ジャック・ボー氏著の論考「アレクセイ・ナワリヌイ氏について」

2017年3月、モスクワのトゥヴェルスカヤ通りを行進するナワリヌイ氏

CC BY-SA 4.0 撮影:Evgeny Feldman

はじめに

ご紹介させていただくジャック・ボー氏著の論考「アレクセイ・ナワリヌイについて」は今年の3月に公表されたものである。 ジャック・ボー氏が描き出すナワリヌイ氏の人物像は西側諸国のメインストリームメディアが描くそれとは、かなり異なっているので興味深いのではないかと思う。さらに興味深いのは、ジャック・ボー氏がナワリヌイ氏の毒殺未遂事件について入手可能なデータ・分析結果・情報を収集し、それらに基づいて、西側諸国が主張する「ナワリヌイ毒殺論」の信憑性を批判的なスタンスで評価していることである。

原文(英文)へのリンク: 

https://www.thepostil.com/about-alexei-navalny/

《訳注》ざっとした翻訳にはAIを利用したが、翻訳者(グローガー理恵)は一語一語、一文、一文ごとにチェックし、訂正もし、できるだけ明確な文章にするように努めた。

下記にご紹介する論考は全訳ではなく抄訳したものである。

ジャック・ボー (Jacques Baud)氏について》

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[ Source: the Postil Magazine]

修士号と国際安全保障の修士号を取得し、スイス陸軍の大佐を務めた。スイス戦略情報局に勤務し、ルワンダ戦争時の東ザイールの難民キャンプの安全確保に関するアドバイザーを務める(UNHCR – ザイール/コンゴ、1995-1996年)。ニューヨークの国連平和維持活動局(DPKO)に勤務し(1997-99年)、ジュネーブの国際人道的地雷除去センター(CIGHD)および地雷対策情報管理システム(IMSMA)を設立した。国連平和活動におけるインテリジェンスの概念導入に貢献し、スーダンで初の統合型国連合同ミッション分析センター(JMAC)を率いた(200506年)。ニューヨークの国連平和維持活動局平和政策・教義部(200911年)、安全保障セクター改革・法の支配に関する国連専門家グループの責任者を務め、NATOに勤務した。

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アレクセイ・ナワリヌイについて

著者:ジャック・ボー ( Jacques Baud)

2024年3月1日

アレクセイ・ナワリヌイが2024年2月16日にロシアの刑務所で死亡したとの報道は瞬く間に世界中に広まり、敵対者を弾圧したと責められるロシア政府への非難が異口同音に叫ばれた。しかし実際には、何が起こったのか、もしくはナワリヌイの死因が何であるのか、誰も知らない。 現在のあらゆる危機と同様、我々の政府は事実によってではなく、ナレティヴによって判断している。

ナワリヌイはプーチンの主要な挑戦者であったのか?

まず第一に、我々はアレクセイ・ナワリヌイがどのような人物であったのかを理解する必要がある。 我々のメディアは彼をロシアにおける野党の”トップ”または ”先頭者”として描写している。 しかし、フランスの 日刊紙 ”リベラシオン(Libération) が認めているように、彼は単に西側諸国において、もっとも目立った野党の人物に過ぎなかった。彼は、政治スペクトルの極左や極右に位置することが多い、政党を結成するには規模が小さすぎる小グループで構成された、いわゆる “体制外”のオルタナティヴ野党の一員であった。

ナワリヌイは、2000年代に実業家としてのキャリアをスタートさせた。 彼は、エリツィン時代によく使われた常套手段で、国有企業を買収して、不採算部分を換金し、より収益性の高い部分の利益を民営化することをやった。この違法なやり方は、結局は英国やイスラエルに逃げ込むことになった特定のオリガルヒたちに対するプーチンの闘いの根元となっている。ナワリヌイは最初の事件で5年の執行猶予つきの実刑判決を受けた。(キーロフレス

