0.はじめに
Ⅰ. 20世紀の総括
1.20世紀はどういう時代であったか
2.ソ連型社会主義の特質とその難点
3.社会主義の目標と課題についての新視角
4.現代資本主義の特質
5.福祉国家における労働力商品化の部分的止揚
Ⅱ.21世紀資本主義の展開と展望
1.新自由主義と資本主義のグローバル化
2.金融グローバリゼーションと産業グローバリゼーション
3.資本主義の歴史的限界と社会主義の可能性
0.はじめに
ご参会の皆さん、ただいまご紹介いただきました柴垣です。
先ずは、このたび創立70周年をお迎えになった公益財団法人・政治経済研究所の皆さまに、心からお祝いを申し上げます。おめでとうございます。また本日この良き日に、記念講演のご依頼いただきましたことを光栄に思いますと共に、あわせてご参会いただきました皆さまに、お礼を申し上げる次第です。
実は私、3年ほど前に大学勤務から完全にリタイヤーし、演壇に立つのも久しぶりのことです。在職中は、講義に際してレジュメは作りましたが、草稿はまったくなしに、頭の中にあることを口から出るままにしゃべっていたのですが、最近少しボケてきたのか、たった今考えていたことを、すぐ忘れるようになりました。そこで今日は粗相の無いよう完全原稿を用意して参りましたので、それを読み上げる形で話を進めさせていただきます。また、近年はプレゼンテーションで使うのが普通になったパワーポイントも、使いこなせませんので、やや詳しいレジュメの印刷物を作りまして、お手元にお配りした次第です。ではさっそく内容に入りたいと思います。
Ⅰ.20世紀の総括
1.20世紀はどういう時代であったか
全体は2部に分かれておりますが、第Ⅰ部は「20世紀の総括」であります。講演の副題に「21世紀の資本主義と社会主義を展望する」と掲げましたが、21世紀を展望するためには20世紀の総括から出発しなければなりません。何故なら、歴史というものは、過去の積み重ねの上に現在が有り、そこから未来が展開するものだからであります。そこで20世紀の歴史を振り返りますと、まず注目されるのは、その前半で起こった二度の世界大戦とその間に生じた世界大恐慌です。これは次の三点で世界の政治・経済・社会を大きく変貌させる契機となりました。第1は社会主義の現実化と拡大、第2は資本主義の修正資本主義への変容、第3は植民地体制の崩壊と新興諸国の登場、の三つであります。
1-1社会主義の登場・拡大とその挫折 まず第1の、社会主義の登場と拡大でありますが、第1次大戦の末期にロシア革命が勃発してソヴィエト社会主義共和国連邦という社会主義を目指す国が、地球上に初めて登場しました。第2次大戦後にはソ連の軍事力を背景に東欧諸国にその範囲が拡大するとともに、アジアでは中国の、当時の言葉で言えば人民民主主義革命が成功して、社会主義圏はひとつの「世界体制」に拡大しました。もっとも、この「ソ連型社会主義」と言われる社会主義は、すぐ後で申しますように国権的社会主義とも言われる極めて歪んだものでして、世紀末の1990年代には、ソ連・東欧の場合は自壊自滅し、中国も市場経済を導入して体制転換を図るなど、挫折してしまうのですが、少なくとも世紀の半ば過ぎ頃までは、米国を中心とした資本主義世界への強力な対抗勢力を形成しておりました。
1-2資本主義世界の変容.その成功と破綻 変容の第2は、二度の世界大戦と大恐慌を経験したあとの資本主義世界の変質と繁栄であります。その内容は、すぐ後で立ち入って述べますが、①両大戦の総力戦としての新しい性格、すなわち直接戦争に従事する労働者や銃後を守る女性を動員する必要からの、参政権の付与による大衆民主主義の形成、②労働三権や社会保障の権利などのいわゆる社会権的基本権の確立、③大恐慌後の金本位制の放棄と管理通貨制の採用による、完全雇用を目的としたケインズ的な所得再分配と景気調整政策の整備などから成り立ち、第1次大戦前の古典的資本主義とは質的に区別される福祉国家の形成を意味するものでした。そして、19世紀の英国に替わって中心国となった米国を軸に、日本を含む先進資本主義諸国は1950年代から60年代にかけて未曾有の高成長を実現したのでした。もっとも、ここでも1970年代に入りますと、米国に対する西ドイツや日本のキャッチアップ、産油国の台頭など、経済の不均等発展が米国の地盤沈下を招き、1971年のドル危機や73年の石油危機を経ていわゆるスタグフレーションという深刻な経済危機を引き起こしました。それは一部の国、米国や英国では、アブセンティズムを伴って社会秩序そのものの崩壊につながりかねない状況を生み出しました。そこに登場したのが、1979年の英国サッチャー政権、80年の米国レーガン政権であり、両政権は、新自由主義イデオロギーと市場原理主義を振りかざして、労組つぶしと規制緩和、福祉削減・富裕者減税による「小さな政府」などの施策を実施するとともに、米国に残された比較優位産業である金融・証券分野での国際的自由化を推進し、1990年代以降今日に至るグローバル資本主義の幕を開いたのでした。
1-3植民地体制の崩壊と新興諸国の登場 変容の第3の植民地体制の崩壊は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカに多くの独立国家を生み出し、これら諸国は、1950年代に激化した東西冷戦の狭間で第3勢力として国際政治にその存在感を示しました。しかし60年代には西側世界との経済的格差が拡大して、いわゆる南北問題の困難を生み出しました。70年代以降、一方ではOPECを結成した産油諸国の台頭、他方では輸出主導で成長を図ったNIEsすなわち韓国・台湾・香港・シンガポールなどがテークオフし、その後をASEAN、西アジアが追うという構図が生まれました。そして、先に述べたソ連型社会主義の崩壊による旧ソ連圏の資本主義への転換、中国の改革・開放による市場経済の導入もあいまって、20世紀末以降、BRICsなる新興経済諸国の興隆をもたらし、資本主義のグローバル化の一翼を担うまでになったのであります。
もっとも、この地域にかかわることとしては、冷戦終結以来、混乱が続いている中近東・西アジアのイスラム圏の問題があります。この点については、パレスチナ問題に象徴される元々は英国の植民地政策に発する問題、米国の原油確保政策にかかわる中東政策、部族制を脱していないアラブ圏の社会構造、それにイスラム教内部の宗派間抗争などが複雑にからんでおり、問題の全面的把握は、正直に申しまして私の手に負えるものではありません。ここに21世紀の世界にかかわる重要な論点が潜んでいることは確かですが、ここでは脇に置かせて頂きます。
そこで次に、今見て参りました20世紀を特徴づける三つの内の二つ、ソ連型社会主義と福祉国家型の資本主義について、少し理論的な検討を加えてみたいと思います。
2.ソ連型社会主義の特質とその難点
2-1科学的社会主義 まず社会主義についてですが、近代社会における社会主義を広義に理解すれば、それはエンゲルスが『空想から科学への社会主義の発展』で紹介しているサン・シモンやフーリエ、ロバート・オーエンなどの思想と実践にまで遡ることができます。しかしいわゆる科学的社会主義、つまり社会主義が科学的根拠を持つ主張として登場しましたのは、これもエンゲルスが同じ書物で書きましたように、マルクスによる「二つの偉大な発見、すなわち唯物史観と剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」によってでありました。前者の「唯物史観」は、マルクス『経済学批判』の序言のなかで定式化された、社会構成体の歴史的変遷・変革の必然性を、生産力と生産諸関係の矛盾から説く歴史観のことであり、後者の「剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」というのは、マルクスの手で完成された『資本論』(第1巻)のことだといってよいと思われます。問題は、その後のマルクス主義による社会主義論と社会主義運動のなかで、この「二つの発見」がどのように生かされていったのか、であります。私の印象では、それはもっぱら前者の唯物史観の観点からの立論と具体化が大勢を占め、後者つまり『資本論』の観点からの立論が十分に展開されなかったように思われます。
