故西部邁を思ふ――コムニストたらんとせし者 ファシスタたらんとした者に誄(しのびごと)申すーー

 西部邁氏が覚悟して、多摩川に入水した。さむらいの入水といえば平氏を想い起こさせる。かりに若くして覚悟していたとしても、三島・森田の両氏の作法(武士社会が源氏の下に統合されて以来の)にならうことはなかっただろう、と報に接して一瞬感じた。

 私=岩田は、60年安保の時代、青木昌彦氏や西部邁氏とは同じ方向の行動をとっていたが、運動における位階が全く異なっていた。両氏は、あくまで闘争における高級参謀であり、師団長であり、将官であった。私達は現場の一兵卒であった。ブントの指導集団が駒場の学生自治会を通して、何月何日何時に何処へ集合し何処へデモせよ、との指示命令があってはじめて行動できた兵隊であった。だがしかし、赤紙一枚で徴兵された受け身の存在ではなく、積極的に指示を待ち構えていた能動的義勇兵であった。それ故に、命令者として彼等は日本国家の訴追を受けたが、兵隊は現場でつかまらない限り無事であり、心配なく大学を卒業出来た。

 私がユーゴスラヴィア留学から帰った後、60年代末から70年代一杯、私は青木氏や西部氏との思想的・知的交流があった。一切アルコールをやらなかったが故に、友情的・感覚的交流はなかった。今も住んでいる我家の二階の部屋でねころびながら、西部君が天井板の縞模様を指さしながら、「自分はあの模様の中に世界を読みとれる力がある。」と豪語した。私は、西欧文明と体質的に異なるバルカン半島に開花していたユーゴスラヴィア労働者自主管理社会主義・武装非同盟外交の現場体験から醒めていなかったので――今もまだ――、「読みは体験に勝てない。」と反論していた。
 70年代のある時、当時存在していた総合雑誌『展望』で西部邁氏と私の対談・討論が企画された。本社の応接間で二人は対峙した。しかしながら、編集者・司会者がいくら促しても、どういう訳かどちらも全く口を開かない。二人の間にいわゆる対抗意識は全く無かったはずであるが、相手の思考内容・思索方向をはかりかねて口を開けなかったのだ。そういう風に数十分の刻が流れ、司会者があきれて、「散会にしましょう。」と決断した。それ以来、西部氏との交流は切れた。
 それでも、80年代になって、彼から『大衆への反逆』が贈られて来た。また彼が主催する雑誌は、『発言者』にせよ、『表現者』にせよ、定期購読要請があって、西部邁氏への義理人情を重くみて、真面目に定期購読者になっていた。必ずしも、良き読者ではなかったろうが。

 時は流れ、安保闘争50周年の頃からその関係の集まりで、あるいはそれより若干年前から日本独立国士木村三浩氏の主催する会合でまれに時々顔を合わせるようになった。西部氏の主催するテレビ番組や『表現者』の誌上討論に夫々一回参加したこともある。

 昨年の中頃、『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社)を贈ってくれた。私は答礼にすこし古くなっていたが、『ハーグ国際法廷のミステリー 旧ユーゴスラヴィア多民族戦争の戦犯第一号日記』(ドゥシコ・タディチ著/岩田昌征訳・著、平成25年・2013年、社会評論社)を贈った。そして年末・年始の頃、私=岩田が現在考えている事の総括論文「システム対抗とコンフリクト――20世紀:対抗システムの追及とその失敗 20世紀:成否の彼方の対抗nonシステム――」(『社会・経済システム 第37号』(抜刷り)、社会・経済システム学会、2016年10月)を送付した。20日ほどして、西部邁氏は逝った。

 最後に西部氏へ一言。『ファシスタたらんとした者』の70ページに「樺美智子さんが逃げ惑う学生の下敷きとなって圧死したことはよく知られている。」とある。この判定は私の体験的判断と真正面からぶつかる。この判定によれば、私=岩田もまた彼女を圧死させた者達の一人になりうる。それが事実であれば、兵隊の一人として責任の重みを避けるつもりはない。私は、樺美智子の死を「学生による圧死」とも「機動隊による虐殺」とも見る事が出来ない。殺し合う事を覚悟して対決したわけでは全く無い学生デモ隊と機動隊の正面衝突における、すなわち政治闘争における「闘死」である。これだけは、生前の西部邁氏に言っておきたかった。残念。

   この件については、以下を参照
  「評論・紹介・意見」欄
   2010年(平成22年)12月24日「60年安保闘争私史――60年安保50周年
   に寄せて」
   2015年(平成27年)6月17日「6.15国会前樺さん追悼式に献花して」

 

   ファシスタたらんとした者入りにけるかはたれ多摩の川波悲し

   何物に押されしかもか魅されしか君の入りける多摩の冬河

   川越えし君を迎えしみたま(戦没霊)等はむさしさがみのきぬたうちけむ

   平成の御代を残して先に逝く保守の心ははかりがてなむ

   君いとふひだりこころをいとほしむ吾(あ)もまた想ふ君が真心

 

       平成30年正月29日   大和左彦  岩田昌征

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion7307:180129〕agasikasi,