セピア色の「日本の地方」。映画『港町』想田和弘監督によせて

著者: 梶村太一郎 かじむらたいちろう : ドイツ・ベルリン在住/ジャーナリスト
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本日4月7日より、本年度のベルリン映画祭招待作品である想田和弘監督の観察映画『港町』の上映がようやく日本で始まります。

わたしは今年は映画祭前の試写会の時期にベルリンを不在にしていたこともあり、映画祭の本番でこの作品をようやく観て非常に深い印象を受けました。
同作品は、映画祭でも非常に評判が良く、ドキュメンタリー部門での入賞も密かに期待してのですが惜しくも逃しました。

そこで都合つく方にはこれだけは是非見ていただきたく紹介させていただきます。
作品の→公式ホームページ、 →Twitter、→上映の予定などはこちらです。

牛窓の老漁師と猫の対峙の場面をセピアで

ところが実に申し訳ないのですが、この作品のわたしからの感想は、「深い印象を得た素晴らしい作品である」ということ以上には控えさせていただきます。

理由は二つあります。一つは舞台である岡山県の古い港町牛窓は、わたしの郷里の岡山県津山市を流れる吉井川の河口にあたり、登場人物たちもまるで懐かしい旧知であるかのようであるため、身につまされて客観視がかなり難しいこと。
もう一つは想田監督とプロデューサーの柏木規与子さん夫妻が、わたしのじゃじゃ馬娘の親しい友人であるため、肩を持つには不適当であると思うからです。

想田監督のツイッターから

ために、上映期間中にベルリンの映画祭の会場近くで、柏木・想田のお二人と昼食を共にしました。ところがこの想田監督は出会った人たちをスマートフォンで自撮りして素早くツイッターに載せてしまうという、まさに彼らしいげに恐ろしい習慣があることを後で知りました。上の写真はその時のものです。ここでしか飲めない美味いワインを飲んだ酒飲みの姿が映っています。

この席でカラーで撮影したこの作品を柏木さんの提案で白黒で仕上げた経緯なども聞き、わたしが「主人公の一人の老漁師のわいちゃんと猫の睨み合いの場面がこの作品の名場面だと思う。わたしには白黒より古い写真のセピア色に見えた」などと話しました。
そこでこの場面をスチールからお借りしてセピア色にしたのが最初の写真です。
(いつものように写真はクリックして拡大してご覧ください)

その後になって思い出したのは、この映画の撮影制作の頃であろう、2016年の秋にわたしも訪日しており、その際、山口県の日本海側の長門の農村に友人を訪ねたことです。
そこで、その時にわたしが撮影した写真などを『港町』によせて 「セピア色の日本の地方」として紹介します。
ただし、以下はわたしの主観での写真報告であって紹介しました映画『港町』とは内容も主張も全く関係はありませんので、くれぐれも誤解をしないでください。

長門市の油谷湾を望む絶景の農村地帯で自然農法に励む友人宅の近くの棚田では、早いところではすでに稲の刈り入れが終わったばかり、また幾つかの棚田百景とされている海辺の田には刈り入れを待つばかりの光景を見ることができました。
ところが、棚田百景の中には放置されて雑草に覆われた悲惨な姿の棚田もありました。

刈り入れが終わった棚田
刈り入れを待つ海辺の美しい棚田
放置されて荒れ果てた棚田

この地の近くの下関市の日本海側には、弥生時代の前期から中期の土井ヶ浜遺跡があります。友人は親切にここも案内してくださったのですが、ここにはおそらく当時日本列島に稲作をもたらしたに違いない弥生人の約300体が、この地の素晴らしいカルシュームの多い砂に守られたおかげで発見された大きな墓地が人類学ミュージアムとして保存されています。大半が東を頭にして顔を故郷の大陸側の西に向けて埋葬してある非常に貴重な遺跡です。

土井ヶ浜遺跡に保存されている弥生人の墓地

この博物館を見学して、おそらく2000年以上前に彼らがもたらした日本の富の源泉であった稲作文明が、ここにきて衰退を始めていることを思わずにはおれませんでした。日本という国の人口は水田の米の収穫量とともに増減してきたのです。
米食文化は何も鮨文化だけではありません。日本人の腸が欧米人に比べて約2メートルも長いのは、主食の米を消化するためのものです。日本人の胴長は米主食文明の人体的特徴でなのです。ただし 短足となった原因は知りませんが。

長門市に滞在中に古い文化を伝える近所の神社なども幾つか散策しましたが、ある神社の人気のない山道で鋭いシュッ!という独特の音を立てるマムシが出迎えてくれました。幼い頃、泳ぎを覚えた郷里の吉井川の河原で出会って以来のことで、懐かしく思いました。この地方ではハミと呼ばれていることを、知り合った地元の古老が教えてくれました。
ちなみにこの方は、ここの安倍晋三後援会の長老です。選挙の前には安倍氏から律儀に直接「お元気ですか」との電話があるそうです。

出迎えてくれたハミさん

ハミさんと別れて、立派な舗装道路をしばらく行くと、ひとつの人気のない民家に覚えのある顔が見えました。他でもないここを選挙地盤とする安倍晋三氏のポスターです。「地方こそ成長の主役」とのスローガンが読めます。このポスターの先には放置された廃屋が軒を連ねて並んでいました。

この地方、歴代の安倍氏の地盤だけあって道路だけは隅々まで立派です。
ポスターの安倍首相が見つめる廃屋
単線の山陰本線は古い朽ちかけた枕木がまだ多く残っています。

以上、安倍首相の地元の光景をセピア色の写真でルポしましたが、実に見事な「成長の主役」としての地方の姿でありませんか。写真には撮ってはいませんが、街中では若者の姿は皆無で、たまたま残り少なくなった小学校の生徒の姿を見てホッとしたものです。

日本の2000年の富の源泉である稲作を、地元ですら疲弊に任せる政治家が保守を名乗ること資格はなどないはずです。すなわち安倍政権はすっかりセピア色の過去なのです。

この彼の欠陥をかろうじて補っているのが、趣味であれ稲作をする昭恵夫人であるかもしれません。すなわち昭恵夫人は無自覚のうちにも、稲刈りをして夫の欠陥を補填しているようです。であるがために稲作文明「瑞穂の国記念小学校」に感激の涙を流して、名誉校長にもなったのが彼女の本心ではないのかと思えます。
ありえないことですが森友事件で彼女の国会の証人喚問がもしも実現すれば、昭恵夫人はこのような心情を吐露するかもしれないと思います。そうなればわたしも彼女の味方になります。すなわち似非保守である安倍晋三政権はすでに本質的に終わっているのです。

さて本日、福島県双葉郡富岡町からは今年も夜の森などの桜情報が伝えられています。
今年もこの期間だけ夜間もライトアップされ、地元の人々が失った故郷の美しさを回顧されているようです。人気のない美しい満開の桜並木は原子力災害の無残な姿です。
富岡町町役場のホームページから桜の開花の写真を拝借してセピアにしてみました。

富岡町の満開の桜並木 2018-4-5

これは先月の富岡町の夜も森公園の空間放射線量です。原発事故から7年経た現在、かなり線量は低下していますが、しかし今だに事故前の10倍ほどはあるでしょう。セシウムの半減期は30年ですから、正常値に戻るにはこれから数世代かかるでしょう。

初出:梶村太一郎の「明日うらしま」2018.04.07より許可を得て転載

http://tkajimura.blogspot.jp/2018/04/blog-post.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion7544:180408〕