ゲバラと新型コロナウィルス禍

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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「Monthly Review」から六月一日付けで、興味深いニュースレターが届いた。表題は下記の通り。内容は読むに値するとも思えないが、気になるかたは下記urlからどうぞ。

 

「How Che Guevara Taught Cuba to Confront COVID-19」

https://monthlyreview.org/2020/06/01/how-che-guevara-taught-cuba-to-confront-covid-19/?utm_source=MR+Email+List&utm_campaign=cb0aefb9ae-EMAIL_CAMPAIGN_2020_06_03_05_30&utm_medium=email&utm_term=0_4f879628ac-cb0aefb9ae-295819625&mc_cid=cb0aefb9ae&mc_eid=4bc594e75e

 

表題「How Che Guevara Taught Cuba to Confront COVID-19」、そのまま訳せば「新型コロナウィルスを撃退する方法をゲバラが教えてくれた」あたりになるが、どうにも長ったらしい。もう少しすっきりした日本語にならないものかとあれこれやってみたが、日本語の能力不足を痛感するばかりで、なんともならない。ご容赦を。英語そのままにしておいた方が分かり易いんじゃないかと思わないわけでもないが、英語だと一目でとはいかない。読んで翻訳してって表題は好きになれない。

 

内容をざっと流してみれば分かるが、ニュースレターは出版された本の要旨を紹介して購読を促す宣伝でしかない。それにしても、ゲバラを宣伝につかうか? どう考えても、ゲバラと新型コロナウィルスのあいだにTaughtという言葉を使うほどの関係があるとは思えない。一言でいえば、いかがわしい。ここまでやるかと呆れる。新興宗教の教祖さまのお言葉を伝道するわけでもあるまいし、と皮肉の一言も言いたくなる。

 

ご存知のようにゲバラは医師だった。それ以上に貧富の激しい社会を目にして南米各地をまわり、それがアルゼンチンだけでないことに気づき、社会主義思想を胸にキューバ革命の指導的役割を果たした。その後巷の普通の人たちの生活水準の向上を求めて、キューバの公共医療体制の確立にまい進したことも公知の事実だろう。

 

そこまでは誰しも認める事実としても、ゲバラが新型コロナウィルスの出現によるCOVID-19の蔓延を予測して、それに対応する医療体制をも後世に残した、使われている言葉をそのまま使えば、「教えた」になるが、どう考えても言い過ぎだろう。「贔屓の引き倒し」にもほどがある。ゲバラに憧憬の念に近い思いのある年代の一人として言わせていただく。「オレのヒーローを冒涜するな」

 

歴史上の偉大な人物が、後に続く人たちの都合で持ち上げられて、偉大化に歯止めがかからなくなる。いきつくところは、神しかなくなって、神そのものと崇め奉られようになる。どれほど偉大な人だったにしても、完璧であるはずもなく、偉大であればあるほど、その反面に大きな、どうしようもない人間臭さもあったろうし、欠陥もあったはずなのに、そんなものはきれいさっぱりなくなって無誤謬性をまとった指導者から神に昇格する。

 

歴史上の偉大な英雄や偉人、そこらの横町でであったら、やたら元気のいいただのオヤジに毛の生えた程度なんてマンガのようなこともあるんじゃないかと、腹をかかえて笑う用意だけはできている。神に祭り上げられた御仁たち、天国にいても、福本豊じゃないけど、酔っぱらって立小便もできやしないって、さぞ居心地悪いだろう。

 

先達の御説の解説まででも、出来の悪さでお叱りをうけかねないのに、祭り上げたらどんなお叱りをと考えることはないのか。祭り上げることでしかメシを食えないのだろう。哀れすら感じてしまう。

 

p.s.

若い時、「Monthly Review」には畏敬の念に近いものをもっていた。すでに過去形になってしまったが、それを確認させられるニュースレターだった。

七十年代末New Yorkに駐在していたときの思い出の一篇に「英語の学校へ」がある。

「ちきゅう座」のアーカイブに残っている。

https://chikyuza.net/archives/57208

 

そこに「Monthly Review」との出会いと思いを書いた。該当箇所をそのまま転載する。

六十年代から七十年代にかけて、アメリカのリベラルな若い人たちのなかには、大学でではなく『Monthly Review』で国際政治や経済学を勉強したといっている人たちもいると、多分『世界』の記事だと思うが、読んだ記憶があった。

大きめの本屋をみつけては『Monthly Review』はないかと聞いたが、どこでもそっけなく知らないと言われた。ある日マンハッタンを歩いていたら、学問の雰囲気をきどった古めかしい店構えの本屋があった。ここならあるかもしれないと思って訊いたら、吐き捨てるような口調で、「うちはRed bookは置いてない」と言われた。『Monthly Review』があることは確認できたが、どこに行けば手に入るのか分からなかった。

 

コミュニティカレッジに入学したときに、図書館の使い方の説明があったのを思い出した。図書館で見つけて、裏表紙にあった発行所の電話番号をメモした。職工になりそこなった日本人が電話するようなところじゃないんじゃないかという気後れもあったし、電話では話が通じないかもしれないという不安もあって電話するのをためらった。

 

何度もメモを見てはどうしようかと思っていたが、最後は話が通じなくても、もともとじゃないかと電話した。丁寧な言葉でゆっくり話してくれた。会員制だった。恐れ多くて正会員を躊躇して賛助会員になった。くすんだ赤い表紙の小冊子のような『Monthly Review』が下宿に届くようになった。確かにそれはRed bookだった。最初の一冊目を手にして嬉しかった。油職工崩れがこんなところまでこれたのかと、なんと言っていいのか分からない高揚感があった。でてくる単語に難しいものはあったが内容は平易だった。小説などよりよほど分りやすい。帰国してからも何年間は『Monthly Review』を送ってもらっていた。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9957:200723〕