ジェフ・ミラー、最後は人

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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「製鉄を追いかけ始めた」

https://chikyuza.net/archives/103497の続きです。

 

CNCを外れてドライブ製品の担当になっていくらも経たないうちに、それまで考えたこともなかった世界に足を踏み入れていたことに気がついた。トレーニングコースで手にしてきた資料とは視点の違う営業資料やビデオテープやカセットテープが次から次へと送られてきた。あまりの量に置いておくところがない。大きな段ボール箱にいれて机の下に押し込んで、カセットテープは通勤のときに聞いて、ビデオテープは週末に何本か持ち帰って見ていた。

 

製品カタログや販売資料は、それぞれの事業部のマーケティングが作っていた。日本支社のマーケティングだったこともあって、いくつかの事業部という限定つきにしても、担当者レベルまで知っていた。たまにどこが作ったのだろうという資料もあったが、コーポレートレベルのマーケティングなど想像したこともなかった。Corporate Communicationsという組織があることは知っていたが、何をしている人たちなのか気にもしなかった。ACは、知れば知るほどたまげた会社だった。ミルウォーキーの本社にはテレビ放送施設までもった広告宣伝会社のような組織まであった。

 

新製品がリリースされれば、その紹介ビデオを、そしてどこかでうまくいったプロジェクトがあれば、その紹介ビデオを制作していた。さらに客に行く道すがら車を運転しながら製品仕様やアプリケーション事例確認用のカセットテープまで用意していた。一度読んだか聞いたかで製品仕様を覚えてしまう記憶力を営業マンには求められない。車で移動が毎日のアメリカの営業マンが要求したのだろう。声優のリズムにのった語り口で、下手な英語のリスニング教材よりはるかに聴きやすい。

 

いくらもしないうちにかなりの知識を吸収したが、何かがわかってくると、知らなければならないことが、おぼろげながらにも見えてくる。目の前の課題の糸口を探して、疑問を解決するためにも毎晩のように事業部に電話するようになった。日本支社にもイントラネットが導入されてメールでやり取りできるようにはなったが、時差十四時間には泣かされた。前の晩に依頼したことが、翌朝出社したら片付いていたなんて都合のいいこと、余程のめぐりあわせで偶然そうなることがあるかもしれないが、そうそう起きるわけじゃない。

 

つたない英語のメールのせいか、なにを問い合わせても、返事は都合のいいように端折った手を抜いたものが多かった。いくらメールのやり取りを繰り返しても埒があかない。もう電話しかないと思っても、面と向かってならいざしらず、電話で話が通じるのか心配だった。何度もためらったあげく、そんな余裕もなくなって、怖々電話した。自宅からの電話で誰に聞かれるわけでもない。通じれば、用をなせばいいだけの電話で人目を気にすることもない。そんな片言の英語の電話でも、いくらもしないうちに慣れてくる。それでも、あらかじめ要点はメールしておいた。なんの資料もなしの電話では手間をくってしょうがない。

 

メコンの朝九時はこっちの夜の十一時、冬時間になれは十二時になる。事務所でバタバタやって会社を出るのは八時を過ぎてしまう。家に帰ってメシ食って風呂も終わってひと息ついたら電話の時間になる。家族が寝静まったところで、自分の部屋に閉じこもってあちこち担当者に電話して、終わったときには一時を回ってる。
日鉄への資料を揃えてくれたのは、小包の発送人からジェフ・ミラーだという人だろうと想像していた。小包が届いてからいくらもしないある晩、事業部との電話も終わって、もう寝なきゃって蒲団に入ったところに電話がかかってきた。なんだよ、こんな時間にと思いながらも、家族を起こしちゃと慌てて電話を取って自分の部屋にはいった。

メール一本で足りる、これという要点もない電話だった。というより一つ大事な要点が意識的にだろうが欠けていた。

「製鉄関係のインダストリー・セールスのミラーだ。日鉄のコンタクト・リストを送っておいたから、明日にでも見てくれ。何人もいるが富津のペットに中野さんという人がいるから、挨拶に言ってこい。オレもよく知っている、いい人だ。中野さんから日鉄のなかの誰に紹介にいけばいいのか教えてもらえばいい。いいかペットの中野さんだ」

