以下の論考は1月13日付英紙ガ―ディアンのコラムニスト ジョージ・モンビオット氏によるものであるが、著作権を考慮し、全訳ではなく抄訳としつつ筆者の若干のコメント(ボールド体部分)を添えることとした。
パンデミックのほぼ1年、英国は出口戦略なし―封鎖(ロックダウン)と緩和のサイクルに陥っている。私は政府の内閣府に3つの簡単な質問をした。 現在の封鎖の目的は何か? それの解除の時期を決定するための基準は何か? この封鎖に続いて他の制限を課すための基準は何か? しかし答えはなかった。首相の記者会見などから推測―最も脆弱なグループが予防接種を受けたときにいくつかの措置を緩和するかもしれない。政府に多少なりと能力があれば、この封鎖を解除するにはどのような条件が必要か最初から説明していたであろう。また状況が悪化した場合の制限を強化する計画と、封鎖が終了した場合の段階的な制限解除の基準も公開していたであろう。この11か月間、政府は盲目状態で飛行している。・・・
明確な目的も計画もなければ、我々は緊急事態、抑制、緩和、緊急事態の果てしのないサイクルに閉じ込められたままになる可能性がある。ジョンソン首相はそうできると思うや否や、規制を解除することによって目先の人気を追い続ける。政府は常に事態の成りゆきに驚き、反作用的に脈絡のない政策で対応し続けるだろう。そして悪夢は続く。多くの科学者や医師が指摘しているように、ワクチン接種は答えの一部にすぎない。最も脆弱な人々に免疫を与えることで死亡率を減らすかもしれないが、しかし病気が残りの国民を通して猖獗し続けるならば、結果はまだひどいことになるであろう。1)
政府は当初から、公衆衛生の保護と我々の社会的および経済的生活の保護との間には妥協点(トレードオフ)があることを我々に説得しようとしてきた。 じつはこれにはトレードオフはない。 英国は現在、過去7日間(チェコ共和国とリトアニアに次ぐ)で世界で3番目に高い死亡率に苦しんでおり、3回目の封鎖という社会的および経済的大惨事を伴っている。これは世界を席巻する無能、壮大な規模での失敗である。したがって、計画には根本的に異なるアプローチが必要であることを認めることが含まれる。 それは利益よりも公衆衛生を優先するという関与の仕方(コミットメント)から始まる。・・・効果的な検査、追跡、隔離、支援システムがなければ、感染のサイクルに無期限にはまり込むことになる。・・・・・・ これには英国の2倍の人口密度でありながら、Covid-19で7人しか亡くなっていない台湾からの教訓がある。そこでは参加型民主主義の助けを借りてシステムが開発され、高いレベルの国民の同意と関与が確保されている。すべての段階で責任ある専門家が配置されており、被隔離者に対して寛大な支援と毎日の連絡が提供されている。2)
対照的に我々のシステムは大失敗であった。イギリスのシステムはこれまでに220億ポンドの費用を要した。それは成果という点では、お金をドブに捨てたのも同然である。・・・以前は医療専門家に任されていた重要な追跡の仕事が、コールセンターに配置された最低賃金で10代の労働者に任されている。公衆衛生の専門家が地元で運営するNHS(国民医療保健サービス)主導のシステムに置き換えるまで、パンデミックを掌握することはできない。 そのシステムの下、隔離が必要なすべての人に対し、あらゆる必要な経済的および社会的支援、及び必要な場合には無料の宿泊施設が与えられるべきである。・・・
政府は、最初の2回の封鎖と学校の休暇を利用して、学校の緊急改修プログラムを実施できたはずであった(が、なにもしなかったし、教師からの嘆願にもかかわらず)クラスの人数を減らして十分な距離を置くために新しいティーチング・アシスタントを雇うなども無視した。・・・学校が完全に再開すると、そこは再び感染の培養器となった。政府は、入管隔離センターなどの他の機関でのパンデミックを把握できなかった。 政府は最初の封鎖の間に、すべてのホームレスの人々のための安全な宿泊施設を見つけるという関与を不可解に放棄した。この国を運営する人々は、政府は脇にどいて、彼らが市場と呼ぶ抽象化にその力を譲るべきであると何年もの間私たちに教示してきたのだ。