しかし、もっとも注目を集めたのはイヴ・ロシェ化粧品グループを巻き込んだ事件であっった。 これは比較的複雑な事件であり、この記事の範囲を越えるものであるが、イヴ・ロシェのプレスリリースとウィキペディアのロシア版にもっとも詳しく記述されている。きわめて簡潔に言えば、アレクセイの弟であるオレグ・ナワリヌイの公的地位の濫用による個人的利得の事件である。2008年、オレグはポドリスクにあるロシア郵便局の自動仕分けセンターのマネジャーだった。

彼は、イヴ・ロシェ製品の仕分けセンターへの配送を効率化するために、フランス企業 [イヴ・ロシェ] に民間の物流会社Glavpodpiska (GPA)のサービスを利用するように勧めた。 しかし、GPAはナワリヌイ一族が所有していたので、明らかな利益相反があり、違法な利得供与と公的地位の濫用で捜査されることになった。

この汚職同様の事件に加えて、過大請求の告発もあった。この事件では、オレグ・ナワリヌイが主要被告人でアレクセイ・ナワリヌイは単なる共犯者であった。そのため、オレグは懲役3年半、アレクセイは執行猶予3年半の判決を受けた。この執行猶予の判決は、控訴に次ぐ控訴で延期され、2021年に適用される前は、アレクセイがロシア領土を出国するのを禁じていた。

2019年2月4日、フランス語圏スイスのラジオは、「すでにナワリヌイ兄弟を捜査していたロシア当局が、2012年にナワリヌイ兄弟を起訴するようにとイヴ・ロシェに圧力をかけたらしい」と主張した。 これは嘘であった。 実際、ナワリヌイが有罪の判決を受けたのは、イヴ・ロシェに損害を与えたからではなく、公職を濫用したためであった。ちょうどその前日に、イヴ・ロシェはプレスリリースでこう言明した:

イヴ・ロシェ・ヴォストーク社は、ナワリヌイ兄弟に対して苦情を申し立てたことも、法的権利を求めたことも決してない。』

オレグとアレクセイ・ナワリヌイは、この判決は政治的な動機によるものだと主張し、欧州人権裁判所 (ECHR)に提訴した。しかし、欧米のメディアやイェール・ジャクソン・スクール・オヴ・グローバル・アフェアーズの主張に対して、ECHRは事件の本質ではなく、その形式を審理したため、この判決を無効としなかった。

20171017日、ECHRは判決を下し、特定の法律点について2人の兄弟を部分的に支持し、ロシアの司法制度は彼らに補償金を支払うべきであると結論した。 その一方で、彼らの有罪判決は政治的動機によるものであるという申し立てを拒否した。(paragraph 89)

2018年、アレクセイは大統領選挙に出馬することを許可されなかった。 我々のメディアは、その理由は政治的なものであると主張しているが、それは事実ではない。その理由は ー 他の西側諸国がそうであるように ー 有罪判決を受けた者は大統領選に出馬することができないからである。 さらに、上述のとおり、彼の有罪判決は事実上、政治的なものではなかったのである。

政治的には、アレクセイ・ナワリヌイの経歴は政治家というより活動家であった。2000年代初頭、彼はキーロフ州のニキータ・ベリク知事の顧問だった。 その当時、彼はロシア政府による嫌がらせを正当化するような知名度を、国外においても国内においても持ち合わせていない、まったく無名の活動家であった。

2005年、彼は民主主義オルタナティヴ (DA) 運動を共同設立した。これは全米民主主義基金NED) によって資金提供されているオルタナティヴな野党運動である。20076月、彼は不成功に終わった民族主義グループ「ナロード」(民衆)を共同設立し、2008年6月、そのグループは他の2つの民族主義極右運動、不法移民反対運動(MAII)と大ロシアと合併し、新連合「ロシア民族運動」を結成した。 

2010年、ナワリヌイは ガルリ・カスパロフの推薦で、イェール・ワールド・フェロー・プログラム (Yale World Fellows Program) 参加するために米国に招待された。このプログラムは、イェール大学が提供する15週間の学位授与なしの研修で、それぞれの国で米国の政策を伝播できる人と見なされた外国人に提供される。