2-2所有論視角からの社会主義論 具体的に言いますと、今申しましたように、唯物史観は社会構成体の発展を生産力と生産関係の矛盾から説く歴史観ですが、エンゲルスの前掲書で「社会的生産と資本主義的領有とのあいだの矛盾」と表現されていた資本主義の基本的矛盾は、その後ソ連やコミンテルンによって、生産力を示す「生産の社会的性格」と生産関係を示す「領有つまり所有の私的性格」との間の矛盾として把握され、社会主義は、社会化している生産力に照応するように、生産手段の「所有の社会化」を実現するものとして定式化されました。これを私は所有論視角からの社会主義論と名付けておりますが、ロシア革命後のソ連、第2次大戦後の東欧諸国や中国の社会主義建設は、総じて生産手段の所有の社会化、一国社会主義の下では国有化をめざして進められたのであります。私がソ連の経済学者と交流を始めた1970年代には、農業における協同組合の国営農場への転換の進展によって、「社会主義から共産主義への移行」が囃されるまでに至っておりました。
しかし、ソ連型社会主義の発展はそこまででした。 米国との軍拡競争の過大な負担もあって80年代以降経済は停滞し、ゴルバチョフによる改革も空しく、1991年の自滅的崩壊に至ったのはさきほど指摘したとおりであります。いったい、どこに問題があったのでしょうか。
2-3ソ連型社会主義の難点(1) 生産手段の私的所有を廃絶して社会化すれば、当然資本主義は廃絶されます。その結果を理想型的に想定しますと、商品・貨幣経済も廃絶されますから、市場メカニズムとそれを機能させている価値法則も廃絶されます。価値法則は、商品の需給関係の調節を通じて、どんな社会も充足しなければならない経済原則である社会的な労働配分を実現するための、資本主義経済に特有な経済法則であります。それが廃絶されるということは、価値法則に委ねられていた経済原則の実現を、人間が主体的に行わなければならないことを意味するわけです。言いかえれば、経済法則に人間が支配されるのではなくて、人間が主体的に経済を取り仕切ることを意味する、といってよいでしょう。これが、所有論視角から導き出される社会主義の理念象だといってよく、そして、その限りでは間違いとは言えません。
しかし、ソ連におけるその具体化には、二つの面で大きな困難、というより難点が存在していたと思われます。その一つは、経済原則実現の方法そのものについてでして、それが中央政府による一元的・中央集権的な計画経済として行われたことであります。計画経済を具体的に担った政府のゴスプラン(中央計画委員会)は、すべての生産品目の品質と総産出量を設定して、その生産を企業別に割り当て、それに伴う原燃料、材料・部品・半製品、設備・機械、労働力など、すべての生産要素についての計画指標を作成しなければならなりませんでしたが、その数は最も中央集権化が進んだ1950年代に、約4万の企業に対して2000万件に及んだといいます。その正確な作業自体が当時の計算手段では無理だったと思われますが、その点以上に、全面的計画経済そのものに随伴する困難が存在しました。すなわち、計画的生産が、原燃料や鉄鋼・機械装置やパンなどの基礎的・規格的財貨の場合には効果を発揮できても、生活水準の向上によって個人の趣味・嗜好が多様化し、また流行によって需要が変化する時代が到来しますと、そうした需要に供給を計画的に適応させることは、およそ不可能だったということです。実際1960年代後半以降ソ連並びに東欧諸国の一部では、分権化と市場経済の部分的導入による集権的計画経済の修正が進められたのですが、それが成果をみぬままに周知の自滅に至ったのでした。
2-4ソ連型社会主義の難点(2) もう一つの難点は、経済を人間が主体的に営むという場合の「人間」の問題であります。マルクスやエンゲルスが想定したそれは、社会の主人公となった労働者階級、すでに資本家が存在しないと考えれば人民全体ということでした。しかし、国家が存在し前衛党による一党独裁下の現実では、経済を担ったのはいわゆるノーメンクラトゥーラといわれる特権階層でした。集権的計画経済において、計画の主体はゴスプランの高級官僚群であり、実際に経済を担う現場の企業長はその指示に従い、労働者は企業長の指示に従う、何れも与えられたノルマを実行する受け身の存在でしかなかったのです。そして、一党独裁のもとで再生産されるノーメンクラトゥーラによる支配は、たんに経済生活の面のみならず政治や文化を含む社会生活の全領域に及んでおりました。
ソ連の場合、ロシア革命の過程で権力組織となったソヴィェトは、当初は複数政党の、またロシア社会民主労働党のメンシェヴィキとボルシェヴィキの競い合う場でしたが、内戦の過程で、ボルシェヴィキが1918年に改名したロシア共産党の一党独裁の場となり、その後党内の権力闘争で勝利したスターリンの個人独裁の場となりました。時に個人独裁さえ含むノーメンクラトゥーラの支配は、その人材供給源である党の力が及ぶ社会領域のすべてに及びましたが、もともとツァー帝政の支配の下で自由主義・民主主義の経験に乏しかった人民には、この圧政に抵抗するだけの知恵と力を持ちえなかったのだと思われます。
何がソ連型社会主義に、このような難点をもたらしたのか。私はその理論上の原因として、唯物史観の命題から直截に社会主義を問題にしたこと、端的に言えば「所有の社会化」が即社会主義化だと考え実践したことに、課題設定の飛躍があったのではないかと考えております。すなわち、エンゲルスがマルクスの発見として指摘した後者、「剰余価値の発見」つまり『資本論』で示された資本主義経済の原理から導かれる社会主義論の欠如があったのではないか、と思われるのであります。そこで次に、この『資本論』から、どのように社会主義の目標とその実現のための課題設定が導き出されるかをみてみたいと思います。
3.社会主義の目標と課題についての新視角
3-1労働力商品化の無理 マルクスが唯物史観を「導きの糸」として書き上げた『資本論』は、資本主義の生成・発展に関する歴史過程についての論述を含んでいるとはいえ、全体としては物理学者の実験室になぞらえられる「純粋な資本主義社会」を「抽象」の力によって設定し、そこで作用する経済法則を明らかにした理論の書であります。私の先生の一人であった宇野弘蔵先生は、『資本論』の読み込みを通じて、唯物史観から導かれた先の命題とは異なった形での資本主義の基本的矛盾を、労働力商品化の「無理」に基づく資本の自己矛盾として導き出されました。その要点を述べますと、資本は労働力を商品として購入し使用することによって、労働力が生み出す剰余労働の果実を剰余価値、具体的には利潤として取得することによって、一社会を構成し支配できるようになります。しかし、労働力、厳密には労働能力といった方がわかりやすいと思いますが、労働力はモノではなくて人間に備わった能力の一つですから、資本が他の商品と同じように直接生産することはできません。この、資本が自らの存立の条件である労働力商品を直接には生産できないという点で、労働力の商品化には「無理」があります。そして、この「無理」が資本の自己増殖過程における景気循環を必然化し、その一定の局面において資本蓄積が労働力に対する資本の絶対的過剰を生み出すという資本の自己矛盾を顕在化させ、恐慌という形でそれを爆発させます。宇野先生は、このメカニズムを経済学の原理論の体系化を通じて明らかにし、恐慌が資本主義の基本的矛盾の爆発であると同時に、その一時的解決の形態であることを示されました。
このような宇野経済学の『資本論』理解が正しいとしますと、社会主義は資本主義の基本的矛盾の基礎にある「労働力の商品化」を止揚することによって実現されるもの、と理解されなければならないことになります。このことは、抽象的には労働者を人間として解放し、資本に代わって生産の真の主体ならしめることであります。そしてこの点までは、すでにソ連崩壊以前までの宇野経済学が明らかにしており、私の指導教官であった大内力先生ほか何人かの人々は、この視点からソ連や中国の社会主義としての難点を指摘しておりました。しかし、「労働力商品化の止揚」の具体的内容がどのようなことなのかについては、必ずしも明示されず、抽象的な説明にとどまっていたと思われます。私はかつて、ソ連崩壊直後の1991年の経済理論学会の共通論題報告で、その点を宇野経済学の社会主義論で「未解決の問題」と指摘し、具体的な検討を試みたのですが、ここでその内容を要約しますと、ほぼ以下のように整理することができます。
3-2労働力商品化の止揚としての社会主義 資本主義のもとで労働力が商品化していることによって次のような三つの特徴が生まれます。第1に、労働力は商品ですから、その価格である賃金は、労働市場において他律的に決定されることになります。第2に、労働力商品も他の商品同様に、その販売可能性は保障されておらず、従って失業ひいては生存の危機に陥る可能性があります。そして第3に、これは労働力が資本家に購入された後の、労働力商品の消費過程つまり労働過程の特徴ですが、それは労働力の買い手である資本家の意志と指揮のもとに行われ、労働における労働者の主体性が排除されます。いわゆる疎外された労働になるわけです。
