セルビアの世論調査に見る「美しき過去への夢」

ポリティカ紙(11月15日)の「意見」欄に社会学者スレチコ・ミハイロヴィチの小論「美しき過去への夢」が載っていた。社会主義の時代45年(チトー)、民族主義の時代10年(ミロシェヴィチ1990年代)、そして民主主義の時代10年(ジンジチ、コシトゥニツァ、タディチ、21世紀最初の10年)に関するセルビア社会の世論調査である。

どの時代がこの国にとって最良であったか。

―社会主義の時代を最良とする者は5人のうち4人、民族主義の時代は17人に1人、民主主義の時代は10人に1人。

経済、生活水準、政治制度、政治的自由の4次元別にみるとどうか。

―社会主義時代は政治的自由以外の3次元すべてに関して最善。民主主義の時代は政治的自由の次元で最良。しかし経済と生活水準の2次元で最悪。民族主義の時代は政治制度と政治的自由の2次元で最悪。総合点をつけると社会主義時代が3.6点、民主主義時代が2.5点、民族主義時代が2.4点となって、社会主義時代が圧倒的に高く評価され、民主主義時代と民族主義時代に差はほとんどない。

スレチコ・ミハイロヴィチは、上記のような世論調査の結果を次のようにまとめる。セルビア市民は、過去の社会主義を夢に見つつ、資本主義に我慢している。自由主義的知識人が、社会主義の時代に正統性なき赤色エリートの貪欲が支配していたのではないかと論証してみたまえ。平均的市民は、今日の政治エリートの非道な盗奪に比べれば取るに足らない、と反論する。ネオリベラルのエコノミストが、あのころは外国からの借金でよい暮らしをしていたにすぎないと実証してみたまえ。平均的セルビア市民は、今は昔よりはるかに借金が多くなっているが、今日そんな生活ができるのは誰か、と反論する。

このような世論調査の結果は、岩田が毎年旧ユーゴスラヴィア諸国を訪問して行う体験的定点観察のそれと完全に合致する。それにしても、ミロシェヴィチの90年代とミロシェヴィチ打倒後の10年間に関する総合評価点が2.4点と2.5点で微差しかないことには驚かされる。ミロシェヴィチの時代は、セルビア外のセルビア人同胞の戦争への軍事的・物質的援助、完全な北米・西欧からの村八分、国連による経済的・政治的・文化的制裁、億兆レベルのインフレーション、反対派の大デモンストレーション、NATOによる連日連夜の78日間大空爆のように、形而下的にマイナス現象ばかりである。それらすべてのマイナスがなくなったのだから、民主主義時代はもっと高く評価されてしかるべきではないかと思われるかもしれない。要するに、急激な資本主義化、つまり階級形成闘争の勝利者とわが世の春を誇る自由主義的知識人に民主主義が奉仕しているから、このような評価になるのであろう。

社会主義の時代の高評価に関して、忘れてはならない一大事実がある。

1990年代初頭、セルビア市民はミハイロヴィチも指摘しているように、ドウシャン帝国(中世セルビア最盛期の王国)を夢見つつ、社会主義に向かって悪口雑言を投げつけながら、社会主義を投げ捨てたことであった。

岩田の見る所、それには理由がある。それはセルビア人に限らず、旧ユーゴスラヴィアの諸民族は、社会主義の時代、民族主義的言動が最大最悪の政治犯罪とされ、そのような心情が社会の表面に全く出せなかったことへの強烈無比の反動であった。そして今日、社会主義を過剰に捨て去った自分たちへの後悔がある。民族主義は扇動してはならないし、抑圧してはならない。それは大切にすべきものであろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/

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