・・・国家は臆病で、しぼんでいて、無能でなければならない。・・・国家緊急事態に直面し、責任を捨てて他人に責任を転嫁することを第一の本能とする男に率いられて、彼らは誤りから誤りへとよろめき、あらゆる危機を大惨事に変える。そしてパンデミックのほぼ1年後、いまでも政府にはまだ計画はなく、我々の苦しみが再び無駄になることを保証している。
<筆者のコメント>
武漢発の新型コロナ禍を医学疫学的な観点だけではなく、政治社会的観点も合わせ考察する試みが始まっている。それによれば、パンデミックの発生メカニズムから流行に対する各国政府の対処の仕方に共通性がみられるという。まずそれはグロバリゼーションの波に乗った新自由主義的な乱開発や都市化により、人間と野生動物を隔てていた空間が狭まり、人獣共通の伝染病が伝播する危険性がますます高まっているというのである。とりわけコウモリやげっ歯類が中間宿主として疑われている。また地球温暖化によって、熱帯性のマラリアやデング熱などの恐ろしい伝染病の北限の緯度が高くなる可能性があるという。いずれにせよ、SARS,MERSから始まったパンデミックは新型コロナだけでは終わらない、新規のパンデミックがまた起きる可能性はますます高まっているということであろう。だからこそ今回の災厄に対する医学疫学的、政治経済社会的な教訓をくみ取り、次の大規模感染症への備えを盤石にする必要があるのである。もちろん中長期的にはパンデミックの培養器となる新自由主義的な資本主義にかわる新たな社会構造の探求が必要である。
パンデミックが猛威を振るっている国には、英米やブラジル、日本など政府の統治スタイルにネオリベラリズムやポピュリズムといった共通性がみられる。モンビオット氏も指摘するように、自己責任の押しつけ、責任転嫁、自己例外視、論点のすりかえや言い逃れ、人気取りのやってるふり、朝令暮改等々のふるまいにおいて、よくもまあ似ているものである。「戦力の逐次投入」、感染状況にかんする情報の秘匿傾向(大阪、東京!)などと合わせ、総じて政党や官僚機構の劣化、民主主義の後退が如実に露わになっている。
いずれにせよ、ネオリベ的政治・経済思想の下で公衆衛生や医療体制における人減らし「合理化」を図り、政府の責任領域を狭めた結果、パンデミックに対処する社会政策的な自己訓練ができていないため、いざ危機に直面するや何をしていいのか分からないのである。人命や人権よりも経済を優先させる市場主義、習近平訪日やオリンピック実現といった政治ショー好みが、パンデミックへの対処を遅らせたのは明白なことであろう。しかしそういう政府の延命を許しているのは、我々国民であり、なにより野党諸勢力でもある。状況打開のための政策的、組織・運動論的リーダーシップの不足は否みがたいであろう。旧態依然たる労組依存、市民社会の動向に関する感受性の鈍さなど、総じて議員政党化体質は共産党も含めて野党勢力のネックとなっている。かつての誇りある「影の内閣」的な政策提言を思い出すべきであろう。そういう意味でパンデミックを奇貨として、勇気をもって自己刷新へ乗り出すことが焦眉の急務である。そのスローガンは、多少の羞恥心をこらえていえば、Save the Earth!であろう。
1)感染の悪循環サイクルを止めることは、児玉龍彦氏らがつとに強調するところである。そのために必要な対策を戦略化し、公私の医療資源を活用することが必要である。①感染源を抑える ②非感染者の保護隔離 ③そのために防疫目的の大規模検査を行うこと。
より具体的には、①規制・自粛の強化 ②無症状の感染やウイルス変異に対して、エピセンター(大量発生源)と目される都心4区の大量検査 ③家庭内感染に対し保育園や学校・大学対策の検査・隔離 ④クラスターの原因となる老人施設や病院―施設内に病気を持ち込ませない、早期発見・早期隔離 ⑤その他保育士、教員、介護士などのエッセンシャル・ワーカーを対象にした社会的検査の実施である。
2)朝日新聞 1/14のインタビュー記事「痛めなかった民主主義、抑えた感染 オードリー・タン氏」
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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