1月13日のLa Presse (モントリオールの仏語新聞)に、在モントリオール中国の総領事が書いた安倍首相の靖国参拝に抗議する文が掲載された。
長谷川澄さんによる日本語訳を下記に紹介する。
気に障る訪問
日本の首相、戦犯を何人も祀ってある聖地に出かける
Zhao Jiangping
在モントリオール中華人民共和国総領事
モントリオールの中心街、コンコルデア大学に程近い所にノーマン・ベチューンの白い像がある。中国では良く知られている名前だ。今から70年以上も前の日本の中国侵略に抵抗する戦いの間にベチューン博士は数多くの中国人の命を救ったが、自分自身は終に生まれ故郷に帰ることもなく生を終えた人である。
1930年代に日本の軍国主義者たちは中国、アジア、アジア太平洋地域の国々に対して、凄惨な、惨憺たる戦争を仕掛けてきた。中国一国だけで、死傷者は3千5百万人に達し、しかもその大部分は一般市民であった。生きている中国人を使って行った細菌実験や南京大虐殺など、日本のファシストの犯した犯罪はナチスドイツの犯罪と何ら変わるところはなかった。
カナダ軍も対日本の戦闘に参戦し、多くの犠牲を払った。カナダ人死亡者の半分は戦闘で亡くなったが、後の半分は捕虜として捕まった収容所で、拷問で亡くなったのである。
1945年に米国戦艦ミズーリの艦上で日本の降伏文書に調印した中国、カナダ、その他の国々の代表たちは此れほどの犠牲をはらって勝ち取った平和が再び日本の軍国主義者によって脅かされることがあろうとは想像もしていなかったであろう。しかしながら、今から何日か前に、日本国首相安部晋三はアジア諸国の強い反対を無視して、靖国神社に参拝し、日本国首相の署名をしたのである。
軍国主義のシンボル
靖国神社は普通一般の神社では全くなく、日本の軍国主義の精神的なシンボルである。今もそこには日本の侵略戦争を計画し、実行した14名のA級戦犯と千人以上のB,C級戦犯の霊が祀られている。日本の右翼にとっては、そこは聖地詣での場所である。日本の指導者たちの行為の意図するところは、日本の軍国主義者の侵略の歴史を美化すること、日本のナチスたちに対する国際裁判の判決を覆すこと、そして、第二次世界大戦の結果と戦後の国際秩序に対して、公然と挑戦を試みることである。
人はこの行為の意味する所を、神社の参拝は国内問題であるとか、ただの宗教的な慰霊であると言って、過小評価する。しかし、もしドイツの政治家がナチスの慰霊をしたとしたら、それがどんな理由によってであれ、ヨーロッパの国々が受け入れると思えるだろうか。安部首相が軍国主義の象徴である神社の白砂に向った時、広島、長崎の原爆の犠牲者のことを思ったとでも言うのだろうか。
安倍首相の行為は国際社会の憤りを買った。第二次大戦時に日本の同盟国であったドイツは、この件に関して、どの国にも前の世紀に起きた酷い出来事に対して、今の自分たちの引き受けるべき責任というものがあるはずなのにと言って、軽蔑の念を表明した。日本国内にも反対の声はあがっている。複数の党の党首やメデイアが安倍政権に対して、他の国の言っていることを聞くように、そして、愛国心の虜となって、罠に踏み込むようなまねをしないように頼んだ。また、ある人たちは日本が自分の歴史としっかり向き合い、過去を反省することがないなら、決してまともな国にはなれないだろうと言った。それこそ正に、近隣の国々が日本に向って鳴らしている警鐘であるし、国際社会が心配している点でもあるのだ。
今日のモントリオールで、出身国の異なる様々な人たちがグループを作り、中国へ行って、ベチューン博士の足跡をたどり、遠隔の地でボランテアの医療活動をしている。現地の人たちはこの人たちを“現代のベチューン”と呼んでいる。
現代の光の下で過去を振り返った時、受けた傷は少しづつ癒されていくが、惨めな経験は70年たっても決して忘れないということに気付く。歴史を繰り返してはいけない。
(翻訳 以上)
これに対し日本総領事が1月17日反論している。以下、これも長谷川澄さんの翻訳で紹介する。
Une interprétation qui dérange
気に障る解釈
Tatsuo Arai
駐モントリオール総領事
2013年の末に日本国首相、安部晋三氏は不戦の誓いを新たにする為に靖国神社を参拝した。この件に関して、去る一月十三日に本紙に掲載された、駐モントリオール中国総領事, Zhao Jiangping氏の文章(気に障る訪問)は、全く真実を反映していないばかりか、客観性にも欠けている。