従いまして、労働力の商品化を止揚すると言うことは、この3点を克服することに他なりません。具体的に言いますと、第1に、労働者自身によって自らの賃金を決定すること、つまり賃金の自己決定が行われること、第2に、労働者の就業と生存が保障されること、第3に、労働者による労働過程の主体的な自主管理を実現すること、がその内容となります。
このような観点、とくに③の観点からの社会主義の追求は、早い時期にソ連と対立して独自の自主管理社会主義路線を採用したユーゴスラヴィアにその例をみることができますが、残念ながらその試みは失敗してしまいました。その失敗の原因を明らかにすることは、この新しい社会主義を構想するに当たって大変大切なのですが、その点に今ここで立ち入る余裕はありません。
ここでは、今申しました三つの基準でソ連型社会主義を評価するとどうだったか、と言うことを見ておきますと、第1の賃金の自己決定と第3の労働過程の自主管理は、建前はともかく実質的にはほとんど実現していなかったと言わざるを得ません。せいぜい第2の雇用と生存の保障のみが、社会的労働配分のかなりの不均衡を伴いながら存在したにすぎなかったように思われます。そしてこの雇用の保障が第1と第3の要件の欠如と結びついたとき、それはむしろ労働者の労働へのインセンティヴをスポイルするものとして機能したように思われます。
生産手段の所有が社会化し、私的資本が存在せず、利潤原理が作用しなかった旧ソ連型社会を資本主義ということはできませんが、それは、ジョークとして言えば、労働者が怠ける自由を持つことに労働者主権をみるといった、極めて歪んだ社会主義社会であり、これに、先ほど申しました一党独裁下の政治的自由を含む基本的人権の欠如を加えますと、ソ連はきわめて人民抑圧的な国権的社会主義であったと評価せざるをえないでしょう。
ところで、商品化された労働力の特性の、否定ないし克服の目標として想定される三つの要件の内容が、具体的にどのような姿で現実化されるのかについては、今後の精力的な検討が必要ですが、この講演では、のちに現代資本主義諸国でのクリーピング・ソーシャリズムを論ずるところで、その萌芽について若干の考察をおこなう予定であります。
3-3所有論視角優位の背景 ソ連型社会主義の構築に於いて、何故に唯物史観から導かれる所有論的視角からの社会主義、つまり「所有の社会化」追求の道が採られ、「労働力商品化の止揚」の追求がさほど意識されなかったのは何故なのか。その点について私は、ロシア革命を指導したロシアの社会民主党、あるいはレーニンが依拠したマルクス・エンゲルスの革命論と、その背景をなす19世紀ヨーロッパ資本主義の現実が大きく影響していたのではないかと考えております。
その点について多少立ち入っておきますと、まずその背景を一口で言えば、19世紀の資本主義の自由主義段階においては、欧州大陸では封建社会と絶対王政から引き継がれた旧社会の遺制がなお強く、資本主義の先進国イギリスを含めてましも、社会全体としては、資本家階級と労働者階級の対立というより、王侯貴族・大土地所有者を含む有産階級と無産階級の対立が支配的だった、ということであります。イギリス産業資本を代表した綿工業労働者の主力は未組織の女性と児童であり、のちに労働組合や社会主義政党の中心的担い手となった男子労働者が支配的になるのは、帝国主義段階における重工業の登場を待たなければならなりませんでした。農民や手工業者、職人的労働者などの旧中間層は、『共産党宣言』でも指摘されているような両極分解の形で、その圧倒的部分が無産階級へと没落しつつありました。また、マルクスが『資本論』初版への序文で指摘したように、先進国イギリスの現実はドイツなどの「産業的に遅れた国の未来を示す」として、いずれは世界中に資本主義としての純粋化が進むと考えられておりました。
このような状況のもとでは、社会主義は一途に増大する無産階級が支配階級である有産階級の資産を収奪すること、つまりそれまでの「収奪者が収奪される」ことで、容易に達成されると考えられたのだと思われます。社会主義革命が先進国から始まる世界革命として展開すると予想されたのも、同じ事情からだと思われますし、それが一般的に「暴力革命」として想定されたのも、政治権力が旧社会から生き延びた特権階級の手に握られ、無産階級が政治的に無権利状態であったことからも、当然のことでした。
しかし実際には、19世紀末から20世紀初頭にかけて、資本主義が自由主義段階から帝国主義段階へと移行してまいりますと、資本主義の国内構造と国際関係は大きく変質し、有産階級対無産階級といった単純な対立図式から世界革命を導くことは困難になっていたのです。その点を踏まえて言いますと、ロシア革命はある意味で「敵ミス」もあって成功した早生的な社会主義革命だったといってよいかもしれません。しかしこの点は、今日の主題ではありませんので、これ以上は立ち入りません。
そこで次に、20世紀のもう一つの出来事である、資本主義の変貌について、話を進めたいと思います。
4.現代資本主義の特質
4-1社会主義の脅威・大恐慌による危機 冒頭で述べましたように、20世紀の大きな出来事の第2は、資本主義の変貌であります。ロシア革命後の資本主義を、社会主義の影響を受ける「社会主義と対立する資本主義」と規定し、この時代を世界史的な資本主義から社会主義への移行期と規定したのは宇野弘蔵先生ですが、大方のマルクス経済学者もほぼ同様の時代認識を持っていたと思われます。もっとも、この規定と時代認識は、ソ連が崩壊した後修正しなければならないと考える研究者も多いようですが、私は依然としてこれを維持しております。この講演のタイトルもその点に由来しているのですが、その理由はこれからのお話しの中でだんだん明らかにするつもりです。
ロシア革命による社会主義の現実化と、1929年秋のニューヨーク・ウオール街の株価大暴落に始まる世界大恐慌によって受けた、資本主義世界のショックと打撃は、極めて大きなものがありました。それは資本主義世界にとって、革命の成功そのものが、それまでは理論と想像の世界でしかなかった社会主義を現実化したものとして脅威でした。また1920年代に「永遠の繁栄」を誇った米国が、30年代には4人に1人の失業者を生み出す「深く・広く・長い」大恐慌に見舞われるなかで、ソ連が2度にわたる経済の5カ年計画を成功させたことも脅威を増幅させました。スターリン独裁下の悲惨な政治的現実は情報統制のもとで隠蔽される一方、世界各国で共産党が結成され、恐慌下に労働運動や社会主義運動の高揚が見られました。
4-2現代資本主義への移行 事ここに至って、資本主義はみずからの原理を部分的に自己修正し、脱資本主義的ないし社会主義的要素を部分的に内部化しなければなりませんでした。その経済面における修正が、すぐ後で述べます金本位制の終局的停止による管理通貨制への移行と、いわゆるケインズ政策の採用です。これは米国に先んじて採用した日本を含む資本主義諸国に普及しました。さらに二度にわたる総力戦としての世界大戦は、労働者階級と家庭婦人を動員する必要から、労働運動や婦人運動がそれを求めて長年闘ってきた、普通選挙権や労働基本権などの付与による「同権化」と福祉の充実を促進することになりました。
私は、両大戦間期を過渡期として、それ以前の資本主義を古典的資本主義、その後つまり第2次大戦後の資本主義を現代資本主義と呼んで区別しております。現代資本主義という言葉でカバーする範囲は、通常修正資本主義と呼ばれ、マルクス経済学者の間では国家独占資本主義、近代経済学者の中では公私混合経済と呼ばれていたものの内容とほぼ重なります。そしてその内容を私は、第1に経済システムとしての管理通貨制とそれを基礎としたケインズ政策、第2に政治システムとしての男女平等普通選挙制を基礎とした大衆民主主義、第3に社会システムとしての労働基本権と生存権を基礎とした福祉国家、の3点で理解しております。
4-3管理通貨制とケインズ主義 第1の管理通貨制を基礎としたケインズ政策の出発点は大恐慌対策でした。日本の高橋(是清)財政が先行し、米国のニューディール、ナチスドイツの労働振興政策などが挙げられます。その要点は、恐慌で生じた過剰資本、それは現実には過剰設備と遊休資金して現れますが、この過剰資本と失業者として存在している過剰労働力を、赤字公債で調達した利潤を要求しない財政資金で結合し、両者の解消を通じて恐慌からの脱出を図ろう、というものです。赤字財政による財政政策です。これは第2次大戦後には、財政政策に中央銀行による金利操作を加えたポリシーミックスによって、恐慌を事前に回避するための景気調整政策に進化し、1950〜60年代の戦後資本主義の繁栄を支えることになります。
