまっている。(欧)米企業に資料(カタログ)請求すると、しばしブローシャが届く。届いたブローシャには製品やサービスの詳細(仕様)が記載されていない。カタログにはあって当たり前の情報が見つからずにフラストレーションを起こす。ブローシャを役に立たない資料と結論して、それで終わりにされる方も多いだろう。

 

それはそれでいいだろう。提供する製品やサービスを紹介し得ない資料しか送ってこないメーカがきちんと製品やサービスを提供できるとも思えない。早々にパートナー候補から外してしまった方がいいかもしれない。しかし、ちょっと早計に過ぎる可能性がある。

 

ブローシャだけでは製品やサービスの詳細を知り得ない。これは日本人だからということではない。日本人が分からなければ、欧米人にも分からない。であれば、ブローシャの他にも何らかの紹介資料を見込み客に提供しているはずだと想像がつく。(この程度の想像もできずにブローシャが全てと思い込んでいるようでは、ちょっと寂しい。)

 

では、どのような資料を提供しているのか?カタログとブローシャの違いから始めてブローシャを補完する資料を見てゆくと、日本では、実務上役に何も立たないと思われるブローシャがいかに戦略的に重要なものなのかが見えてくる。ブローシャに込められた意図や視点が見えてくると、日本企業のカタログがその包括性による優れた利便性にもかかわらず、しばしば最も重要な点でとんでもない欠陥があることに気付く。そこでは、大きな変化のない市場に物やサービスを提供すれば売れた時代から市場の変化を前提とした市場開拓への思考の進化がない。

 

まず、日本企業のカタログと(欧)米企業のブローシャの違いから。

日本企業のカタログは大概次の内容から構成されている。(1)製品の特徴、客の立場で見た優位性とその利点、(2)技術面から見た製品紹介や採用されている基礎技術、(3)製品仕様、(4)発注する際に指定する型式、あるいは品番を決めるための情報。中には、これらの情報に加えて(5)価格や(6)値引き率まで記載しているものすらある。ここまでくると(欧)米企業ではそのカタログと呼んでいる印刷物を何と呼んで良いのか分からなくなる。

 

同様の情報を伝えるために(欧)米企業ではおおよそ次のような印刷物を用意している。上記の(番号)に合わせると、業界や企業によって呼び名に多少の違いはあったにしても、(1)がBrochure(ブローシャ)、(2)はブローシャに含まれることが多いが、Technical Infoのようなかたちで別途資料を用意していることもある。(3)はSpecifications、(4)がCatalogueで、これが日本で“型録”を経て「カタログ」なった(と想像している)。(5)はPrice list、(6)は通常Discount schedule。Price listやDiscount scheduleは半社外秘でオープンマーケットには公開しない。

 

次に、日本語でいうカタログの(1)に相当する部分に対する(欧)米企業のブローシャはいかなるものか見てみる。

本来ここに書かれるべきことは製品やサービスの開発仕様を決めたときに決まっている。開発中に競合が新製品を市場投入をしたとか、大手顧客と競合が協業の合意したというような市場の変化がない限り、本質的に大きな変更はない。

 

市場に公表する製品やサービスの仕様情報は、次の(a)と(b)が相互に関係していて切り離すことはできない。製品やサービスその物の仕様と公開する仕様情報は違うことに注意。(a)ポジショニング-自社の他の製品やサービスとの、また競合する他社の製品やサービスとの相対関係、(b)フォーカス-市場のどの部分のどのような需要にどのようなメリット提供するのか。

 

(a)のポジショニングの例としては、 製品は、競合の製品に対してどのような位置に位置づけられるのか?対競合製品で見たときの技術と営業の両面での強みと弱みは?現行あるいは、今後の開発でシリーズ化の一環の製品なのか、単独製品なのか、また、現行製品の後継機種なのか、他の製品群との補完製品を自社で持つためのものなのかなど。さらに直販なのか販売チャンネル経由での販売なのか、特定エンジニアリング会社との協業のもとに市場投入なのかなど市場へのアクセスに加え、物としての製品に付帯させるべきかの判断も含めたサービスを誰がどこまで、どのような価格帯で提供するのかなどがある。