ロシアに戻ると、ナワリヌイは大企業の小口株主の権利を求めるキャンペーンを展開し、企業慣行の乱用を非難した。 彼の反汚職基金(FBK)は共鳴を呼んだが、同時に多大な不信と反感も買った。彼の告発は、2016年にはロシア検事総長の息子・アルチョム・チャイカ2017年にはロシアの大富豪アリッシャー・ウスマノフ2018には実業家・ミハイル・プロホロフなどを対象にしたもので、多くの場合、偽りの告発であった。

彼の思想はどうかと言うと、そのイメージはまったく明るいものではない。2007年、彼は中道右派のヤブロコ党から除名された。その理由は、彼が超国家主義者の ”ロシア人の行進”に定期的に参加していることや彼の人種差別的な”民族主義活動”のためであった。その頃、彼は、ビデオの中で、ロシア国内のチェチェン系移民を射殺する真似をしたことは、今や有名な話となっている。

201310月、彼はビリュリョヴォ暴動【*訳注1】を支持し扇動し、”合法・不法移民の大群”を厳しく非難した。 2017年、アメリカのメディア “サロン(Salon)“ は、「もし彼がアメリカ人であったとしたら、リベラル派はトランプやスティーヴ・バノンを嫌うよりもナワリヌイを嫌ったことだろう」と主張した。 2017年、アメリカのメディア” ジャコビン(Jacobin”は、彼を”ロシアのトランプ”とまで呼んだ。

事実、201812月にプリンストン大学の “American Foreign Policy Manazineが特筆したように、彼は極右グループを通じて頭角を現し、彼の思想は、むしろ欧米で”ポビュリスト”と評するものと類似していた。ニュース・ウェブサイト” The Grayzone “が  ”反プーチン”左派の2人の活動家に注目すべきインタビューを行ったが、インタビューは、我々の主流メディアがナワリヌイのイメージをどれほど歪めていたかを示している。

2021年2月21日に放送されたラジオテレヴィジョン・スイス(RTS)のナワリヌイについての番組 “Géopolitis”で、番組のプレゼンターは 「ナワリヌイの超国家主義的な始まりと反移民宣言は何も残っていない」と力説した。 これは事実ではない:ナワリヌイは、2017年4月には”ガーディアン”紙で、そして202010月にはドイツの”シュピーゲル”誌で、彼は自身の意見を変えなかった、ということを確認している。

候補者を選挙に出馬させるのに [訳注:右派と左派が] 別々では充分な多数とはならない右派と左派の過激派の票を引き付けるためにー ナワリヌイは、アメリカの戦略的/戦術的な投票にヒントを得た ” 賢い投票 (smart voting)”というコンセプトを適用した。 フランスでは、“有益な投票”とは自分の意見にもっとも近い候補者に投票することにあるとされているが、ナワリヌイの “賢い投票” の原則は、統一ロシア(ウラジーミル・プーチンの政党)の党員以外 [の候補者]であるのなら誰にでも投票できるというものであった。

賢い投票”とは好みに基づいたものではなく嫌悪に基づいたものであるということだ。非常に象徴的である!

このプロセスの利点は、過激派の票をプールできることである。 2013年のモスクワ市長選挙でナワリヌイが27%の票を獲得し成功したのは、このためである。しかし、それは欺瞞的な成功であった:それは、ナワリヌイを選択したことを示したものではなく、当時の現職市長・ソビャーニンを拒否したことを示したものであった。

この選挙は、ナワリヌイの支持者が、内部の対抗関係が非常に強い左翼と右翼の過激派の、まったく共通点のない邪悪な混合体であることを示した。 また、ナワリヌイの支持者がロシアのためのプロジェクトではなく、”権力” に反抗する決意のもとに集結していることも明らかになった。 しかも、これはロシアの改善を求めるのではなく、それとは逆にロシアの弱体化を求める西側のアプローチのまた別の実例ともなっているのである。 また、我々のメディアがナワリヌイの政治プロジェクトについて、まったく報道しないことも象徴的である。 これには簡単で正当な理由があるのだ。ー ナワリヌイの政治プロジェクトは存在しないのである。