ところで、赤字財政をある程度継続するためには、その前提として国際収支という対外関係からの制約を回避するために、金本位制、すなわち中央銀行券の金兌換を停止して管理通貨制に移行することが必要です。大恐慌の後資本主義諸国は次々と金本位制を停止して為替レートの引き下げ競争を展開し、それは第2次大戦の一因となりました。第2次大戦後は、その反省から1944年のブレトンウッズ協定によって、各国通貨当局に限って金兌換を保障した米ドルを基軸とする国際的な管理通貨制となりましたが、1971年8月のニクソン声明による金・ドル交換停止、73年春の主要通貨の変動相場制移行へと展開し、現在に至っております。管理通貨制による金の「廃貨」は、一定の条件の下で貨幣数量説的効果による人為的物価操作、ひいてはそれによる実質賃金操作を可能とするもので、古典的資本主義から現代資本主義を区別する基本的指標であります。宇野先生の表現によれば「資本主義から骨髄を抜き取る」類のものですが、その意味で、これは社会主義ではありませんが脱資本主義ではあり、将来社会主義が必要とする経済操作の一手段たりうるものだと考えられます。
4-4男女平等普通選挙権と大衆民主主義 次は第2の大衆民主主義についてです。日本では、民主主義は資本主義に照応する政治制度だという思い込みが強いのですが、先にも示唆しましたように、資本主義とともに成立するのは制限選挙制による議会制度、いわゆる名望家政治でした。資本主義が確立した19世紀イギリスで、男子普通選挙制を要求したチャーチスト運動は敗北しているのです。普通選挙制や婦人参政権は、帝国主義段階に本格化した社会主義運動が労働運動・婦人運動と共に新中間市民層を巻き込んで要求し、権力側も世界大戦に労働者や女性を動員する必要から容認し、導入・普及が進んだものでして、第2次大戦後にようやく、日本を含むほとんどの資本主義国で定着したものでした。その意味で、男女平等普通選挙権に基づく大衆民主主義は、私は資本主義よりも社会主義に近親性のある政治制度だと評価できると思っております。
4-5労働基本権・生存権と福祉国家 第3の福祉国家は、第一次大戦後のドイツ革命の流産後に制定されたドイツ・ワイマール憲法を嚆矢として、第2次大戦後にはほとんどの資本主義国が目標とした国家像であります。その骨子は労働基本権と生存権の保障にあります。労働基本権は、ご承知のように団結権・団体交渉権・争議権ないし団体行動権の三権からなる労働者の集団としての権利です。生存権を保障する社会保障制度は社会保険と公的扶助からなり、この両者は。制度的には帝政ドイツの社会保険を中心とした社会政策と英国の救貧政策を引き継いだものですが、社会政策や救貧政策が、皇帝や王様の権力による恩恵として上から与えられた性格のものであったのに対して、社会保障は国民の権利として認められたものであり、その性格が質的に異なることに留意しておく必要があります。
4-6クリーピング・ソーシャリズム このように理解しますと、労働基本権や生存権などのいわゆる社会権的基本権は、社会主義的理念が資本主義社会の中に部分的に内部化したしたものとして評価することができます。言いかえれば、資本主義社会の中に芽生えてきた社会主義の萌芽だと考えることができます。私はこれを、クリーピング・ソーシャリズムと呼んでおります。
この福祉国家の理念は、1970年代のスタグフレーションの結果生じた新自由主義の台頭によって、後退し弱化しているものの、現在なお基本的骨格は維持されているといってよいでしょう。そして実は、この労働基本権と生存権の公認が、先ほど申しました、資本主義の基本的矛盾の基礎である「労働力の商品化」と鋭く対立する性格をもち、その希薄化を通じて、資本主義への社会主義の部分的内部化を端的に表現しているのでして、そこで次にその点を具体的にみてみたいと思います。
5.福祉国家における労働力商品化の部分的止揚
5-1団体交渉による賃金決定 労働者の団結権・団体交渉権・争議権からなる労働基本権の公認によって、労働者は労働組合に組織され、賃金が資本家(経営者)と労働組合との間の団体交渉を通じて決定される仕組みが形成されました。その具体的在り方は国によって異なりますが、これは労働者自身による賃金の自己決定ではないものの、賃金決定における労働者の参加を意味するものではあります。労働力商品の価格である賃金は、この仕組みによって、市場で他律的に決定されるものから、労働者の団結という経済外的・主体的な力による一定の影響を受けて決定されるものに変化しました。これは、労働力商品の商品性の希薄化のひとつの表現だといってよいと思います。もちろん、賃金決定に当たって労働組合がどの程度の影響を持ちうるかは、その組織率はもちろん、経済情勢とくに労働市場の状況と、労使の力関係によって大きく制約されます。大企業と中小・零細企業とで異なった事態も生じるでしょう。しかし、先に述べた管理通貨制度のもとでのケインズ政策は、政府による意識的なインフレ政策を可能にしました。これは資本に対して賃上げをインフレで取り戻すという武器を与えることともなり、労働組合の賃金上げ要求に対する資本の抵抗を、ある程度緩和する面も有ります。労働基本権の公認は、資本の労働者階級に対する譲歩であり、金本位制から管理通貨制への移行は、それ自体一定の脱資本主義を意味するものですが、労働者階級の賃金決定への参加による所得水準の上昇は、技術革新その他の諸要因とあいまって、皮肉にも1960年代頃までの現代資本主義の「繁栄」を支えたのであります。もっとも、この仕組みは1970年代以降「賃金と物価の悪循環」によるスタグフレーションを招くという限界があらわになるのですが、その点は後で述べたいと思います。
5-2解雇条件の協約化と社会保障 先に述べましたように、労働力の商品化の止揚に接近する第2の条件は「雇用の保障」であります。この点では、これもまた労働基本権の公認によって実現された資本家(経営者)による労働者の解雇条件の労働協約化が指摘できます。それによって資本家の解雇権が無くなったわけではありませんが、その恣意的な乱用が困難になったことは確かです。労働協約によって、解雇にも一定の手続きと手順が定められることは、その内容はこれも国によって異なりますが、労働者にとっては、たえざる失業の恐怖からの一定の解放を意味すます。
しかし、より重要なのは、社会保険と公的扶助による社会保障制度の確立であります。失業給付・医療給付・老齢年金を保障する社会保険と、その適用を受けられない場合の生活・医療扶助の制度化は、国民一人ひとりの生存権とそれを保障すべき国家責任を認めたことにほかなりません。これによって労働者は、失業して労働力を商品化できない場合でも、最低限度の生活を営むことを権利として保障されたのであります。その意味で、これも労働力商品の商品性の希薄化の一面を示すもの、と言ってよいでしょう。生存権の公認は、社会主義的理念をブルジョア的権利形式に包摂したもので、本来資本主義の論理からは出てきようがないものです。この福祉国家のシステムもまた、管理通貨制度が可能にしたケインズ的完全雇用政策とあいまって、一時期までの現代資本主義の「繁栄」を支えたのであります。
5-3欧米福祉国家の限界 もっとも、このメカニズムはやがて、1970年代以降の欧米諸国で、その限界が福祉国家の腐朽という形で表面化してまいります。その1つは、失業の恐怖の緩和に伴う労働組合の団体交渉力の強化が、労働市場の条件を越えた高い賃上げを実現し、資本家がそれによるコスト増を価格の引き上げで取り戻すという、いわゆる賃上げと物価上昇の悪循環をもたらしたことです。物価上昇率は、当初2〜3%のマイルドなものでしたが、石油危機によるその増幅もあって二桁のハイパーインフレ—ションに悪性化し、ひいてはスタグフレーション(インフレ下の経済停滞)を生みだしました。その2は、これも失業の恐怖の緩和が「労働力商品の消費過程」つまり労働過程における労働モラルの弛緩をもたらし、いわゆるアブセンティズム、無断欠勤や山猫ストなどを頻発させたことです。いわゆる英国病、米国病です。
そこから80年代には、新自由主義の「福祉国家亡国論」による労働者バッシングが始まったのですが、それは現代資本主義=福祉国家の枠内における「労働力商品化の止揚」の限界を示すものだったと言えましょう。
以上で見てまいりましたように、第1次大戦以降の現代資本主義の展開のなかで、運動としての社会主義の成果が、労働組合による賃金決定への参加、社会保障制度による失業の救済の2点で、労働力の「商品性」の希薄化つまり私の言う「労働力商品化の部分的止揚」を実現してきたのですが、そしてこれは程度の差はあれ、日本を含めた先進資本主義諸国で一様に実現したのですが、残るもう1点の「労働者による労働過程の自主管理」につきましては、欧米諸国と日本とではかなり様相が異なっております。いうまでもなく前者では、この点はほとんど実現しておりません。むしろ雇用保障の部分的実現が上述のように労働モラルの弛緩をもたらし、アブセンティズムを発生させさえしました。それに対して日本の場合には、国際的にも高く評価される高い労働モラルのもとで、ある種の「自主管理」が成立していることが確認できるのであります。
