クリスマスに飢える

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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仕事納めも終わって明日から年末年始のお休みという午後、時間つぶしに喫茶店でとりとめのない話をしていた。まだメシに行くには早すぎる。今年も一年いろいろあったけど、年が明けたらまたというだけで、これといって話すこともない。途切れがちなたわいのない話がちょうどいい、一年を振り返りながら過ぎていく時間にひたっていた。そこに一人がなにを思ったのか、どことなく羨ましさを感じさせる口調で訊いてきた。

 

「藤澤さんさあ、若いときニューヨークに行ってたんでしょう。ニューヨークのクリスマスってどうなんだろう。楽しんでしょうね」

 

えっ、クリスマス? そんなもん、巷のひとたちのものになってから二十年以上にもなる。映画かなにかのクリスマスシーンでも思いうかべて言っているだけかもしれないが、もしかしたら無垢をよそおったなにかがあるかもしれない。一瞬なんと言ったものかとためらったが、かつてはもっていた明るい楽しいクリスマスは自分だけのもの、大事にしておきたいとい気持ちもあって、

 

「そうだなー。何かあるのかなー、特別なにもないよ」

と言って話を初詣の方ずらした。

 

宗教感の稀薄な文化も手伝ってのことだろうが、祝祭日という言葉がいっているように、盆も正月もクリスマスも、最近ではハロウィーンまでが明るい、ときには度を越えた熱気に包まれたバカ騒ぎに近い一日になっている。日本では敬虔なクリスチャンでもなければ、聖夜なんてないんじゃないかと思っている。

 

小学校の高学年だから、昭和三十(一九六〇)年代のなかごろだった思うが、テレビも普及してきてアメリカのホームドラマを毎日のようにみていた。そこでクリスマスというものがあることをしった。

あと一週間もすれば初詣に行って、お年玉もらって駅前のおもちゃ屋に直行と、うずうずしていたときを前にしてクリスマスというもう一つの楽しみができた。サンタクロースなんか信じちゃいなかったが、クリスマスの外食が楽しみでならなかった。まだまだ洋食が珍しい時代で、ふだんの外食は和食か寿司屋に限られていた。和食でクリスマスじゃ絵にならない。最低限洋食と生ビールと思っていたのだろう、オヤジに連れられて一家四人で新宿のキリンビアホールにでかけた。食もなにも豊かになった今になってみれば、つましいもので、飲兵衛のオヤジは大きなジョッキで生ビール、子供は鶏のモモを焼いたものをかじっていた。あちこちで紙の三角帽子をかぶってクラッカーをパンパンやって大騒ぎ、それがクリスマスだと思っていた。

 

七七年三月に二―ヨーク支社に飛ばされて、ニューヨーク市を数ブロック東にでたニューハイドパークの下宿で最初のクリスマスを迎えた。ニューハイドパークは、社会層でいえば中の下になるのだろう、小さな戸建てが立て込んだ町だった。大家は夫婦そろってイタリア移民の二世で、近所に親戚が何軒かあった。アメリカにきて初めてのクリスマス、ここはマンハッタンにでてバカ騒ぎと目論んでいたのに、大家によばれてイタリア系アメリカ人のクリスマスを体験させてもらった。テネシーで大学教授をしていた自慢の長男夫婦も帰省して親戚一同に紹介されたが、人が多すぎて誰が誰だから分からない。大家の妹にあたるおばさんの挨拶が怖くて腰が引けたが、がっちり捕まえられて頬を摺り寄せての親密すぎる挨拶に別の世界にきたことを痛感した。折角親戚一同が集まったのだから、食って飲んでと想像していたが、ぼそぼそ話しながらの質素な食事で日本のクリスマスのお祭り感などかけらもない。神聖なのかどうかはしらないが、たしかに静かな晩餐だった。静謐はいいが食物が足りない。決して豊な人たちじゃないこともあってだろうが、御馳走とは縁遠いものだった。人数が多いし部外者の意識もあって、どれも摘んだていどで食った気がしない。

 