2019年、モスクワ市議選にあたって、”自由な選挙”を求める2万人から5万人のデモ隊が西側メディアの注目を集めた。「27人の候補者が排除された」(ル・フィガロ紙)、「当局は野党候補を排除」(ル・モンド紙)といったヘッドラインは、立候補の許可が自由裁量であったということを示唆している。 

BBCは、候補者たちは「無視され」、「まるで取るに足りない者であるかのように扱われた」と主張した。 が、それは真実ではない。 事実、候補者は、フランスの大統領選挙のように、選挙戦に参加するためには一定数の署名が必要なのである。フランスでは、候補者は選挙で選ばれた500人の代表者の署名が必要である。

ロシアでは、無所属の候補者は5千人の一般市民の署名が必要であり、これは人口1200万人の都市においては、それほど多いとは思えない。

ロシアでは、無所属の候補者は5千人の一般市民の署名が必要であり、これは人口1200万人の都市では、それほど多いとは思えないのではないだろうか。当然、これらの署名は不正を防ぐために選挙管理委員会によってチェックされ、許容範囲が10%であるにもかかわらず、必要人数に達することができない候補者もいる。これが、政治的傾向が極右から極左に及び、大衆基盤を持たず、中には署名を集めようとする努力さえしなかった小集団に起こったことなのである。

これは、2015年にアレクセイ・ナワリヌイの進歩党が影響を受けたのと同じ現象である。ー 単に、彼の党には、ロシア連邦の少なくとも85の自治体に支部を持つだけの支持者がいなかったのである。そのため、選挙人名簿から抹消されたが、これは恣意的な決定によるものではなく、法律で定められた基準を満たしていなかったためである。

実際には、ナワリヌイの人気は非常に低かった。 2020年8月20日から8月26日の間(ナワリヌイの”毒殺”の直後)にレバダ・センター [Levada Center ] (レバダ・センターは 米国に資金援助を受けており、ロシアでは”外国のエージェント”と見なされているため、実際には”政権寄り”でない)が実施した世論調査は、ウラジーミル・プーチンとアレクセイ・ナワリヌイの人気の差を示していた。(表1)

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 1202011月の投票意向(投票意向のある有権者の中で)。20208月の数字は、ナワリヌイ 毒殺未遂事件 後の2020820日から26日の週に実施された世論調査によるもの。[出典:レバダ・センター Levada Center

これらの制度的問題と並んで、非制度的な野党、すなわち選挙で選ばれるのに十分な民衆代表を擁する政党に構成されていない野党が除外される理由は、海外からの資金援助を受けていることにある。一部は、英国やイスラエルに国外逃亡した違法蓄財の罪を犯したオリガルヒや、外国勢力、とくに米国や英国によって資金援助されているのである。 我々の国々は、ロシアの政党に資金を提供することによって、かなり必然的にこれらの政党を ”外国のエージェント”にしているのである。

米国は、ロシアにおける”非体制的”反対勢力に資金提供するために、全米民主主義資金(NED)を利用している。 ニューヨーク・タイムズ紙によると、NEDCIAの仕事量を軽減するために1980年代初頭にに創設されたという。2021年、NEDは、ロシアにおける109もの政治的活動や影響力活動を支援し、その総額は1400万ドルにのぼった。英国に関しては、ロシア周辺国の反ロシアメディアに資金提供することによって、この活動に参加している。 調査ジャーナリストのマット・ケナードによると、英国は2017年から2021年にかけて、20ヶ国における”情報対応策”に約9600万ユーロを費やしたという。

2012年、ロシアは2000年代初頭から悪化する一方の状況に対応するため、米国で1938年以来、施行されている法律と同様の法律を成立させ、外国から資金提供を受けている政治団体を禁止することを認めた。

201711月、米国がロシアのメディアRT [ロシア・トゥデイ] を”外国のエージェント”として分類する決定を下したのを受けて、ロシアは政策を強化し、外国のジャーナリストやメディアを”外国のエージェント”として分類することを認める法律を成立させた。2018年、この法律は外国から資金提供を受けている個人およびNGOにも拡張された