5-4日本的経営と会社主義 1970年代の石油危機の克服過程で、欧米諸国がスタグフレ−ションからなかなか立ち直れなかったのに対して、日本がその克服に見事なパフォ−マンスを示したこと、そして、それを可能にした有力な原因のひとつとして、大企業における協調的な労使関係を基軸とする「日本的経営」が国際的に注目されたことは、よく知られております。それは、当初は終身雇用・年功序列賃金・企業別組合の三位一体のシステムとして単純にとらえられていましたが、研究の進展につれて、ブルーカラーとホワイトカラーを同一の「社員」身分に置いた上での従業員の能力主義的選別と統合、深くて広い内部労働市場を背景としての、職務のフレキシビリティ−、オン・ザ・ジョブ・トレ−ニングとジョブローテーションによる労働者の多能工としての熟練形成、そのホワイト・カラ−版である中・上級管理者の育成、さらにはその帰結としての企業経営者の従業員昇進者からの選抜、QCサ−クルを始めとする小集団活動、ボトム・アップの意志決定過程、中・長期的な経営戦略等々、日本の大企業における経営システムのさまざまな特質が検出されるに至りました。
それらを通じて浮かび上がってくる特徴のひとつは、欧米諸国と比べて、日本の企業にでは従業員の経営参加の度合いが著しく高く、その結果、従業員の企業に対する強い帰属意識が生まれ、「全員参加経営」ともいわれるような企業の「共同体的性格」が形づくられていることであります。この企業共同体は、トップから末端の新入社員までが一丸となって企業目的の実現のために邁進する人間集団を形成している−−少なくとも企業の外からはそのようにみえる−−のであります。そこでは、労働者が単に労働力の提供者として資本家(経営者)の指揮のもとに受け身で労働するという、現在なお欧米諸国で支配的な労働過程とは異なって、労働者が「会社員」として経営者の意志を体して労働過程に主体的に取り組むという、ある種の集団的「自主管理」が存在するといって間違いありません。その点で「労働過程の自主管理」の課題も、日本では、すぐ後で述べる限界と疑似性を持ってではありますが、実現しているといってよいと思われます。さらにいえば、前記の「賃金の自己決定」「雇用の保障」の課題においても、日本的労使関係においては、一方で経済情勢によっては雇用の維持のため労働組合が賃上げを自己抑制し、他方では経営者側も極力解雇の回避に努力するというビヘイビアがとられるのであります。
こうした日本的経営における労働者の積極性と労働規律は、当時来日したソ連や中国の研究者から「社会主義的」と言う賛辞を頂戴したのですが、私どもは「社会主義でなくて会社主義なのです」と答えたものでした。そこには次のような限界と問題が存在していたからです。
まず第1に、このような日本的労使関係が成立しているのは、大企業における正規従業員の範囲に限られ、それは全労働者の約3分の1をカバ−するに過ぎないことです。一部中堅企業や大企業の援助・指導が及ぶ下請企業の中核労働者は別として、大部分の中小・零細企業の労働者や、臨時工・パ−ト・派遣労働者の大部分は、このような諸関係から疎外されております。かれらの賃金は市場できまり、不安定雇用にさらされており、熟練形成や昇進にもせまい限界があります。
第2に、大企業の正規従業員の場合であっても、そこにおける集団「自主管理」的労働の質が問題であります。それは端的にいって、資本の目的、つまり利潤の追求という大枠によって限界づけられております。大企業従業員は、この利潤の極大化のために主体的に取り組んでいるのでして、その意味ではその労働の質は、資本家(経営者)としての労働の性格をも帯びているのであります。従って大企業従業員は当然利潤の分配にあずかっているとみてよく、当然そのしわ寄せは、臨時工やパ−ト・下請けの労働者に及ぼされることになります。そこに労働者による労働過程の集団「自主管理」の疑似性があり、日本的経営の社会主義ならぬ「会社主義」としての特質が存在するのであります。
いったいこれは何を根拠にしてのことなのでしょうか。それは一口でいえば、戦後改革(財閥解体)とその後の高度成長の過程で、いわゆる法人資本主義が確立し、大企業の大株主がほとんどすべて法人となり、また大企業の中核部分によって構成される企業集団で、法人間の株式の相互持合いが支配的となった結果、ひとつには、株式所有者の企業経営に対する支配が例外的な場合を除いて作用せず、その結果いわゆる経営者支配が徹底したことです。二つには、そのことと関連して自然人の間における階級関係が希薄化したことに由来すると思われます。
前者は周知のところですので、後者の点を多少敷衍しておきますと、先にも指摘しましたように、日本の大企業ではトップの社長から重役までの経営者、そして上・中・下級の管理者のほとんどが、当初は新入社員であった従業員からの昇進者によって構成されていることと関連しております。そのような人事構造のもとでは、トップから末端までが、「従業員」としての質的同一性・連続性を持ち、末端に近づくほど労働者的性格が強く、トップに近づくほど経営者的性格が強くなり、その中間にグレ−ゾ−ンがあるという、階級・階層区分の不明確さが特徴的となります。裏返していえば、経営者に労働者的性格が残り、労働者に経営者的性格が付与されているといってもよいでしょう。そして日本的経営の現実では、この二重の性格のうち経営者的性格がより強く全従業員を支配することによって、会社ぐるみの集団的「自主管理」、サ−ビス超勤を含む長時間労働でもって資本機能の実現に邁進する、企業共同体の「会社主義」が実現しているのであります。階級関係の希薄化は、日本的経営の欧米諸国の場合と比較しての著しい特徴といってよいと思われます。
このような戦後の財閥解体を起点とした日本的経営の成立、そこにおける階級関係の希薄化を、運動としての社会主義の成果として評価することには、若干の抵抗があるかもしれません。しかし、日本の戦後改革そのものが、全体として当時の世界的な規模での社会主義の高揚を背景として実施されたものであること、そして、ここで詳述する余裕はありませんが、日本的経営なるものが、俗説のいう日本の伝統文化の産物などではなく、戦後から高度成長初期までの階級闘争的労働運動に対する、資本と政府の側からの対応過程で形成されたものであることを考慮しますと、けっしてその例外とは言えないのであります。
5-5一応の結論 さて、以上の検討から導き出される一応の結論は、「ソ連型社会主義」が「所有の社会化」は実現したものの、社会主義が実現すべき本来の経済的課題である「労働力商品化の止揚」という点ではほとんど成功しなかったのに対して、現代の福祉国家および日本的経営のもとでは、それが部分的でありまた疑似的ではあっても、具体的に実現されつつあるということであります。そしてそれが、直接・間接に運動としての社会主義の影響のもとに生みだされたものだということであります。これをまとめていえば、現代資本主義のもとにおけるクリ−ピング・ソ−シャリズムの展開といってよいでしょう。同様の評価は、「大衆民主主義」や「福祉国家」についてもいえると思います。1990年代のソ連・東欧圏の激動を、ソ連型社会主義の破綻と評価することには同意できても、社会主義の資本主義に対する敗北と評価することには同意できない所以であります。
Ⅱ.21世紀資本主義の展開と展望
1.新自由主義と資本主義のグローバル化
1-1移行のテコとしての新自由主義
1979年に登場した英国サッチャー政権によるサッチャリズム、80年に米国で登場したレーガン政権によるレーガノミックスの推進は、スタグフレーション下の社会解体の危機に対する資本主義的反動・逆襲でした。そのイデオロギー的特質は、それまでのケインズ主義と修正資本主義に代わる、市場原理主義と新自由主義でした。日本語訳では同じ新自由主義ですが、19世紀末の英国の new liberalism が古典的自由主義の修正を意味したのに対して、このたびの neo liberalismは、少なくともイデオロギー的には、修正された資本主義を古典的自由主義に回帰させようとする指向でした。福祉国家がバッシングの対象とされたことは、言うまでもありません。