こんなことでいちいち電話してくるな。十二時間以上の時差があるの分かってんだろうに、何時だと思ってんだで電話を切った。

 

翌日メールを見てびっくりした。日鉄の上は役員から平のエンジニアまでA4四ページのリストだった。日鉄の中の人間ならいざしらず、インダストリー・セールスとはいえACの社員がどうしてここまで知ってるのか。呆れながら、氏名と役職を見ていった。電話で言っていた中野さんはすぐ見つかった。見つかったのはいいが、これといった要件があるわけでもなし、電話するのをためらった。なにか準備をと思っても何もない。話を切り出す話題が見つからない。

 

社名に氏名を言って、本社の海外調達部にはなんどかお伺いしていること、そしてまるで小学生のお使いのように、アメリカ本社のジェフ・ミラーから、「中野さんに弊社の紹介に上がれ」という指示が来まして、一度ご挨拶に上がりたいのですがと言ったら、驚いた声にこっちが驚いた。

「えっ、ジェフ・ミラー」

親しい旧友の名前でも呼ぶような口ぶりだった。ちょっと間をおいて、

「ジェフ・ミラーだよね。会社の名前なんだっけ」

そう、はじめて聞く名前だよねって、思いながらも、ちょっとムッとして答えた。

「ACですが」

なんなんだこの間はと思っていたら、

「ジェフ・ミラーって特別変わった名前じゃないから、同姓同名ってこともあるだろうけど、インランド・スチールのジェフ・ミラーじゃないのか」

インランド・スチールの名前は飛び込みで行ったときに聞いたことがあるだけで、なにも知らない。

「いえ、ACの製鉄関係のインダストリー・セールスのジェフ・ミラーですけど」

「でも、そのジェフ・ミラーがオレの名前を言って、紹介に行って来いって言ってきたんだろう。そりゃ、間違いなくインランドのジェフ・ミラーだよ」

そんなこと電話をしてきたとき一言もいってなかったし、はい、そうですかねとも、もしかしたら、そうかも知れませんけどなんて言えやしない。

「昨日夜なかに電話してきて、色々聞きましたけど、インランド・スチールは出てきませんでした。ACのインダストリー・セールスのジェフ・ミラーなんですけど。今晩にでも電話して聞いてみます」

「そうだな。そうしてくれるかな。あいつが出てきたとなると、話がちょっと違ってくるんで」

「アイツ」という言葉に戦友のような響きがあった。

 

三時をまわったころ、驚く電話がかかってきた。

「太平工業の片山だけど、藤澤さん?」

太平工業?名前も聞いたことがなかった。どういう訳か、声に親しみがある。どこでオレの名前を聞いたんだと思いながら、

「はい、藤澤ですが、」

名前を言い終わらないうちに、早口で、何をそんなに興奮してるんだという口調で、

「中野から、ジェフが日本に来るって聞いたんだけど、もし日本に来るんだったら、オレのところにも顔を出すようにいってくれないかな。太平工業の片山だ。あぁ、社名なんかどうでもいい。片山がいっぱいやろうって言ってるって言っといてくれればいいから。何年ぶりだろうな、アイツとはずいぶん喧嘩もしたしな。散々飲んで……。藤澤さん頼んだぜ、ジェフに言っといてくれ、……」

 

日本に来るなんて聞いてない。日鉄の富津の研究所の中野さんに電話したら、日鉄と合併した富士製鉄のエンジニアリング子会社の太平工業の片山さんから電話がかかってきた。二人とも、ジェフ・ミラーはインランド・スチールのジェフ・ミラーだと言っている。そもそもメールでコンタクト・リストが来ただけで、ミラーが日本に来るなんて聞いてない。どこで来るという話になったのか。

 

