サライェヴォ大学のイスラム化か?!

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2017年1月3日)の「ボスニア・ヘルツェゴヴィナの世俗的システムに対するアカデミックな打撃」、同紙(1月5日)の「スルタン国家」なる記事に目が止まった。紹介しコメントしよう。

記事「アカデミックな打撃」によれば、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(BiH)の首都サライェヴォのサライェヴォ大学評議会は、金曜日正午のイスラム教集団祈祷時間帯に授業をしたり、試験を設定してはならないと決定した。昨年末のことだ。

BiHは、セルビア人共和国とBiH連邦(ムスリム人=ボシニャク人とクロアチア人)と言う二つの準国家から構成されている。当然、セルビア正教徒やカトリック教徒の多いセルビア人やクロアチア人が反撥するのは予想される。それだけではなく、BiH連邦のボシニャク人教授達の多くがこの決定をスキャンダラスだと非難する。BiHの世俗国家性に対する前代未聞の打撃だと見なす。サライェヴォ大学哲学部のエンヴェル・カザスは、「BiH連邦のエルドガン化だ。イスラムの学生達に特権を与え、他の諸宗教の学生達を不利にする。」と批判した。BiH連邦の世俗主義・市民主義の三野党、すなわち社会民主党、民主戦線、市民同盟は、共同声明を発して非難。「大学評議会のかかる決定の背後に、現政権党民主行動党SDAのバキル・イゼトベコヴィチがいる。政教分離原則への攻撃だ。サライェヴォ大学は宗教的原則を大学組織内に導入したヨーロッパ最初の大学になってしまう。」「ナチス協力者やウスタシャ(クロアチア至上主義の民族主義団体、第二次大戦でナチス・ドイツ側で戦った。岩田)の名前を諸々の学校につけて来た。今や公共の世俗の大学に宗教的規則を導入する。」

セルビア人共和国のドディク大統領も亦反撥する。「BiHをイスラム化しようとしている。数年前、サライェヴォの幼稚園からサンタクロースが追放された。最近になって、新年にアルコール飲料の販売が禁止された。」

記事「スルタン国家」は名前からしてボシニャク人=ムスリム人の歴史家の手になる。

以上のようなサライェヴォにおけるイスラム化は、旧ユーゴスラヴィアからBiHが独立する過程でSDAの指導者アリヤ・イゼトベゴヴィチが社会主義的世俗主義に順応していたユーゴスラヴィアのムスリム人共同体指導者を退けて、極端派のムスタファ・ツェリチを据えた時から始まっている。イゼトベゴヴィチは、「一国=一宗教=一民族」をかかげて、BiH独立闘争を推進して来た。そして、彼の息子バキル・イゼトベゴヴィチは、BiH内のBiH連邦をスルタン国家に変え、BiH10県を10パシャルク(太守領)にしようとしている。サライェヴォ大学規則に金曜正午のイスラム集団礼拝時間帯授業・試験禁止は、かかるスルタン国家化の一実証である。

ヨーロッパの私立大学ではない国公立大学において宗教規則が世俗原理に優先したのは、上記の二記事が説く通り、サライェヴォ大学が最初かも知れない。しかしながら、大学に至る前の国公立の小学、中学、高校の教育においては、たとえばポーランドのように党社会主義体制崩壊後民主化・市民社会化のプロセスで、ただちに、宗教教育が学校システムに導入された。ポーランド国民の圧倒的多数はカトリック教徒であり、少数がプロテスタントや正教徒やイスラム教徒である。国内法上は、形式的に、少数派の諸宗教も平等に学校制度内で宗教教育を実行する権利を持っている。しかしながら、カトリック教の場合、ポーランド国家とバチカン教皇庁の間にコンコルダート(政教条約)が結ばれており、完全に別格である。公立学校内宗教教育の95%は、カトリック教育である。

こう考えると、BiHのイスラム人=ボシニャク人主導BiH連邦のイスラム性の程度と市社会ポーランド国のカトリック性の程度に余り落差はないかも知れない。

金曜日正午(12時5分前から12時30分)のジューマ(džuma、モスクにおける金曜正午の集団礼拝儀式)時間帯の授業・試験禁止にしても、考えて見れば、多くの日本のような世俗国家社会において、元来キリスト教の礼拝日である日曜日が同時にキリスト者以外の民衆にとっても公定の休日とされているから、当然、大学の授業も試験もない。キリスト教の教会は、カトリック、プロテスタント、正教を問わず、日曜日に授業や試験を心配せず、礼拝等の儀式を執行できる。

もしも、仮に、世界の多くの世俗国家社会が金曜日を休日と公定し、日、月、火、水、木、土を勤労日と定めとしていたとすれば、キリスト教徒の多い社会の大学では、サライェヴォ大学評議会のように、「日曜日の午前中に授業・試験を実施しない。」と言う宗教規則を導入するにちがいない。

ちなみに、日本では明治9年に日曜日を公式に休日と定めた。明治政府は、流石にかかる国定休日がキリスト教への屈服と見られる事を危惧したそうである。

この問題に限らず、紀年法であれ、休祭日であれ、プロテスタント・カトリックの特定慣習法をただちにそのまま市民社会の世俗的普遍としてしまう近代主義が世界各地の諸民族紛争を見る目をくもらせている側面がある。

1990年代前半のBiH内戦の時、私=岩田の記憶によれば、国際共同体を自認する西欧市民社会は、クリスマス停戦・新年休戦を提案した。善意からである。ところがアプリオリに12月25日と1月1日であった。セルビア人、クロアチア人、ムスリム人が三つ巴でたたかう戦争だ。カトリックのクロアチア人にとっては自然だ。正教徒のセルビア人にとって、クリスマスでも新年でもない。いわんやイスラム人にとっては。停戦交渉は当然もめる。

紀年法には、グレゴリウス暦だけでなく、ユリウス暦もイスラム暦も仏暦も元号制も世界の各地で民衆によって使われている。

平成29年1月15日

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/

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