もちろん、現実に歴史の文字通りの逆転があったわけではありません。古典的資本主義から現代資本主義を区別する金本位制の停止=管理通貨制度や大衆民主主義的政治制度、さらには生存権・労働基本権などの社会権的基本権の保障を含む福祉国家の骨格は、維持されたままであります。しかし具体的に実施された荒療治の中身は、労働組合の弱体化、福祉削減と自助努力の推進、産業・金融・労働などあらゆる分野での規制緩和と公共部門の民営化、それらに企業減税や所得税累進税率の大幅緩和を合わせた「小さな政府」の実現等々、いずれも19世紀自由主義段階を彷彿とさせる諸施策でした。そしてそれと並行して、米国がなお比較優位を保っていた金融・証券と農業の分野で対外的自由化要求を進め、90年代以降のグローバル資本主義への道を切り開いていったのであります。そして日本もまた、この間に生じた激しい日米経済摩擦打開の方策として、新自由主義を受け入れ、第2臨調の行革路線を展開したのでした。
1-2冷戦の終結とICT技術革新 ところで新自由主義と共にもう一つ、資本主義のグローバル化をもたらした動力としてのIT革新、最近のより厳密な言い方ではICT(情報通信技術)革新による新しい生産力基盤の登場を指摘しておかなければなりません。
ICT革新とは、第1に、デジタル処理技術の向上によるコンピュータの計算能力の飛躍的向上と、そのポータブル化を可能にしたパソコンの登場、第2に、90年代初頭の東西冷戦の終結とともに、米国で軍事部門から民間に開放されたインターネットの利用とその世界的普及、第3に、それらを可能にしたハードとソフト開発を含む情報通信分野での技術革新の総体、を指す言葉であります。それは、それ自身がもたらした情報のグローバル化[i]を含めて、現代資本主義にグローバリゼーション(globalization)という新しい構造変化をもたらしました。その中国語訳が「全球化」であることに示されますように、それは、国家間の国境と政治的主権を残したままではありますが、世界経済の、それまでの国際化(internationalization)を質的に越える「一体化」をもたらすこととなったのであります。
1-3グローバル資本主義 今ここで、国際経済関係、世界経済問題、経済のグローバル化という三つの言葉の異同について触れておきますと、といいますのは、グローバリゼーションは16、17世紀の昔からあった、という見解に異を唱えるためですが、第1次大戦前の古典的帝国主義段階までの世界は、植民地支配を内包する主権国家の存在を前提とした国家間関係つまり国際関係によって律せられていました。国境を越えた経済関係の大部分が国籍を持った商品貿易・為替取引、・資本の輸出入で占められていたことがその点を示しております。しかし、第1次大戦後になると国家間関係つまり国境を超えた農業問題とか通貨問題などの世界経済問題が発生し、それに対応した国際機関の設立などが行われます。最近の地球温暖化を含む環境問題もそのような性格のもので、これらは国家間の交渉だけでは処理し得ない性格をもつ点で、国際経済関係とは次元を異にするものでした。今日の経済のグローバリゼーションは、中国語訳の「全球化」がうまい表現だと思いますが、経済関係において国境そのものが形骸化し、世界がひとつの市場になるかのような動きであります。もちろん、これもよく指摘されますように、経済のグローバル化は同時にEUとかNAFTAとかASEANのような地域化を伴っているのですが、それ自身も単一市場を目指している点で国境の形骸化の側面を持っていることを忘れてはなりません。
そこで経済のグローバル化の現実を見ることにしますと、それはやや異なった主役による異なった形での二つの分野、具体的には金融グローバリゼーションと産業グローバリゼーションとして展開していることがわかります。そこで、この両者のそれぞれについて見ることにします。
2.金融グローバリゼーションと産業グローバリゼーション
2-1金融グローバリゼーション 経済のグローバル化は、まず金融面が先行しました。それは、世界市場でヒト(労働力)・モノ(商品)・カネ(資金)のうち一物一価が最も成立しやすい商品はカネですから当然ともいえますが、製造業で日本やNIEsに敗れた米国の逆襲の側面もありました。なぜなら、金融グローバリゼーションを主導したアメリカの巨大商業銀行や投資銀行は、米国に残された競争力の最大の比較優位分野だったからであります。
ここでそのプロセスを追う余裕はありませんが、米国によって1980年代から90年代にかけて推進された金融グローバリゼーションは、初期IMFにおいては許されていた各国の資本取引規制の撤廃の推進、すでに50〜60年代から形成されていたユーロ市場に加えて各国金融市場でのオフショア市場の形成にまで及びました。その結果、世界の金融システムは、米国金融資本の主導の下で、モザイク的に存在する各国の金融市場を証券(資本)市場でつなぐという形に編成されました。そしてこれは、米国に伝統的な金融システムをグローバルな規模で相似形的に拡大した姿でもありました。しかもICT技術の進歩によって、為替や証券などの売買は、世界のどこかで開かれている取引所で瞬時に大量取引が可能となりましたから、こと先進諸国間の金融取引に関しては、ほぼ単一の世界市場が形成されたといってよいと思われます。
2-2投機的取引の拡大と繰り返すバブル 金融グローバリゼーションは、いわゆる経済の金融化・証券化を通じて資本による投機的取引の増大をもたらしました。その点をもう少し具体的にみておきますと、まず金融面では、第1に、為替レートの変動制移行によってレート変動幅が拡大した結果、貿易などの経常取引の実需以外に、売買差益の獲得を目的とした為替への投資ないし投機が盛んとなりました。最近では為替取引の8割ないし9割が実需ではなく、投機目的のものだと言われております。第2に、金利の自由化によって多様なリスクとその程度によって差別化された新しい金融商品や、株式・債券・金利・為替などを原資産とする、当初はヘッジ目的で設定されましたが、次第に投資や投機の手段としても利用されるようになった先物・オプション・スワップなどの金融派生商品(デリバティブ)が生み出されました。さらに第3に、一方では資金調達を銀行借り入れ(間接金融)から株式・社債・コマーシャルペーパー(cp) 等の証券発行による直接金融へ転換する形で、他方では住宅ローンやリース料などの債権などを担保とした証券を発行する形で、いわゆる金融の証券化が進みました。
証券化商品の開発に当たっては、大恐慌後に制定されたグラス・スチーガル法の廃止によって、同法で禁止されていた投資銀行業務と商業銀行業務の兼営が認められ、金融商品を取り扱う前者の業務が拡大し、またこれらに積極的に投資するヘッジファンドなどの新しい投資機関が台頭しました。また、この時期に急速に発展したいわゆる金融工学の技法が活用されたことは、よく知られております。そして、これらの金融商品の組成と取引に関連したさまざまな仕組みと担い手(格付け会社や保険会社など)が生まれ、金融取引の肥大化が進みました。それとともに投機的取引も膨張し、バブルとその崩壊が繰り返されました。このバブルとその崩壊の繰り返しを通じて、少数者への金融資産の集中がすすんだことは言うまでもありません。
日本では既に80年代末に資産バブルが起こり、90年にそれが崩壊して「失われた10年」に突入しますが、米国では、21世紀初めにITバブルが崩壊した後、2000年代には住宅ブームを背景に、サブプライムローンを担保に組成された何段階もの証券化商品がヨーロッパを含めてブームとなり、2008秋に至ってリーマンショックに始まる大崩壊が生じたのであります。
2-3.産業グローバリゼーション 金融グローバリゼーションが米国の金融資本の古くからの柱である巨大な投資銀行と商業銀行に主導されたものであったのに対して、産業グローバリゼーションの展開は、やや複雑でした。その出発点は、スタグフレーション下に国際競争力を失った米国製造業企業のリストラクチャリングでした。彼らはアウトソーシング、オフショアリングさらには直接投資などによって盛んに生産の海外移転を図りましたが、それが文化大革命を収束して80年代以降改革開放に転じた中国、さらにはBRICs(ブラジル・ロシア・インド・チャイナの頭文字)と呼ばれる新興諸国の、外資導入を重要な政策手段とした工業化政策と結びつくことによって、一挙に推進されることになったのであります。
