コロナ・ワクチン接種の世代間不公平感――あわせて政策説明の合理性を考える――

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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 ある理髪店で、若い理髪師と御主人を相手にこんな会話を交わした。
 「お客さんのところへコロナ・ワクチン接種券とどきましたか。」
 「うん、とどいたよ。」
 「どう思いますか。老人達ではなく、毎日毎日通勤電車で仕事に行く、中年の人達が優先されるのが筋だと方々で言われているのですが。」「もっとも、高齢者の方が致死率が高いですから優先が当然とも考えられますが・・・。それでも毎日多くの人々と接触せざるを得ない形で働いている者達がおたがいに感染させないようにワクチンを接種する方が・・・。」
 若い理髪師に続いて、壮年の御主人も一言。「日本の老人は何もしていない、役に立っていないしね。」
 私はと言えば、接種券はとどいても何回電話しても通じず、しばらく待って、息子がコンピュータで様子をうかがって、どうにか接種予約がとれたその翌日にこんなテーマを突き付けられたので、「うん、幸いに予約がとれたよ。」と答える事が出来なかった。私が住む地域の接種会場は5月17日が初日だった。たまたま5月31日に空きがあって、私はそこに入りこめた次第であった。御二人に次のように応答した。
 「言われる事はよくわかる。僕は去年の4月に辞世七首をつくっておいた(「ちきゅう座」「評論・紹介・意見」2020年・令和2年4月11日の「コロナ禍の仮辞世」)。だから、非高齢者が優先される事に抵抗はない。たしかに、老人達の方が外出せず、三密を避ける事は働き盛りの人達よりも簡単に出来るでしょう。それでも、あえて言わせていただくと、そちらの意見は、どちらを優先する方が社会全体にとって有利かと言う損得論でしょう。そうすると社会的に弱い者よりも強い者を優先する事が当然になるね。弱い者をぎりぎりまで守ろうとする社会とぎりぎりになる前にあらかじめ弱い者を切り捨てようとする社会。どちらの社会が長く続きますか。どちらの社会が先にこわれますか。」
 「日本の老人は役立たずだと言われたけれど、十年前の東日本大地震の時の福島原発爆発事故、あの時、僕の知人の山田氏が、住友金属を停年退職した技師だった老人が呼びかけて、福島原発行動隊をただちに打ち立てた。理系の、技術系の60歳以上の老人集団が原発事故現場に入って作業するためだ。若い人達が放射能の犠牲になる事を少しでも減らそうと訴えたのだ。おまえは文系だから、行動隊の正式メンバーになれない、技術を持っていないからだ、賛助会員だ、と言われた。東京電力や日本政府は、こういう義勇軍の受け入れを拒否されたが、まあ、こんな老人達もいる事を知って欲しいよ。」
 この理髪店で話題になったテーマをある医院で中年女性看護師さんにこちらからぶつけて見た。彼女の意見は、若い理容師と全く同じであった。彼の場合になかった新事実、変異ウイルスの出現によって壮若年層のコロナ致死率の上昇をも指摘していたし、ナチス優生学に直通する危険性を懸念もされていた。
 ある店の女主人、私より若いがすでに高齢者の方と話すとなると、私も彼女も、接種券はとどいたものの、その後電話混雑で予約に手間取った苦労話だかりで、65歳未満の人達の事情に関する心配は全く出なかった。
 個人的体験だけを語って来たが、これは社会的資源をめぐる世代間不公平・不一致の一例である。諸社会集団間に資源・富をめぐる紛争は多くある。諸人種集団間、諸国家間、諸民族間、諸宗教間、諸階級間、諸教育階層間等々。そして、世代間紛争は、それらに比較して最も相互了解が成立しやすい。何故ならば、少年はやがて青年になり、青年は壮年になり、壮年は老年になり、老年はやがておのずと消えて行くからである。先生は自己の経験によって後世を了解しやすいし、後世は先生を見て、先生の直面する問題が自己の将来の問題でもあるだろうと了解しやすいからである。
 コロナ・ワクチン問題やコロナ病床問題がトリアージ、triageのレベルに達した場合でさえ、世代間紛争にとどまる限り、そう心配はないかも知れない。しかしながら、コロナ関係triageが諸人種間、諸宗教間、諸階級間等で実行されるようになったとしたら如何!