ロシアの野党がどこまで自由に表現できるのか、確かに議論の余地はあるが、我々が野党に資金を提供しているという事実は、それを事実上、非合法で違法なものにしている。どの国も自国の野党への外国からの資金提供を容認してはいない。 しかも、もしロシアで反対派が彼らが言うほどに強力であり活力的であるのなら、我々の資金援助を必要とはしないだろう。

事実、西側諸国がロシアの野党に資金提供しているのは、ロシア人にとっての状況を改善するためではなく、政府に圧力をかけるためなのである。

毒殺事件

2020年8月20日、アレクセイ・ナワリヌイはトムスクからモスクワへの飛行中、突然、激しい痛みに襲われた。飛行機はオムスクに向かうように方向転換された。大急ぎで彼を病院に運べるようにするためだった。

分析が行われたことはなく、ナワリヌイの正確な病気の性質については誰も知らないが、彼のスポークスウーマンは、「彼は意図的に毒を盛られたのだ」と主張した。ソーシャル・ネットワークで広まった、アルコール摂取と投薬の組み合わせであるとの噂は、即座に我々のメディアによって ”中傷的”と評され、”讒言”と斥けられた。我々のメディアは、裏付け証拠のない、よりロマンティックなナレティヴとなる”プーチンの命令によるノビチョク毒殺を直ちに好んだのである

毒殺が故意であった(すなわち犯罪であった)と仮定しても、どのようにして毒殺が為されたのかは謎のままであり、その説明も様々であった。 第一のバージョンでは、「彼はトムスク空港お茶を飲んでいたとき毒を盛られたのだ」と彼の側近が主張している。問題は、そのお茶が、ナワリヌイの同僚の一人であるイリヤ・パホモフによって持ってこられたことだった。その後、別のビデオには、ウェイトレスがテーブルにカップを置いている場面が映し出されている。

その後、ナワリヌイの側近は第二のバージョンを発表した: ホテルでペットボトルに毒が盛られたということで、それをナワリヌイのチーム(トムスクに残っている)が8月20日に回収したという。 英国のメディア”ザ・サン”は、警察が到着する前の動きを示すビデオを公開して、推定されていた犯行現場を変更した。 ナワリヌイの側近は、ペットボトル(複数)を分析のためにドイツへ持っていったと主張した。

しかし、ロシアの民間メディア『REN TV[その30%はRTLグループが所有している] が公表したところによると、搭乗ゲートでのナワリヌイのチームの荷物のスキャンでは、ペットボトルはなかったこと(いずれにしても、これらは没収されたであろう)が確認されている。一方、監視カメラ(複数)は、ナワリヌイの親族の一人が荷物チェックの後に自動販売機で水を買っている姿をとらえている。 2020年の9月、ナワリヌイの仲間の一人が、中毒の原因は水のボトルではなかったと自ら告白した。 いずれにせよ、BBCによれば、その朝、空港でナワリヌイはお茶以外何も口にしていなかった、とのことである。

それからナワリヌイの側近は、第三番目のストーリーを持ち出してきた:20201221日に、”ロシア連邦保安庁〔FSB]の諜報員”とされるコンスタンチン・クドリャフツェフという人物との電話会話のビデオで、ナワリヌイのパンツに毒物が入れられたということが”明らかになった”という。 これは西側メディアで広く流布された。 陰謀論者たちは、この会話の後、”疑いの余地はない”と主張した。 しかし、a)この人物が問題の人物であること、 b) 彼が本当にロシア連邦保安庁の諜報員であること、 c) 彼が実際に毒殺未遂事件に関与していたことを示す証拠はまったくない。

このビデオは、英国政府出資の団体ベリングキャットの協力を得て撮影された。 問題は、クドリャフツェフであると証明する方法論が技術的に疑わしいことである。 事実、ベリングキャットは、犯罪から出発して犯人に至るまで逆算する(シャーロック・ホルムズがするように)代わりに、犯罪の仮説経過にもっとも適合する人物を探すのである。

