東京の文化センターとなった駿河台の明治大学において11月25日(土)に現代史研究会、そして12月2日(土)に村岡到氏主催の研究会において、法政大学教授下斗米伸夫氏がロシア2月革命・10月革命とロシア古儀式派=分離教徒信団の密接な連関性を情熱的に説かれた。それは、とりわけソビエトの起源にかかわる。
その間の11月29日(水)に「東京ノーウィ・レパートリーシアター」のレオニード・アニシモフ演出、ゴーリキー作「どん底」を観た。登場人物の一人に古儀式派的なにおいを直感した。諸他の登場人物達とは明らかに登場・退出の仕方においても、発言・行動においても明々白々に異なる性格を表出する老巡礼ルカについて、この人物は古儀式派の流れではなかろうか、と感じた。そこで12月2日の研究会の最後の瞬間に下斗米氏にそう質問した。明瞭な返答はなかった。
そう質問した訳であるから、自分なりに答えを出したくて、知人のロシア語通訳から露語の『ゴーリキー戯曲集』(学校用図書、「児童文学」出版、モスクワ、1966年)を借用し、そこに納められた「どん底」(pp.115-182)と中村白葉訳『どん底』(岩波文庫、1936年第1刷、2017年第77刷)とを、特にルカ老人のセリフに集中して対比してみた。
下斗米著『神と革命』(筑摩書房、2017年・平成29年)から私の論に関係する所を若干引用しておこう。
――古儀式派資本は、・・・。・・・企業メセナなどにより、作家M・ゴーリキーや信徒でもあるスタニスラフスキーが関係した演劇や、サッカーなどのスポーツ、医療を企業に持ち込んだ。(p.036)
――1903年にモロゾフ(古儀式派の大資本家:岩田)は都合三度、ゴーリキーとアンドレーエバを通じてレーニン派に献金している。(p.077)
――古儀式は、とくに信徒集会を重視する無司祭派は、「集会」を意味するソビエトを作っていた。そのソビエトの統制のもと、信徒集団はしばしば工場単位で組織されていた。(p.081)
――厳格な古儀式派の潮流は、近年でも電気エネルギーの利用やテレビの視聴を禁止したり、国家とかかわる年金の受給や旅券の受領を禁じてきたという。(pp.081-082)
――枝分かれしたベグン(逃亡司祭)派でも、ソビエトは重要組織形態であった。・・・「主要最高ソビエト」という機関を・・・有していたという。この最高ソビエトは、下部のソビエトに指令を送っていた。・・・。この宗派の幹部信徒は、・・・この宗派の信徒のための「避難所」なる施設に泊まっていた。このような施設を用意する「隠匿者」なる人々が、・・・大きな家の地下に宿泊施設を用意した。この系列の遍歴派信者は、・・・。(p.082)
中村白葉訳『どん底』から古儀式派的性格を示しているらしいルカ老人のセリフを引用列挙してみよう。
――酒飲みの療治もできるって話だから!それも、ただで直してくれるって話だよ、兄弟・・・酒飲みのために、そういう病院ができてるのさ・・・いわばまあ酒飲みも同じ人間だということがわかって来たというわけだな、それで、人が直してもらいに行くと、かえって喜ぶという話だよ!だからさ、お前も早く言ってみなさるがいい!!(p.64)
――わしだよ・・・このわしだよ・・・ああ、主、イエス・キリストさま!(p.81)
――情け深きイエス・キリストさま!(p.83)
――やれやれ・・・まあお聞きよ、お前さん!(p.103)
――しかし、なんだよ、人間にはそういうものもあれば、そうでない人間もいるからね・・・。(p.116)
――お前、そんな話はな、無僧宗(分離教徒の一つ)のとこへでも行って聞かすがいいんだ・・・そういう人たちがいるんだよ、それが無僧宗といってね・・・。(p.123)
岩波文庫『どん底』p.64の科白は、下斗米著p.036に対応する。
岩波文庫p.81とp.83の「イエス・キリストさま!」は、露語原文のp.149とp.150においてИcусe Христe(Исуc Христоcの呼格)、ローマ字表記すれば、Isus Hristeとなっている。ロシア正教正統の用語は、Iisus Hristosである。研究社露和辞典にはIsusは現れない。あくまでもIisusのみである。ゴーリキーは、ルカ老人に「Isus キリストさま!」と言わせている。明瞭にルカ老人が故儀式派であることが分かる。また、岩波文庫p.103の「やれやれ」は、原文ではIsuse Hristeである。
岩波文庫p.116の科白は、木賃宿=「どん底」の持主コストゥイリョフの科白「お前はいったいどんな巡礼だね?・・・旅券を持ってねえじゃないか・・・ちゃんとした人間なら、旅券を持ってなくちゃならねえ・・・。」(p116)に対するルカ老人の応答である。私の読みでは、犯罪者だから国家が旅券を発給しないのではなくて、「ちゃんとした人間」であって思想信条の故に国家旅券を拒絶する古儀式派の厳格派にルカ老人は属しているようだ。下斗米pp.081-082の説明に対応する。
岩波文庫p.123に出て来る「無僧宗」は、原文のp.167でローマ字表記すればBegunとなっている。下斗米のp.082の「ベグン(逃亡司祭)派」そのものずばりである。中村白葉は、ベグン派をその一部とする無司祭派をベグン派の訳語としたのであろう。無司祭派=無僧宗である。
以上のように見て来ると、老巡礼ルカは、古儀式派の無司祭派のベグン(逃亡司祭)派系列の遍歴信徒ではなかろうか。中村白葉は、解説において『どん底』に登場する諸人物が「しっかり大地に足をつけた現実的人物である中で」、「ルカは、・・・、ひとりやや架空の人物めく感銘を与える存在である。・・・、ゴーリキイの嘘の哲学、夢の教理の説教者であって、・・・ゴーリキイの思想の代弁者である。」(p.168)と書く。
そういう面もあろうが、19世紀末に現実に活躍していた古儀式派のベグン派の民衆的活動家=オルグという実在人物の反映であると見る事も出来よう。劇の終幕近くで、官憲の出現の最中に旅券を持たぬルカ老人が姿を消した後、登場人物の一人サーチンの口をかりて、ルカ老人の職業観・社会観・人間論を総括的に語らせている。ここでは引用しないが、かすかに、それは、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と重なり合う所を示している。それは、古儀式派社会が実際にいだいていた職業観・社会観だったのであり、単にゴーリキーの「嘘の哲学」、「夢の教理」にすぎないと断言する訳にはいかない。こんな岩田仮説も可能であろう。
こう想像してみると、11月29日に観た「どん底」ではルカ老人は二本指で十字を切っていなければならなかったはずであるが、どうも二本指ではなかったようだ。
平成29年12月6日(水)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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