セルビア民衆の対独賠償請求

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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今年の9月25日、「ちきゅう座」「評論・紹介・意見」欄に「事実を照明する抽象を求む―・・・、ドイツの賠償拒否」なる小文を書いた。そこでギリシャのツィプラス首相が第二次大戦中の戦争被害に対してドイツに3000億ユーロの賠償を求めている事実を紹介した。

セルビアの日刊紙『ポリティカ』(2016年10月29日)に「戦争賠償を1998年の為替レートで請求する」なる記事が載っていた。

第二次大戦中のドイツのラーゲリにおける強制労働体験者、反ファシズム戦士、戦争犠牲者、そして彼らの子孫たちからなる愛国者組織・民間団体の19団体の代表者たちがセルビア中部のクラグイェヴァツ市で10月21日第二次大戦市民犠牲者記念日に共同綱領を発表した。それによると、ドイツとその同盟諸国(イタリー、ブルガリア、ハンガリー)は、彼らが大戦中にセルビアに与えた被害・損害・犠牲に対して、1998年為替レートで3351億3121万3582ドルを支払う義務があるとする。三分の一は現金で、三分の一は消費財で、三分の一はセルビア国内ドイツ企業の株式で。かつてチトー・ユーゴスラヴィア大統領とブラント・ドイツ首相がこの問題について行った会談に言及して、反ファシズム諸団体の代表者たちは、セルビア政府にドイツ政府との交渉を再開するように要請する。

戦争被害額の最初の評価は、ユーゴスラヴィア連邦人民共和国政府が1946年に算定している。それは同年のパリ講和会議で採択された。1938年レートで469億ドルである。半世紀後、全ユーゴスラヴィアの総被害の75%がセルビア領内に該当すると再評価された。今日まで、ドイツは、最初の算定額の1プロミル、即ち千分の一を支払っただけである。

反ファシズム・愛国者諸団体の代表者たちは、2003年にドイツ大使とこの問題について話し合った。

セルビア財務省は、被害の新しい算定をきちんと行うことができるはずだ。そしてセルビア政府は、この問題に取り組む権限がある。ドイツが賠償金額に異議ある場合、先ず第一に、パリ国際商業会議所の仲裁に委ねる。

ドイツが交渉に応じない場合、ハーグ国際司法裁判所に訴える。

以上の様な趣旨の要望書をセルビア大統領二コリチと首相ヴゥチチに提出。

大統領顧問から返書があり。「憲法上、法律上、大統領にこの問題の権限はない。」

しかし、元戦士の問題や社会問題を管轄する労働省に要望書を送付し、権限に従って要望書を検討するように伝えたと言う。

首相からの返事はないようだ。

ギリシャのツィプラス首相の場合、債務危機の文脈で対独賠償問題が提起されていた。私=岩田が思うに、セルビアの場合、旧私有財産返還Restitution問題の文脈が現在効いているのではないか。チトー共産党(共産主義者同盟)による社会主義化の時代、私有財産(土地、建物、耕地、森林、工場、商店等)が全面的に国有化、後に社会有化された。私的所有者から奪われた。

国有化=社会有化を否定して、全面的に私有財産制を復活することが今日の至上命題である。先ず第一に、旧所有者および旧所有者の正統な相続者に旧私有財産を現物で、それが不可能なケースでは金銭の形で返還する。これはEU加盟の前提条件である。旧所有者がセルビア人であれ、ドイツ人であれ、イタリア人であれ、共産主義によって不当に失わされた私有財産は、正当な元所有者に戻らねばならない。セルビア政府は、自己の任務としてこの返還作業を実行している。

1940年代後半から50年代に共産党政権によって奪われた財産の返還・補償が可能であるのに、1940年代ドイツ軍に壊された財産や殺された人命の補償が不可能であるのは、正義に反する。こんな表に出ない社会心理が働いていても不思議はなかろう。

第二次大戦の戦争責任問題は、深刻多面的である。誠実なドイツと不誠実な日本なるレベルの思想では包みきれない。

平成28年11月7日(月)            岩田昌征

 

ここで、クラグイェヴァツについて一言、セルビア中部のこの地域で、ドイツ占領軍は、「抵抗組織がドイツ軍人一人を殺害した場合、報復として100人のセルビア人を殺す、負傷させた場合、50人を殺す。」と布告していた。1941年10月21日、7000~8000人のセルビア人が一挙に銃殺されたと言われる。確認された殺害された者の人数は、2796人である。シンボリックな事件として、クラグイェヴァツのギムナジウム(高校)から300人の生徒が連れ出され、全員が銃殺された。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6348:161110〕