想定されるシナリオに基づいて犯人のプロフィールを作り、それに最も合致しそうな人物を探す。これが人工知能の原理である。このようにして、我々は近似値の積み重ねによって結論にたどり着くのである。ー 我々は我々が見つけたものが真実であるという確率の確率の確率の確率を持っているということだ。簡単に言えば:結論を基にして事実が選択されるのである。ー これは誤判につながるため、警察が避けようとする方法である。

このような方法論は、犯罪の詳細すべて事前に分かっているのであれば使える可能性がある。 問題は、この特定のケースにおいて、ベリングキャットがロシア連邦保安庁の機能も構造も、犯罪がどのような状況のもとで、どのように行われたのかさえも知らなかったということを示す数多くの事実があることである。したがって、ベリングキャットが正しい結果にたどり着いたという確率性はきわめて低い。その上、この事件を現場で調査したアメリカのチャネルCNNは、ナワリヌイの告発を”確認することができなかった”ことを認めている。

さらに、ナワリヌイの接触相手が本当に”毒殺者”チームの一員であったと仮定した場合、彼は〔訳注:諜報員は] 見知らぬ人物と暗号化されていない電話で自由に話したり、おそらくは極秘であったであろう作戦の詳細を伝えるようなことをするだろうか?この”諜報員”が4年間、ナワリヌイの監視に関与してきたと仮定して、彼は電話の声がナワリヌイだと気づかなかったのであろうか?保安庁の仕事のやり方についてかなり多くの矛盾や誤りがあるため、ナワリヌイの接触相手は我々が信じ込まされた人物ではなかったと考えるのは当然のことである。

ロシアの野党系メディア ”Meduza“ は、ナワリヌイのビデオがロシア連邦保安庁(FSB)が彼を毒殺しようとした証拠になるか否かを4人の弁護士に訊いた。 4人全員が、仮にこのビデオを裁判に提出することが法的に可能であったとしても、その内容は操作の余地が大きく何かを証明するには不十分であるとの見解で一致した。

極右の陰謀論者、陰謀ウォッチや西側メディアによって定期的に引き合いに出されているベリングキャットについては、20186月のロシアの偽情報への対抗に関するUKインテグリティ・イニシアティブの内部文書で、次のように判断されている:その他の懸念は、ベリングキャットは、自ら偽情報を広めていること、さらにお金を払ってくれるのなら誰のためであろうとも、喜んで報告書を作成することなどで、いささか信用を失っていることであった。

したがって、この電話会話は形式的に信用できないが、その中身も信用できない。それがノビチョク毒殺であり、さらに毒がロシア由来であったと仮定しても、その段階では、ナワリヌイの会話でさえも、ロシア当局とこの企てを結びつけるものは何もなかった。さらに後述するように、シャリテ病院、化学兵器禁止機関(OPCW)、ドイツ、スウェーデン、フランスによって公表された毒物に関する様々な報告書は、生化学的サンプル(血液と尿のサンプル)に基づいており、どの報告書も毒殺方法を確認しなかったし、ボトルや下着に言及することもなかった。 このことはドイツ政府も国会議員に対する答弁で認めている。

私は、化学兵器禁止機関(NBC)の中核的研究拠点である、スイスのシュピーツにある化学兵器禁止機関スイス核生物化学(NBC)防衛学校で訓練を受けた。それで、私の興味を引いたのが、2018年に英国で起こったセルゲイ・スクリパリ暗殺未遂事件と、2020年にあったアレクセイ・ナワリヌイ暗殺未遂事件である。どちらの事件においても、ロシアが「1グラムで数秒内に1000人を殺せる」毒物を使ったのだと伝えられている。しかし、これら「犠牲者」の誰もが死ななかったばかりでなく、彼らの症状は、お互いに、まったく異なったものであり、さらに、これらの症状は神経ガスによる症状とは一致しないものであった。

事実、 セルゲイ・スクリパリと彼の娘のユリヤの症状( および ソールズベリーの 英国国民保健サービス(NHS)の救急医の証言)は、彼らが、おそらくサキシトキシンに関連する毒素による食中毒の被害者であったということを示唆している。数ヶ月後に同じレストランで食事をした他の客も同様に病気になっている。 ナワリヌイについては、軍の研究所が分析結果を公表することは、まったくなかった。