 

ブローシャは(b)の理解の下に(a)があると言う視点から作成される。見込み客が欲しているものと知りたいと思っていることは必ずしも一致しない。欲しているのは(b)で、知りたいは(a)としてブローシャを構成する。ブローシャの目的は明瞭で、製品やサービスに付帯サービスを採用することによって採用決定者が享受できる現時点と将来に渡るメリットを訴求することにある。

 

ここで、市場は一つでもなければ、顧客も一枚岩ではないことに注意しなければならない。ブローシャの内容は、いくつもの異なる市場ごとに、また顧客のなかのどの立場の人にメリットを訴求するのかによって大きくことなる。さらに、その訴求対象者に対して社内便宜とでも呼ぶ考慮が必要になる。訴求を受ける立場の人が、自らが享受しうるメリットが実は自らの為である以上に企業全体に貢献するものあることを社内で提案し易いかたちに整理されていなければならない。

 

ここまである意味政治的なメッセージになると到底ドライな製品やサービスの紹介ではありえない。ましてや、その製品の機能や性能を実現した要素技術、その要素技術を生み出した基礎研究開発などの紹介ではない。となると、(1)製品の特徴と利点を訴求する単体の書類とした方がいいのか、それとも(2)製品を技術面から見た紹介や製品に採用した基礎技術の紹介まで一緒にした書類にした方がいいのか?一緒にしたとしてもブローシャの目的は製品紹介でも技術紹介でもないのだから、(2)は(1)のメッセージの裏づけの役割に徹した使い方にするのが妥当だろう。

 

こう考えてくると冒頭で触れた日本企業の情報満載のカタログが本当に最適は構成なのか?という疑問がはっきりしてくる。インパクトのある訴求効果が要求されるコマーシャルメッセージでなければならないブローシャ(の内容)をカタログの一部分として扱って、ドライな技術紹介から仕様書、あげくは価格や値引き率まで記載すれば、せっかくのインパクトを削ぐことになる。

 

同じ一つの製品やサービスでも注力する市場が違えば、ブローシャが訴求しなければならないことが違ってくる。同じ業界や企業でもさまざまな立場の人たちがいる。その立場の違う人たちの関心に合わせて、たとえば開発工数を短縮できる、コミッショニング期間を短縮できる、保全が容易になる。。。どれも同じ一つの機能なり性能が提供するものでしかないが訴求点は異なる。訴求点が違えば違うブローシャ、複数のブローシャにすべきだろう。一つの製品やサービスの紹介に訴求点の違うブローシャが数種類ある可能性がある。日本企業のカタログにはこの視点が欠けている。

 

ブローシャを見る限り、その本来の目的を忘れてしまったかのような欧米企業も多く、ただの製品紹介や技術紹介に過ぎないブローシャも散見する。戦略的なマーケティング部隊を持たず、市場調査を主任務としたマーケティング部隊しか持たない欧州系の企業にはこの傾向が顕著に見える。このため、(欧)米と欧を()に入れた。

 

さらに、同じ製品やサービスでも市場が違えば競合製品との相関関係も含めて、その市場でのポジションが違う。当たり前だ。反論はないだろう。ドライな製品紹介や技術紹介の部分は日本でも海外でも同じものが使える(言語は違っても)。しかし、海外市場における自社のポジションは日本市場のそれとは違う。当然、ブローシャに相当する部分が違ってくる。

 

どこまで市場に合わせたブローシャを作れるかが、実はその企業がどこまで市場を理解しているかを示している。日本企業のデータの羅列のようなドライな英文カタログ、外資系に散見するブローシャを翻訳したカタログ。海外市場を、日本市場を分かりませんと告白しているようにすら見える。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集