英語もままならないし、共通の話題もない。邪魔にならないように隅っこに座ってコーラを飲んでおとなしくしていた。時間にすれば三時間ほどだが解放されたときはほっとした。どうにも食い足りない。何か食うものはないかと、急いで半地下の自分の領域に戻った。冷蔵庫を開けてみたがオレンジジュースしかない。冷凍庫のアイスクリームで飢えをしのぐ聖なるクリスマスになった。

明けて二五日は自由の身。昼過ぎに起きて、行きつけのデリにいったが閉まってる。しょうがないからこれも行きつけのダイナーに行ったが、ここも閉まってる。おいおい、クリスマスだってのになんなんだ。人っ子一人いない。たまに走ってる車もあるが、この静けさは一体何なんだ。薄気味悪い。走りながら見える店はどこも閉まってる。ホラー映画でもあるまいし、町が死んでいるように見えた。なんてこったと思いながら、ちょっと走って行きつけの日本飯屋にいったら、そこも閉まってる。商売っ気のないヤツらだ。それにしても腹が減りすぎた。昨日からろくに食ってない。どこかに飯はないか飯は?

 

ユダヤ系や中華系の店なら開いているだろうけど、気にしたこともなかったら、そんなもの、どこにあるのかも分からない。今ならスマホでどうにでもなるが、携帯電話なんて考えたこともない一九七七年、どうしたものかと考えて、ええーい、こうなったら、チャイナタウンまで行ってやると高速道路に入っていった。いつも混んでいるのに、気味が悪いほどガラガラだった。とっとと走ってマンハッタンに入ったけど、閑散としていて車もろくに走っていない。クリスマスセールの看板はでてるけど、どこも閉まっていた。まさかチャイナタウンまでと心配になってきたが、そんなことありっこないじゃないかと走っていった。

サードアベニューを下って行ったら、急に車がふえてきた。数ブロック先に見える。クリスマスなんて知ったことかという、いつものチャイナタウンだった。

チャイナタウンでクリスマスじゃない一人のクリスマス。いつも一人、除け者にされている感もあるが、この時ばかり一人が嬉しかった。神さまだかキリストさまだか知らねぇが、誰に気兼ねすることもなく好きなものを好きなだけ食える。オレだけ時間。

 

p.s.

<セールセールセール>

夏休みも半分ほどすぎて八月にはいると、「Back-To-School」のセールが熱気をおびてくる。九月が新学年の始まりということもあって、多少なりとも準備しなければならないこともあるが、それいじょうに着ていく服を気にする子も多い。公立学校では制服がないだけになおさらで、ショッピングモールにはBack-To-School Fashion Saleの飾りが目立つようになる。

 

「Back-To-School」が過ぎたかと思ったら、こんどは「Halloween」の飾りつけが人目を引くようになる。対象が子供からせいぜい小学生までだからビジネスとしてはしれていると思うが、非日常のアイテムがお祭り感を醸し出してくれる。

 

するっと「Halloween」が終わったら、もう町中が「Thanksgiving」で騒がしくなる。ひと月もすれば「Christmas」だから、「Thanksgiving」セールスが終わりもしないうちに「Christmas」セールスの飾りつけが重なりだす。

 

アメリカの会計年度はカレンダー通りで、十二月三一日が年度末。クリスマスイブまでになにがなんでも売り切ってしまわないと、ファッションのように流行りすたりの早いものは年度越しの不良資産なりかねない。ショッピングモールはどの店もSALE、SALEの看板だらけになる。Ralph Laurenあたりの一般大衆向けブランドでは半額の半額の二割三割引きが当たり前になって、「もってけ泥棒」のような投げ売りに驚くことがある。ボストン郊外のChestnut Hill MallのBloomingdale’sで、百ドルはしたコーデュロイのパンツを十二三ドルで買ったことがある。

 

十月から十二月は年度末の第四四半期。どこも駆け込み受注と販売で血眼になる。そんなアメリカが迎えるクリスマス。明るく楽しく見えていられる立場にいることに感謝するときでもある。

2021/1/23

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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