ノビチョクがナワリヌイの下着につけられていたと仮定してみると、彼はそれを拾った時点で死んでいただろうし、それを身につける時間さえなかったであろう!現実として、これらの事実はあまり知られていないのである。我々の政府やメインストリーム・メディアは、この無知を利用して自分たちの対ロシア政策を正当化するナレティヴをつくり出している。この点で、我々の政府は陰謀論者の定義に当て嵌まる行動をとっている。 メディアでニュアンス抜きで我々に報道されるストーリーは、人為的に作成されたものであり、信憑性があるように見せるためには、事実を「捻くり回すこと」が必要である。

いくつかの事実を思い出してみよう。まず第一に、ノビチョクは2018年まで化学兵器条約(CWC)に登録されていなかったのである。その簡単な理由は、ソ連(当時ロシア)はノビチョクをまったく採用しなかったからである:それは単なる研究製品に過ぎなかった。

第二に、2018年にノビチョクのいくつかのバリアントがCWCのリストに加えられたのはロシアの要請によるものだった。 なぜか? なぜならノビチョクを開発した研究所が米国によって解体され、米国人たちがいくつかのNATO諸国にサンプルを供給したからである。 1998年に 米国人自身が研究目的で合成したものだ。 これが、ポートン・ダウンにある英国の研究所が、テリーザ・メイに、スクリパル事件で分析された毒素がロシア由来であることを確認することを拒否した理由である。

要するに、科学的証拠は政治家たちやその他の宣伝者たちの主張と矛盾する傾向があるのだ。それで、ベルリンのシャリテ病院のドイツ人医師たちからの報告書が、ナワリヌイの被毒は間違った薬物の組み合わせによって引き起こされたようであるということを指摘していたとしても、我々は確かなこととして言うことはできないのである。

分析結果

2018年と2020年にあった西側の告発の信頼性を評価するための利用可能なデータはほとんどない。20209月にドイツ、フランス、スウェーデンの軍事研究所によって実施された分析の結果は機密扱いのままであり、公表されていないし、ロシアの要請にもかかわらず、ロシアにも伝達されていない。一方、オムスクとベルリンでナヴァルニーを治療した医師たちの医療報告書、化学兵器禁止機関(OPCW)報告書の機密解除版、そして ー ある程度までのー20201119日と2021215日のドイツ連邦議会議員による質問に対するドイツ政府の回答はある。

軍の研究所による分析はノビチョクの存在を主張する傾向があったが、彼らの分析内容は検証不可能なものであった。民間の医師たちによる観察では、その結論と矛盾する傾向があり、その一方、政府の応答はメディアよりもはるかに断定的でないように思われ、事実が彼らの声明と矛盾するように見えたときには、軍の機密を訴えた。

8月24日、(ベルリンの)シャリテ病院は、臨床分析から『コリンエステラーゼ阻害剤グループの物質による中毒が示唆されている』と述べるプレスリリースを発表した。しかし、オムスクの医師たちは何も検出しなかった。 では、陰謀ということなのか?必ずしもそうとは限らない。 野党系メディア『メドゥーザ』が説明しているように、ドイツの医師たちは中毒の証拠を探していたのに対し、ロシアの医師たちはナワリヌイの病気の原因を探していた。両者とも同じものを探していたわけではないので、お互いに異なる結果を得たのだが、矛盾はなかった。

スウェーデンでは、マッツ・ニルソン弁護士がスウェーデン国防研究機関(FOI)によるナワリヌイの血液分析結果の公表を要請した。FOIは、「患者の血液中にXXXXの存在が確認された」という、物質名が削除された文章だけを公表した。 黒塗りは、欧米人が期待していたノビチョク以外の何かが発見されたことを示唆している。さらに、ベルリンのシャリテ病院の医師たちによって、医学ジャーナル「ランセット(The Lancet)」に公表されたナワリヌイの医療記録は、おそらくは彼が薬物の有害な組み合わせによる被害者であったということを示す傾向があった。