それだけではありません。1990年代に入って米国で勃興したICT関連産業−−−−典型的にはパソコンや携帯電話、スマートフォンなどのハードと、それを用いるソフトから成り立っていますが、−−−−これらのICT関連産業のうちの前者は、モジュール化された諸部品の簡単な組み合わせによって生産されるという特性を持っております。これらの産業をモジュール型産業と呼びますが、それは、50〜60年代の高度成長期の支配的産業だった自動車のような、数千・数万の部品を摺り合わせながら組み立てて完成する、したがって部品から完成品までを垂直統合した下請けを含むワンセットの企業集団で構成される、インテグラル(すりあわせ)型産業とは大変異なっておりました。これらの産業では、産業内国際分業を含んだ企業内国際分業の形で、企業が「レゴブロックのように」分割されております。一般に開発・設計と流通・販売は自社で担うが、生産工程が必要とする高品質部品は、自社ないし自国や日本などの先進国企業から調達し、汎用品や簡単な組立工程は、低賃金の新興国企業にアウトソーシングする、という具合にであります。なかにはアップルやデルのような生産工程を自国内・自社内に持たないファブレス企業も登場しました。そしてこれらの企業が供給するモジュラー型製品は、いずれも典型的な軽薄短小型の製品でしたから、部品・製品の運送は空輸に適しており、従って生産の大部分を新興国のODM(相手先ブランド設計製造業者)やOEM(相手先ブランド製造業者)に委託することによって、産業グローバリゼーションの典型的な担い手となったのであります。
2-4産業グローバリゼーションの意義 沿海地域に特区を設定して外資を呼び、先進国から輸入した部品・半製品を組み立てて生産した工業製品を、再度先進諸国に輸出するという輸出志向工業化政策は、すでに1970年代のアジアNIEs(韓国・台湾・香港・シンガポール)に成功例がありました。しかし、それが人口13億を越える中国などの人口大国で実施されますと、そこに進出する先進国資本にとっては、資本主義の基本的矛盾の基礎をなす労働力商品化の無理、つまりその供給制約が長期にわったって「解除」されることを意味します。先進国の資本が、直接投資によってであれ生産のアウトソーシングによってであれ、この無限に近い労働力を自由に利用できるということは、単一の世界労働市場が形成されたわけではありませんが、そしてまた、地域や国の経済発展段階に規定された、労働力の質や賃金水準の差を残したままではありますが、労働力の移動に代わる資本の移動、あるいは投下先の多様化、さらには海外委託生産を通じて、労働市場の間接的なグローバル化が実現したと言うことができます。こうした新興国の低賃金労働力の利用は、金融グローバリゼーションにおいても、コールセンターなどの単純なオフィス業務を新興国に置いた支店や子会社に担わせたり、現地企業に委託する形で行われております。労働力の国際移動の困難を、資本移動ないし投資先の多様化が代替することで、労働市場の間接的なグローバル化が実現したこと、ここにグローバル資本主義の本質があるというのが私の理解であります。
労働力の供給制約の緩和は、もちろん無限ではありません。既に中国では内陸開発の本格化と共に労働力不足による賃金上昇が始まっています。しかし、中国の後にはASEANやインドが控えており、ここ当分は産業グローバリゼーションの拡大が進むのではないかと思われます。そしてその担い手であるICT企業は、産業内・企業内の国際分業を組織して世界市場を席巻し、自動車・電機など旧来のインテグラル産業企業と共に多国籍企業化を進めているのであります。
3.資本主義の歴史的限界と社会主義の可能性
3-1金融グローバリゼーションの破綻と経済政策の混迷 2008年10月の米国大手投資銀行リーマン・ブラザーズの倒産を契機として世界的な金融危機が勃発し、金融グローバリゼーションは破綻しました。金融危機は、管理通貨制度下の米国の連銀やEU中央銀行の「最後の貸手」機能の発動と、各国政府による公的資金の注入など、市場原理を否定する緊急策で信用パニックへの展開が食い止められ、また中国など新興諸国による需要の下支えもあって、1930年代のような大恐慌への崩落を回避できました。
私はリーマンショックの直後、これで新自由主義の時代は終わり、再びケインズ主義の時代が再来すると考えたことがありますが、しかし、その後の経過を米国についてみますと、一方では金融機関やGM救済のような公的資金の注入による緊急対策などで政府による市場介入が強化されながら、他方では新自由主義的政策も執拗に追求されており、ケインズ政策と新自由主義政策が重なり合うといった混迷が続いております。連銀(FRB)による非伝統的金融政策としての量的緩和措置(QE)は、失業率がほぼリーマンショック前に戻ったのちも継続し、なお明確な「出口」を見いだせないでおります。
日本の安倍政権によるいわゆる「3本の矢」も、当初のそれについてみますと、第2の「機動的な財政政策」はケインズ政策そのものであり、第1の「異次元金融緩和」もその変形と見られるのに対して、第3の「民間投資を促進する成長政策」(規制緩和)は、小泉内閣以来の規制緩和による新自由主義政策の延長です。このようないわば「何でもあり」の政策は、いったい何を意味するのでしょうか。そこに、首尾一貫した新しい処方箋を見出すことができないでいる現代資本主義の最後の姿が示されている、というのが現在の私の見方ですが、どうでしょうか。
3-2産業グローバリゼーションと格差社会化 金融グローバリゼーションの帰結が、その破綻と経済政策の混迷であるのに対して、産業グロ−バリゼーションの帰結は何であったのでしょうか。産業グローバリゼーションは、一面では、新興諸国の工業化を促進することによってそのGDPと所得水準を高め、南北格差の解消に貢献したことは確かです。その点は中国経済のめざましい発展を見ただけで明らかなことです。
しかし、同時にそれは、新興諸国の低賃金労働力の直接的・間接的利用を通じて、先進諸国の産業空洞化と、その結果としての失業率の増大を招き、先に触れた新自由主義による労働者保護規制の緩和とあいまって、先進国労働者の賃金の低下をはじめとする労働条件の悪化と、資本による労働者支配を強める結果をもたらしました。2008年に『時代はまるで資本論』という書物が出版されておりますが、実際19世紀に戻ったかのような不安定雇用、低賃金、長時間労働が現実化しました。金融グローバリゼーションを利用して少数の金持ちがますます富裕化する一方で、中間層の没落と労働者階級の貧困化が進んだのです。全体としては経済成長によって先進国にキャッチアップした新興諸国でも、その国内では同様の所得格差の拡大が進みました。フランスの経済学者ピケッティが明らかにしたような、地球規模での所得格差の拡大が進んだのです。これが産業グローバリゼーションの帰結だったと言えましょう。つい先日行われた米国の大統領選挙で、予想外のトランプが当選した背景にも、このような事情があったといえそうです。
3-3新しい社会主義の可能性 さて、これまでに見て参りましたように、20世紀の50〜60年代の福祉国家の時期が、現代資本主義が社会主義的要素を部分的に取り込むことによって可能になった繁栄期であったとすれば、70年代を過渡期として、80年代から今日に至るグローバリゼーションの時期は、福祉国家の社会主義的要素の形骸化を進めた資本主義的反動の時期であったということができます。それにもかかわらず、私がなお「新しい社会主義」にについて語ろうというのは、この講演の途中でも何度か触れましたように、内容的にはかなり形骸化が進んだとはいえ、男女平等普通選挙権を基礎とした大衆民主主義の政治制度、労働力の商品化に鋭く対立する労働基本権や生存権の制度的骨格は、なお厳然として存在しているからであります。これらの諸制度はもともと資本主義が積極的に作り出したものではなく、労働運動や社会主義運動が要求し勝ち取ってきたものであり、それが労働力商品化の止揚という社会主義の課題に接近する内実を持っていること、つまりクリーピング・ソーシャリズムの現れであることは、既に述べました。そうだとすれば、その拡張と徹底の追求こそが、社会主義への道の第一歩だと言うことになります。
そこで、以上のような私の理解と評価が認められるとするならば、現代資本主義のもとでの社会主義的変革の構想にも、新しい視角が提起されることになります。最後にその点に関するいくつかの問題について、議論の素材を提供しておきたいと思います。
3-4社会主義への移行過程の新視角 第1に、現代資本主義のもとでクリ−ピング・ソ−シャリズムの展開が認められ、社会主義への道がその拡大と徹底にあるとするならば、従来所有関係の変革による質的な断絶のイメ−ジで考えられてきた資本主義から社会主義への移行は、より連続的な長期の過程として考えられなければならない、と思われます。それは、私たちの世代が若いころに習った唯物史観による次のような理解、すなわちこれは先進国の場合ですが、「ブルジョア革命は旧社会の内部に資本家的社会関係が徐々に形成され、権力の移行としての政治革命はその追認として生じるのに対して、社会主義革命は権力の移行が先行し、社会の改造はその後に、権力を獲得した労働者階級の政府によって実行される」といった理解に、修正を迫ることになるのではないか、ということです。社会主義への移行は現代資本主義の現実のなかで既に始まっているのであり、それを推進するための核心は、繰り返し指摘してまいりました「労働力商品化の止揚」ですが、それは資本主義が解決し得なかった一般民主主義的な諸課題と同時に追求されることになると思われます。