その晩、ミラーに電話して訊いた。

「中野さんに電話したら、太平工業の片岡さんから電話がかかってきて、二人ともインランド・スチールのジェフ・ミラーだって言ってる。ACのジェフ・ミラーだって言っといたけど、インランドのジェフ・ミラーはなんなんだ」

「そうか、藤沢さん、何も知らないんだよな。そもそもインダストリー・セールスなんてのがあることも知らなかったんだし」

「一年ちょっと前にACに入ったんだけど、それまではずっとインランドでやってたから。日鉄とは合弁で一緒に仕事したから、みんなインランドのジェフ・ミラーだと思ってんだ。前もって言っときゃよかったな」

なんだそういうことだったのかというだけじゃない、ここまで相手を思いやる気持ちにあふれた口調は聞いたことがなかった。こういう人を一人でも知っていれば、前に進める。何かあったら、どこの誰に相談をすればいいのかも聞けるだろうし、ことによっては情報の交通整理もしてくれるかもしれない。

 

「中野さんも片岡さんも、ジェフ・ミラーが日本に来るって勘違いして、騒ぎになってる。来るなんて一言も言ってないのに、中野さんと片岡さんから話が広がってしまって、ちょっと収拾するのが手間かもしれない」

「いや、それでいい。ほっときゃいい。今そっちへ三四日の出張にいく予定立ててるから、ちょっと待っててくれ」

日本支社では独りぼっちだったが、本社が動き出してくれていた。

 

翌週には出張日程が送られてきた。もし時間がとれたら取締役にもご挨拶だけでもという希望が入っていた。

日鉄の役員ともなれば、朝から晩まで、昼食も夕食も日程が詰まっていて、空けようがないだろうから、まず役員の都合にあわせて他の日程をたてるしかない。訪問先は、本社に富津のペット、太平工業はすぐそこだから、夕食にでもいい。問題は小倉で、日帰りというわけにはいかない。あれこれ考えながら、まずは大代表に電話して役員室に回してもらった。秘書がでてきて、

「あいにく、朝から晩まで予定が詰まっていて、調整のつけようがないです」と、慇懃に断られた。そりゃそうだろう。聞いたこともない会社から、誰の紹介もなしで飛びこみの電話、言葉は丁寧しても、取り合うつもりなんかあるわけがない。とはいうもののジェフ・ミラーといったとたんに、一騒ぎ起きたんだから、名前だけでもしっかり伝えておかないと、後でごちゃごちゃ言われかねない。

「そうですよね。お忙しいところ、こんな電話で申し訳ないです。一つだけお願いがあります。アメリカでお世話になったジェフ・ミラーとだけは取締役にお伝えください」

 

翌朝、海外調達の部長代理から電話がかかってきた。いつも単刀直入でくだけた人なのに何か怒ってる、いきなり、

「ちょっと来い。なんで俺を通さずに役員室に電話した」

「ただちょっとご挨拶にあがるだけなのに、お手を煩わせるのもどうしたものかと思いまして。お忙しいでしょうし……」

「いいから、ちょっと来い」

まったくやくざの世界のような話で、俺に相談なしで上に行った、顔を潰されたということなのだろう。叱られにでていった。叱られるのは慣れているが、顔をつぶされてというのは初めてだった。

午後、秘書から電話がかかってきた。昨日話したときとは声が違う。

「田中の日程を調整しました。三十分しか空けられませんでしたが、田中もぜひお会いしたいと申しております。ご都合はよろしいでしょうか」

取り付く島もなかったのが、顔をつぶしたと叱られて、その日のうちに是非って、ジェフ・ミラーがそこまでの人ということなのだろうが、こんなことは最初で最後の経験だった。

 

当日、帝国ホテルからタクシーで本社に行った。三十分のはずなのに、役員室で一時間以上、面白くもない昔話を横で聞いた。その足で富津に顔をだして、夕食は片岡さんとでかけた。ミラーはつとめて丁寧な英語だったが、片言の片岡さんは苦しそうだった。戦友同志の思いで話、英語がどうのという関係じゃない。何時の日にかこういう人間関係をと思ってみたが、そんなもの求めてどうなるものとも思えない。