物質名は隠され、明らかに軍事機密で覆われていた。そうであるから、我々はそれについて何も知らないのだが、もしそれがノビチョクであったのなら(それを西側諸国は期待していた)、物質名を隠す理由はなかっただろうと想像できる。2021114日、スウェーデン政府は「スウェーデンと外国勢力との関係を害する」ことのないよう、この結果の機密解除を拒否したが、その外国勢力がドイツであるのか米国であるのか、明確に述べなかった。

だから我々には分からない。 しかし、我々は、スウェーデンの国の信義とは、虚構を政治的利益に従属させることであるということを知っている。ー 国連の拷問に関する特別報告者であるニルス・メルツァーによれば、ジュリアン・アサンジの事件で、スウェーデン政府は、すでにレイプ告発を文字通り「捏造」していたということである。

20201222日、医学雑誌『ランセット』に掲載されたドイツ人医師たちの報告書には、ナワリヌイが到着したときにノビチョクの存在を確認することはできなかったが、コリンエステラーゼ阻害剤 の存在だけは確認できたと明記されている。彼らは、ノビチョクの同定にはIPTBによる更なる分析が必要であると述べている。

しかし、ナワリヌイの到着時にシャリテ病院が行った分析がそれを物語っている。それはランセット誌の付録である。この付録は、どの主要メディアも発表、報道、分析していない。なぜなら、ドイツの医師たちの調査結果は、軍による事件の記述に疑問を投げかけているからだ。

従って、コリンエステラーゼ阻害剤の存在は、ナワリヌイ自身が摂取した薬物、おそらくアルコールとの組み合わせで説明できる。このことは、彼の症状が、同じ毒の犠牲者であったと主張される2018年のセルゲイ・スクリパリと(娘)ユリアの症状とは全く異なっていた理由を説明することになる。

さらに、ナワリヌイがドイツに到着してから2週間後に、フランス、スウェーデン、OPCW (化学兵器禁止機関)がサンプルを採取したとき、彼のコリンエステラーゼのレベルは正常に近かったことがドイツの医師たちの報告書から明らかになっている。この段階では、これらの研究所は コリンエステラーゼ阻害物質 を検出できただけで、数日前にシャリテで発見された物質、例えばリチウムや薬物などは検出できなかった。発表された結果がないため、軍が何を発見したのか正確にはわからないが、これらの阻害物質の存在について他に説明がつかなかったため、ノビチョークだと結論づけられたのだろう。

これらの研究所は、結果を秘密にすることで、ドイツの医師が分析結果を公表することを予期していなかったのだろう。後者のおかげで、ナワリヌイは意図的な毒殺ではなく、偶発的な毒物発生の被害者であったという仮説の可能性が高くなった。

ナワリヌイの死

ロシア当局の公式発表では、アレクセイ・ナワリヌイは脳塞栓症で死亡したとされている。これが真実か否か、我々にはわからないし、この事は解剖することによってのみ、わかることである。医学的データがない以上、彼の死因を特定することは不可能であり、ましてやそれが犯罪に起因するものなのかどうかもわからない。しかし、アレクセイ・ナワリヌイの死がロシア政府にとって何の関心もないことは、今や明らかである。

また、ドイツウクライナのメディアから分かっているのは、ロシアがナワリヌイと元ロシアのスパイ、ヴァディム・クラシコフを交換するためにアメリカ政府と交渉していたということだ。

20229月のノルド・ストリーム事件では、フランスのテレビ局LCIで、フランスのミシェル・ヤコフレフ将軍が、ロシアは自国のガスパイプラインをサボタージュしたと主張した。 実際に何が起こったのか、誰も知らないうちにである。

ナワリヌイの死でも同じことが起こった。彼の死が発表されてから数分も経たないうちに、ヨーロッパの指導者たちは皆、プーチンが彼を暗殺したのだと非難した。

ところで、ウクライナの諜報機関はどう考えているのか?225日、ウクライナ軍情報部(GUR)のキリロ・ブダノフ部長は記者団に「失望させることになるかもしれないが、彼は血栓で亡くなったのだ」と語った

ー抄訳終わりー

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