第2に、そこで「労働力商品化の止揚」を完成させるためには何が必要かが問題となります。現代資本主義の歴史と 現実に即して考えれば、まず欧米諸国の場合には、相当程度に固定した社会階級としての、資産所有と結びついた資本家層の解体が課題でしょう。その場合、日本の経験に即して考えるならば、重要なのは資産所有の自然人との切断であります。いいかえれば、自然人の資産所有に基づく資本機能の抑制・除去であります。日本ではそれが財閥解体とその後の法人資本主義化によって、所有による経営への関与が眠らされることによって、事実上実現されたのでした。
その上で、これは日本の場合の現実的課題ですが、大企業の企業としての資本機能の抑制・止揚が必要です。ただ、その抑制・止揚の力がどこから生まれうるかは、なかなか難しい問題です。それが日本的経営自体の中から「会社主義」を否定する「経営の民主化」の形ででてくるためには、大企業従業員集団の、前に申しました二重の性格のうち、労働者性が経営者性つまり資本家性を圧倒する必要があると思われます。それには、大企業における労働組合の体質の民主的改革が不可欠だと言えましょう。
しかし、もしこの日本的経営内部からの動力に限界があるとすれば、そこに、これも社会主義のインパクトの所産である、大衆民主主義を基礎とした社会運動と政治的力が発揮されなければなりません。日本の「会社主義」が、従業員を等しく「会社人間」とし、かれらの家庭生活や地域社会での生活を破壊してきた現実のもとでは、政治の力による資本機能の規制こそ——例えば配当規制や労働時間の上限規制など——決定的に重要かもしれません。
さらに、これらの大企業における「労働力商品化の止揚」の追求と並んで、利潤原理に支配されない事業体、長い歴史を持つ協同組合のほか、近年興隆がめざましいさまざまな社会的企業やNGO、NPO法人の成長が期待されます。倒産企業の従業員管理からスタートすることが多いいわゆる民主経営も注目されるところです。
第3に、以上の課題が実現されたとしても、企業相互間・企業と政府・家計間の商品・サ−ビスの取引は、長期にわたって、原則として市場経済に委ねられることになるでしょう。個人の自由を前提したうえでの細部にわたる計画経済の手法は、なお見出しえないからであります。ただし、労働力の商品化の止揚が進むにつれて、「労働力の売買」は「労働の売買」へと、したがって賃金は「労働力の価格」から「労働の報酬」へと、性格の変化が進むのではないか、と考えております。その根拠は、もともと労働力の商品化の前提は、無産階級の創出とともに機械制大工業が可能にする労働の単純化でありますが、重化学工業の登場とともに、一面でその傾向が徹底するとともに、他面で新しい熟練(知的熟練)労働が増大し、その側面で賃金の「労働の報酬」化が進むと考えられるからであります。さらに、今日の生産力=ICT & IA技術のもとで、単純労働の機械での代替(ロボタイゼ−ション)を進めることができれば、労働の大部分が知的熟練労働となる可能性が生まれるでしょう。そして、経済原則である社会的労働配分は、さまざまな種類の知的熟練労働に対する需給の調整を通じて、その意味では市場経済を通じて、しかし、単純労働力に対する需給ではない点で非資本主義なメカニズムで実現されることになると思われます。この賃金の「労働の報酬」化は、「労働力の商品化の止揚」の他の側面ともいえるのでして、それは周知の社会主義の原則、すなわち「能力に応じて働き、労働に応じて取得する」原則の具体化でもあるのです。
以上で、私の記念講演を終わらせていただきます。ご静聴、有り難うございました。
【質疑応答】
Q:旧ソ連で、労働力の商品化の止揚ができていなかったとすれば、ソ連は社会主義ではなかったと言うべきでないか?
A:ソ連は国家資本主義だったという理解があることは承知しているが、資本主義は本来私的な経済主体が主役のシステムである。私的資本が存在せず、生産手段がほとんどすべて国有化されていれば、唯物史観でいう意味では社会主義と言うほかない。講演で述べたように、社会主義になると資本主義の経済法則に替わって人間が主体的に経済原則を仕切らなければならなくなるから、その人間集団の質と仕切り方が問われることになる。場合によってはポルポト時代のカンボジアみたいな社会にもなり得る。ソ連の社会主義もその意味で歪んだ社会主義だった。
Q:講演の内容には賛成だが、なぜ社会主義なのか? 「資本を中心とした社会」から「市民を中心とした社会」へ、ということでよいのではないか?
A:「市民を中心とした社会」という場合の市民は、19世紀のブルジョアジーを指すのではなく、現代の勤労市民を指すのだろう。それはマルクス経済学の用語で言えば労働者のことだから、社会主義と言ってよいのではないか。日本で社会主義という言葉はプラスイメージの言葉ではなくなっているのかもしれないが、米国の民主党大統領候補選挙で、「民主的な」社会主義者を公言してあれだけ票を集めたサンダース現象に注目すれば、日本でも社会主義の再生は可能だと考える。
Q:労働力商品化の止揚などほど遠い中国の現状をどう評価するか?
A:中国の当局は、自らを「社会主義市場経済」と称しているが、実態は資本主義の導入以外の何物でもない。ただ、途上国で早生的に権力をとった社会主義を目指す政権が、生産力の増進を不可欠の課題とする限りで、そういう政策をとることは有り得るだろう。ただ、そこでは政治や経済を担う主体が、つねに資本主義が生み出すイデオロギーに影響されることは当然で、それに如何に対処するかが問われていると思う。
Q:敗戦後の日本のマルクス経済学は、その後の高度成長を見通せなかったのではないか?
A:そう言ってもよいが、戦時中の弾圧で研究が中断されていたことも考慮すべきだろう。なお、マルクス経済学者がたえず「やがて危機が来る」と連呼したため、経営者が真剣に対策をとったことが高度成長の一因になったと評価した近代経済学者がいたことをご紹介しておく。
Q:資本主義の段階あるいは中身が変わってきたことは理解できるが、今後も新しい段階を切り開いていけるのか?
A:管理通貨制・大衆民主主義・福祉国家を骨格とする「社会主義に対立する資本主義」は、社会主義に到達するまで継続するだろう。また、ICT革新など生産力(産業基盤)の進化によるグローバル資本主義は、資本主義の極限を示していると思われる。ただ、政策体系は、おそらくケインズ主義以上のものはあり得ない。その点は、それがスタグフレーションで破綻した後は新自由主義と称する古典的イデオロギーへの回帰だったことに示され、さらに新自由主義がリーマンショックで破綻した後、今は「何でもあり」の政策対応になっていることに示されている。
Q:社会主義を目指すよりも、資本主義内部における民主化、格差是正、応能負担などを優先的に主張する立場をどう評価するか?
A:資本主義が解決できなくなったそれらの諸課題を追求し、徹底することが即社会主義への道だというのが、私の論旨である。
Q:社会民主主義をどう評価するのか?
A:当時の当事者にとってやむを得なかったかもしれないが、第2インターの分裂に始まる社会民主主義者と共産主義者の対立は、過剰だったと思う。社会科学的認識での差異をイデオロギー的対立に絶対化してしまったのが間違いで、イデオロギー的な違いを科学的認識を深めることで解消する努力が必要だった。今後は競争的協力を期待したい。
Q:IoTやAIの進展・進歩に人間が支配される危険はないか?
A:私は先端技術に詳しくはないが、生み出された技術を使用するのは人間であるから、危険をもたらすか否かは、基本的に人間がそれをどう使うか、あるいは使わないか、にかかっていると思う。
Q;実体経済から切り離された投機的金融活動の展開(CDO、CDSなど)は、『資本論』の理論から説明できない、この点の承認から出発すべきでは?
A:質問の意味が判然としないが、原理論レベルの問題でないとしても、現状分析のレベルで、そのリスク隠蔽による詐欺的商品だったことは解明されているのではないか。
初出:(公財)政治経済研究所創立70周年・記念講演
日時:2016年11月23日 場所:アルカディア市ヶ谷
講演者及び関係者の許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study924:171224〕