 

小倉はもう大騒ぎだった。現場の実務部隊の課長以下、事務の女性も一緒だった。誰も彼もがジェフ会えて満面の笑顔だった。

自動車用のハイテン(ハイテンション・スチール)の圧延ラインとはいえ、その前段階の精錬から日鉄の技術が導入されたのだろう。既設の設備にしても使い方も違えば必要とされる制御システムも違う。日鉄のノウハウを伝統のあるアメリカの製鉄所に作り上げるプロジェクト、知識も腕力も必須だろうが、大きな二つの組織とパートナーや外注も揃えてとなると、並みの人ではまとめられない。ぶつかることも多かったろうが、そこから戦友としての絆が生まれてくる。なんの障害もなくすいすいいったんじゃ、ここまでの絆にはならない。大変だからこそ、しばしやってられるかと言い合いながら力を合わせてきり抜けてきたからこそ、意味のある人生だろうし、仲間だとうと思う。望むべくもないが、何時に日にかオレもと思わずにはいられなかった。

 

p.s.

インダストリー・セールスについて書いておく。

日常の営業活動は、世界各地の支社や支店の営業マンを中心にアプリケーション・エンジニアが支援するかたちで展開される。その営業活動の後ろには製品事業部から派遣されたエリア・マネージャがいる。日本支社では九〇年頃までエリア・マネージャをマーケティングと呼んでいた。エリア・マネージャのほとんどは現地採用だが、支社長や支店長の配下ではなく、個々の製品事業部の出先の立場だった。

給料も含めたコストは製品事業部の負担で、報告先は事業部のマネージャで、支社長や支店長に必要と思えばCCで入れていた。極端にいえば、支社長が何を言おうが、支店長がどう思おうが関係ない。事業部のマネージャの評価がすべてで、簡単に馘にもなれば給料も上がる。製品事業部の戦略をもとに市場の特殊性に応じてローカライズした戦略を立てて、市場開拓の責任を負っていた。

 

この販売体制では、個々の製品の営業活動はできても、製品を組み合わせたシステム・ソリューションを提案する営業展開が難しい。顧客が求めるソリューションは顧客ごとに違うが、それでも業界としての共通性と業界独特のものがある。

自動車とその下請けへの営業経験の長い営業マンとはいえ、自動車業界が指向している次の世代の制御や監視システムの仕様にまで入り込めるのはいない。ましてや自動車業界で培った知識が製薬業界ではさしたる意味を持たない。

 

そこで、自動車業界、例えばトヨタやGMの基幹の生産設備や検査体系の経験豊富なエンジニアをヘッドハンティングで引き抜いて、注力業界ごとにインダストリー・セールスという部隊を作り上げた。どこも四、五人のチームだが、製鉄関係はピッツバーグ、自動車はデトロイト、半導体はどういうわけかロスアンジェルス、日曜衛生用品はシンシナチ(P&Gのお膝元)、そして医薬品はニューヨーク支店においていた。彼らは毎月のようにアメリカからヨーロッパの主要企業を訪問してACのソリューションを提案しながら、業界の新しい要求仕様を吸い上げてきた。その要求仕様を整理して製品事業部にフィードバックして次世代の制御や監視システムの製品が開発されていた。

アメリカの製造業の停滞がはっきりした七十年代後半からヨーロッパに足を延ばしたが、そこにはシーメンスもいれば、ABBやグループ・シュナイダーなどの巨大な競合がひしめいていた。八十年末には日本、そして韓国や中国などに活動の範囲を広げていった。

 

そこに偶然居合わせた。後年、半導体や日曜衛生用品や医薬品のインダストリー・セールスの出先も兼任させられた。単体のドライブ製品からドライブ・システムへ、そしてインダストリー・セールスへと、やればやるほど出口のない深みに嵌っていった。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9849:200617〕