海外生産プラントには「勝進」の兵隊ものに出てきたような軍曹風人物が僕みたいなのを含めた「現地人」をこき使っていることが多い。その中には国内的人間関係ではうまくいかなくなるようなタイプがかなり多い。自分中心で怒りっぽい連中もひとつのタイプだし、やたらに粘着質でじとじとと人をイジメ抜くタイプ、嫉妬深く人の行動に対していちいち悶着が出てくるタイプなど、一癖も七癖もある人が多い。しかし、共通して言えることは彼らが表面的には上役に従順であることだ。で、下には自由に振舞えることが彼らの性格を「国内」よりもさらに鮮明にしているようだ。
また同時に大手企業の中では経営を「現地人主導」にして「日本的」な要素を減らしていく試みを行うケースも増えている。その場合の経済的リスクは実際には増えていっても、責任を多国籍型に分散できるので「日本人問題」は減少させることができる。もっとも、その場合にも、僕のような特殊「現地人」は置き去りにされる。
これは新聞記者や特派員には見られない組織的現象で、また同時に新聞媒体では見えなくなっている次元でもある。新聞社側はインターネットに押されて特派員経費を削減したりしているので、実際には国際ニュースは90年代初頭以下の理解度しか現状の日本の報道スタンスでは期待できない。田中宇氏のようなインターネット依存ジャーナリストの場合、既に5ヶ国語以上のブログジャーナリストが「中南米」やヨーロッパでは活躍しているので日本でも中国語、韓国語、英語、スペイン語を最小限とするインターネット解説業者が必要になってくるだろう。しかし、各地の報道や通信社の独立性はそのつど低下の一途をたどっている。ワシントン・ポストの売却の裏ではニューヨーク・タイムスもまた既に売却されている。権力の影は「言語」そのものをカバーし尽くし始めている。
僕としては組織や街頭で食べたり飲んだりしながら、今後も書籍を基本に自分の社会理論形成をめがけていく以外どうしようもなく、大金と孤独に死んだ同世代の藤圭子とは知り合いになれなかったことを悔いながら、数回の交通事故やイジメでグタグタになった肉体に鞭打って「中南米」のいろいろな事件の場に近接しながら書いて行こうと思う。そのため9月8日のメキシコ・シティにおける石油資源外国企業私有化反対デモにも参加することにしていて友人との待ち合わせ場所を話し合っている。僕は石油資源の政府私有化にも反対で、基本的にはメキシコ人の石油資源依存体質にも反対なのだが、それを公言しているのでデモ中に殺される可能性もあり、また楽しい経験になりそうだ。最近、ラテン・アメリカ各地で「資本主義には頭に来てんだ」というスローガンが目立っていて、僕はその根底的な視座に、ある意味では「新鮮さ」を覚えている。
資本主義のマネー・ゲームを先進性と取り違えて最前線にいるような気持ちになっているインターネットの旗手たちには「理論」そのものが見えてこない。大卒の連中は結局「体制の犬」でしかなく、生産ラインの青年たちやその外にこぼれた藤圭子たちは確実に、少なくても僕の、前衛たちなのだ。日本語圏で、僕は放り出されているけど、多国籍企業の企画セクションにいる連中はある意味で僕の敵でありライバルでもある。彼らは日本の左翼以上に国際派であり、インターネット解説者以上に「現地」情報についての「それなりの的確さ」を身に着け始めているからだ。
また同時に大手企業の中では経営を「現地人主導」にして「日本的」な要素を減らしていく試みを行うケースも増えている。その場合の経済的リスクは実際には増えていっても、責任を多国籍型に分散できるので「日本人問題」は減少させることができる。もっとも、その場合にも、僕のような特殊「現地人」は置き去りにされる。
これは新聞記者や特派員には見られない組織的現象で、また同時に新聞媒体では見えなくなっている次元でもある。新聞社側はインターネットに押されて特派員経費を削減したりしているので、実際には国際ニュースは90年代初頭以下の理解度しか現状の日本の報道スタンスでは期待できない。田中宇氏のようなインターネット依存ジャーナリストの場合、既に5ヶ国語以上のブログジャーナリストが「中南米」やヨーロッパでは活躍しているので日本でも中国語、韓国語、英語、スペイン語を最小限とするインターネット解説業者が必要になってくるだろう。しかし、各地の報道や通信社の独立性はそのつど低下の一途をたどっている。ワシントン・ポストの売却の裏ではニューヨーク・タイムスもまた既に売却されている。権力の影は「言語」そのものをカバーし尽くし始めている。
僕としては組織や街頭で食べたり飲んだりしながら、今後も書籍を基本に自分の社会理論形成をめがけていく以外どうしようもなく、大金と孤独に死んだ同世代の藤圭子とは知り合いになれなかったことを悔いながら、数回の交通事故やイジメでグタグタになった肉体に鞭打って「中南米」のいろいろな事件の場に近接しながら書いて行こうと思う。そのため9月8日のメキシコ・シティにおける石油資源外国企業私有化反対デモにも参加することにしていて友人との待ち合わせ場所を話し合っている。僕は石油資源の政府私有化にも反対で、基本的にはメキシコ人の石油資源依存体質にも反対なのだが、それを公言しているのでデモ中に殺される可能性もあり、また楽しい経験になりそうだ。最近、ラテン・アメリカ各地で「資本主義には頭に来てんだ」というスローガンが目立っていて、僕はその根底的な視座に、ある意味では「新鮮さ」を覚えている。
資本主義のマネー・ゲームを先進性と取り違えて最前線にいるような気持ちになっているインターネットの旗手たちには「理論」そのものが見えてこない。大卒の連中は結局「体制の犬」でしかなく、生産ラインの青年たちやその外にこぼれた藤圭子たちは確実に、少なくても僕の、前衛たちなのだ。日本語圏で、僕は放り出されているけど、多国籍企業の企画セクションにいる連中はある意味で僕の敵でありライバルでもある。彼らは日本の左翼以上に国際派であり、インターネット解説者以上に「現地」情報についての「それなりの的確さ」を身に着け始めているからだ。