9月24日、矢沢国光氏の主宰する世界資本主義フォーラムの企画電子会議で、指導的なアメリカ研究者が「大国小国の対等性が保証されている国連の精神・理念を大切にすべきだ。」と突然のように語り出した。私=岩田が「日本人の思想的関心は思想家個人のいだく哲学や理念の諸相に向かいすぎて、民族や国家、あるいは社会機構の有する哲学・理念・精神の諸相にはあまり目が向かない。」と一言したのを受けてのことだった。たしかに、国際連合と言う機構の精神・哲学・理念が、例えば数百回続いた合澤氏の主宰する現代史研究会で主題となって討論されたことがあったろうか、と私も思う。
そんな河村教授の指摘があった頃、第78回国連総会の一般討論が終わりつつあった。たしか、大国日本の岸田首相も一般討論で演説していたはずだ。しかしながら、私=岩田は、大国首相の国連演説に関心がない。国連の場においてのみ大国との対等性が保証されている小国の首相が行う演説の方に気持ちが向かう。
1999年3月24日から6月10日まで78日間、連日連夜のNATO(米英独仏等による)大空爆によって、領土の15%コソヴォ自治州が奪いとられたセルビア共和国の大統領アレクサンダル・ヴゥチチが、第78回国連総会一般演説で何を訴えたか。
セルビア共和国の首都ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2023年9月23日)第1面、第4面、第5面の共通大見出しは、「アレクサンダル・ヴゥチチの国連総会演説 国連憲章尊重は選択に非ず義務」である。
以下にヴゥチチ大統領の演説から肝腎な個所を紹介しよう。
――私は、領土一体性尊重と人権に関するアメリカ大統領の演説を支持した。しかしながら、殆どすべての西側諸国は、国連憲章と決議1244(NATO—セルビア戦争終結に関する1999年6月10日安保理決議:岩田)を侵害。安保理決議なしに主権国家(セルビアとモンテネグロから成る新ユーゴスラヴィア:岩田)が攻撃され、2008年にはセルビアの一部の分離が非合法に決定された。セルビア侵略を行った諸国すべてが今日ウクライナの領土一体性を強調している。我国はウクライナの領土一体性を支持する。我国にとってあらゆる暴力は同じだ。現代世界において、原理原則が万国万人に妥当するか、それとも我々がばらばらになり、衝突し合うか、である。平和は禁句となった。――(強調は岩田)
――世界史において記録になかったこと、始めて、最強19個国が国連安保理の関与なしに、繰り返すが、安保理のいかなる決議もなしに、ヨーロッパの一主権国家を残酷に攻撃し罰する決定を下した。彼らは、人道的破局を阻止するためと称した。ロシア大統領がウクライナ攻撃を正当化するに同じ言辞を用いた時、彼等は高笑いしなかった。彼等は自分自身が同じ語法、同じ言辞、同じ説明を用いた事を忘れ去っていた。―――(強調は岩田)
――何よりも悪いことは、セルビアに対して侵略した国々すべてがウクライナの領土一体性を説教し、セルビアがウクライナの領土一体性を支持していないかの如く語っている事だ。支持しているし、支持しつづけるだろう。何故ならば、セルビアは、ロシア連邦との数世紀にわたる伝統的友好にもかかわらず、自分達の原則と政策を変えていないからである。――
――国連憲章の尊重は選択に非ずして、義務である。セルビアは、最初からウクライナを含む全国連加盟諸国の領土一体性尊重を訴えている。――
セルビア大統領ヴゥチチは、9月19日以来国連総会に出席していた。19日、セルビアは対露制裁一年延長に賛成しなかった。『ポリティカ』(2023年9月20日)によると、ヴゥチチは以下のように記者に語っていた。要点のみ。
――北米西欧の代表者たちは、機会ある毎に対露制裁の必要性を私に説教する。注意深く拝聴するが、その件は、つまり制裁に参加するか否かは、自分達で決める事だと断言して来た。数世紀にわたる兄弟国への制裁に参加しない。自分は、国連総会に何回となく出席しており、この点でベテランと言ってよいが、アメリカ大統領の演説より、今回のようにブラジル大統領の演説の方に、他国の代表者の演説の方に多くの拍手があったのは、私の知る限り始めての事だ。バイデン大統領は、基本的人権の尊重より先に諸国家の領土一体性と主権の尊重を、国連憲章の大切さを説いた。私が支持する所だ。また、このホールより数メートル離れた所で、ベルボク女史(ドイツ外相:岩田)がドイツは常に国連憲章と国連文書を守っていると語っていた。これは、二重基準、二重人格だ。二人は有効な国連決議1244を含む国連文書・憲章を無視している。私は、国連総会における演説でこの事実をきちんと全世界に語り告げるだろう。――
河村教授の一言に教えられて、小国大統領の国連演説を一読して、分かった事がある。
年に一回の国連総会は、柳田民俗学に言うハレとケのハレなのである。世界村(ムラ)・グローバル町(マチ)のハレの日である。ハレは非日常、そしてケは日常である。ハレの場においては、日常生活の、つまりケの衣食住、人間関係、立ち居振る舞ひ、そして言葉遣いとは画然と区別される。そこには無礼講、すなわち地位や身分の上下を取り払い楽しむ趣旨の宴会を内包するが、それ以上に一種の短期だが、年々周期的に繰り返される秩序であり、制度である。この論脈でケガレ、すなわちケ=日常生活が順調に行われない異常事態も亦発生する。最悪最凶のケガレこそ戦争である。ケが生命と物質の再生産とすれば、ケガレは生命と物質の破壊である。
ハレがケの再生産の必要条件だとすれば、ケガレを納め清めるには、ハレの強化すなわちハレバレが必要であろう。すなわち、国連改革である。岩田が強調した個所がケガレを表現している。
令和5年10月9日(月)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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