しばらく前から中国は日本を国際的な場で孤立させる為の世界的な宣伝キャンペーンを行っている。そのような状況であるから、読者にもっと客観的な情報を提供する義務を感じ、以下の文を公表する。
靖国神社
靖国神社には第二次大戦だけでなく、1853年以降の内戦や、他の戦争で、国の為に命を捧げた約2百50万人の霊が階級や社会的地位、国籍に関係なく、祀られている(墓所ではない)。
安倍首相の靖国参拝の意味を知るには参拝の折に公表された“永続的平和の約束”と題された声明をじっくり読まなければなければならない。
その中で首相は、この参拝の目的は不戦の誓いの決心を新たにするものであると強調している。この参拝にはA級戦犯に敬意を表したり、軍国主義を賞賛したりする目的は全くないのである。靖国は軍国主義者のシンボルではないし、日本政府も国民もそのように思ってはいない。だから、ナチス(の追悼)と関連づけるのは全くの筋違いである。
過去
日本政府はいつも明確に歴史に向き合い、深い悔恨と心からの謝罪を表明してきた。この姿勢は安倍政権の下でも固く守られている。第二次大戦の終結以来、日本は自由で民主的な国を建設し、平和への道を自ら選んで、ひたすら歩んできた。
戦後の日本がしてきたことを見れば、日本が健全で強い民主主義を構築し、人権を尊重し、平和のためにしっかりと義務を負い(例えば、国連の平和維持活動への分担金負担など)、発展途上国への直接的な援助に貢献してきたことが分かる。この立ち居地は変わることはない。これからも、日本は自国の国家安全保障戦略に沿って、世界の平和と安定のために貢献しながら、責任ある大国としての役割を果たして行くであろう。
日本が中国に対して、何回にも亘って、公式に謝罪してきたことを忘れてはいけない。日本はまた、日中国交正常化以降の35年間に370億カナダドル(37milliards= 37billion=3600billion Yen)に上る経済的、技術的援助を注入することで、中国経済に直接的に貢献してきたのである。
どの軍国主義?
Zhan Jiangping氏は安部首相の靖国神社参拝がアジア太平洋地域の平和と安全に対する重大な憂慮になるかのごとく取り上げている。しかしながら、20年に亘って、毎年支出を10%以上も増やしている国が(注:何の支出か仏語の文に抜けている)そのような非難をすることは理解しがたい。
その上、中国は最近、近隣国に対する強権の行使を増大させている。特に東シナ海上空を一方的に防空識別圏と宣言したことは公の空の自由航行権を侵害する行為である。最後に中国は日本の領土である尖閣島の廻りの領海に政府の船舶を闖入させる行為の増大を続けている。我が国は二国間に存在する問題を乗り越え、将来に向けて協力的な関係を育てていけるよう中国が我が国と共に努力することを強く望んで知る。日本は話し合いに常に応じる姿勢でいる。
(翻訳 以上)
カナダでは、英語系の全国紙、The Globe and Mail 紙でも同様のやり取りがあった。
Abe’s militarism defies history (1月9日、中国大使からの批判)
Japanese ambassador: China paints a false portrait of Japan(1月15日、日本大使からの反論)
日本でも報道されているが、今全世界50か国の主要メディアに現地の中国大使・領事が靖国参拝批判記事を寄稿しているようで、日本側も反論するといったことが繰り広げられているようである。
靖国神社は、天皇のために戦争で死んだ軍人・軍属(プラスそういうことにされてしまった人々)のみを「英霊」として祀る、まさしく軍国神社であり、侵略を反省どころか肯定し、戦争を反省どころか美化していることは付属資料館「遊就館」の歴史認識からも明らかである。「不戦の誓い」をしに行ったなどという首相談話をそのまま鵜呑みにする国はないだろう。本当に不戦の誓いをしたいのなら平和憲法を破壊するのではなく守り生かすべきである。
初出:「ピースフィロソフィ―」2014.01.20より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/01/blog-post_20.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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