 コロナ・ワクチンをめぐる世代間異和は、ワクチン供給の先行きが不透明な事に由来する。令和2年・2020年に東京オリンピック一年延期を決定した時、アメリカに完全依存することなく、日本医学産業の総力をあげて、国産ワクチンを開発し、オリンピック入場式までに国民の70パーセントにワクチン接種を完了すると言うような国策が打ち出せなかったのは何故か。日米安保体制にしばられて、有事産業はすべてアメリカの都合に従う事になっているからであろうか。まさしく、ワクチン産業が有事産業の一つである事を今回のコロナ・パンデミックなる有事によって教えられた。ロシアも中国もアメリカと同じ速さで、あるいはやや早く、コロナ・ワクチンを開発し、大量生産に成功した。彼等は、軍事産業だけでなく、ワクチン産業を有事産業であると位置付けていた。我が祖国リベラル日本は、アメリカ大統領の個人的好意をあてにするだけのようだ。
 私=岩田は、令和3年・2021年1月17日の「ちきゅう座」に小文「セルビアはコロナ・ワクチンを去年12月24日に接種開始――国家社会の独立の具体的意味」を発表した。そこで、小国セルビアは、地政学的忖度から自由にアメリカのファイザー、ロシアのスプートニクⅤ、中国のシノファルム社ワクチンを入手可能なかぎり接種していると書いた。女性首相ブルナビチがファイザー・ワクチンを打った。大統領ヴゥチチと首相は個人的約束で同じワクチンを打たないとしていたので、私はヴゥチチがロシア製のスプートニクⅤを接種するだろうと予想していたが、それは当たらなかった。
 現政権の最大の実力者は、中国のシノファルム・ワクチンを接種した。規定の二回接種の第2回分を地方遊説の際にある小さな町の保険センターで人々の見守る中で打ってもらっていた。4月27日のことだ。
 現在セルビアは、アストラゼネカをも入手して、セルビア市民、セルビア常民は、各自の判断で自由に選択できる。しかしながら、古代中国の先進性に驚異の目をはり、ギリシャやローマのように中断せず現代にまで続く中国文明に尊敬心をいだいているとは言え、現代中国科学文明への信頼度は、まだまだアメリカ、イギリス、ロシアへのそれに及ばない。親北米西欧のリベラル知識人ほどではないにせよ、セルビア常民もまた中国ワクチンに対して抵抗感がある。
 二つの事実がある。アメリカ、イギリス、ロシアのワクチンだけでは全国民の必要を全く満たせない。三国製ワクチンの有効性が90%から95%であるのに対し、シノファルム・ワクチンは80%前後である。
 ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2021年5月1、2、3日合併号)に「陰謀は在るのか」と題する論説が載っている。筆者は、ベオグラード大学医学部教授、自由セルビア議会健康評議会調整役、コロナ対策に結集した医師会評議員会のゾラン・ラドヴァノヴィチである。それによれば、多くのセルビア人は自分達がシノファルム・ワクチンの治験における実験動物にされていると固く信じていると言う。ゾラン・ラドヴァノヴィチは、そのような疑念には根拠がない事を説いて、論説を次のように締める。「彼等のワクチンは、他の三種のワクチンよりも弱いけれど、比較的に高い予防力を有している。私は、自分の中国製ワクチンへの信頼を自分の実践によって示した。妻、娘、婿、二人の孫は、中国製のワクチンを打って、満足している。もっとも、我が親族は一枚岩ではない。息子と嫁、孫と孫娘の二人は他の諸ワクチンを接種した。」
 セルビア大統領のシノファルム・ワクチン接種は、このような社会的雰囲気の中で実行された次第である。セルビア常民の多くは出来ればスプートニクⅤを打って欲しかったのではないか。

 突拍子もない比較をしておく。日本国政府は、アルプス処理水の、例えばトリチウム濃度をWHO飲料水基準の約7分の1にまで下げるから安全だ、と説く。だから海中に放出すると決めた。論理的に考えれば、それほどに安全なのだから、水道水に使う、海中に放出するような無駄なことはしない。国民のみなさんに信用してもらうために、先ず東京電力、経産省、首相官邸の飲料水に2年間使う。その後は全国民が使って欲しい。こうなるはずだ。飲料水よりも安全な水を海に捨てるとは、これ如何に。
 バルカン小国の大統領と彼を助ける学者は、中国のワクチンは若干弱いが、十分な予防効果がある。自分達は使う。だから国民の皆さんも集団免疫獲得のために打って欲しい、と説く。
 日本国政府と「御用学者」対セルビア政府と「御用学者」、どちらが合理的に行動しているのだろうか。

                         令和3年5月15日(日)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10893:210518〕