ゾルゲ事件尾崎秀実逮捕即日自供の歴史的含蓄――10月14日は12月8日に直通するか――

 忘れないうちに書いておこう。昨日、令和元年・2019年6月8日(土)、神田の専修大学で開かれた現代史研究会「ゾルゲ事件・太田耐造関係文書」における私=岩田のコメンテーター孫崎享氏に対する質問のことである。

 孫崎氏は、ゾルゲ・グループはスパイ活動としてドイツの対ソ戦開始や日本の北進対ソ戦開始可能性に関しても世間で言われているような決定的情報をつかんでいたわけではなく、過大評価されており、日本の国益に死活の実害を与えておらず、とても死刑に処するに値する犯罪を犯してはいない、と見る。それでは何故に、これほどの大スパイ事件にされたのか。戦前に関しては、対米戦を志向する東条英機等が対米戦回避を志向する近衛首相等を権力から追い払う道具として有効に使われたからである。戦後に関しては、米ソ冷戦の初期にソ連による間接侵略を日本社会に説得するアメリカによる心理戦の道具として使われたからである。
渡部富哉氏の主張、尾崎秀実の逮捕が通説のように昭和16年・1941年10月15日ではなく、その前日の14日であったとする主張は、孫崎氏の近衛内閣瓦壊説にとって決定的に重要となる。
 史実として近衛文麿は10月15日に首相辞任の意思を周辺の人々に伝えている。従って、10月15日に尾崎秀実が逮捕されて、即日にソ連のスパイであった事を自白したとしても、近衛首相辞任の動機とはなりえない。それでは、10月12日の荻外荘五相会議では日米開戦に最後まで反対していた近衛が開戦派有利になる新内閣が成立するかも知れないのに、15日に辞任の意志を示さざるを得ない事態に至ったのは何故か。この3日間に何が起こったのか。
 孫崎氏は、かかる政治戦のコンテキストに10月14日の尾崎逮捕と即日自供を据える。東条等開戦派が近衛首相の政策頭脳がソ連のスパイだと自供した事を首相に突き付ければ、首相は辞任せざるを得ない。憲兵・特高・検察からの情報で近衛側近の尾崎の動静をつかんでいた東条等開戦派は、10月14日に尾崎逮捕に踏み切り、即日自供を引き出し、その当日に近衛首相に辞意を固めさせ、15日に周辺の人々に辞意を示させ、16日に内閣総辞職を実現した。
 このような孫崎氏の歴史の深読みは、まことに理にかなった所がある。しかしながら、この説には一つの弱点がある。尾崎が即日自供する事が事前にどれほど確実なこととして東条等開戦派に予想されていたかである。尾崎が2日ねばる、3日ねばる、・・・・・・、その間に近衛文麿首相の側も色々と対策が打てる。尾崎釈放の手さえうてたであろう。尾崎自身の告白がないまま、逮捕の事実だけを突きつけても、近衛首相派によって職権乱用・首相脅迫であると反撃されてしまい、かえって東条等開戦派が一敗地にまみれることになったかも知れない。
 この点で参考になる証言が渡部富哉報告レジュメにいくつかある。そのうちの一つ警部高橋与助の所で、「ゾルゲの配下にあった外国人の逮捕までに至らなかった。従って自供させねばならなかった。このため高橋は宮下係長と共に、激しい訊問を行った。追求が矢継ぎ早に行われた。犯人は気絶しそうになった。彼が正常な状態に戻ると、刑罰を加えることなく、訊問が続いた。」(2/6)かくして即日自供に至る。
 もう一つ参考になる文章がある。孫崎享著『日米開戦へのスパイ〔東条英機とゾルゲ事件〕』(祥伝社、81-2ページ)に「昭和15年6月以降警視庁に於いて検挙に着手せる日本共産党再建準備委員会事件の首魁、治安維持法違反被疑者伊藤律(当時29歳、満鉄東京支社調査部)は(中略)、検挙後数ヶ月に亘るも犯行を自供せず取調困難を極めたるも警視庁の峻烈にして一方温情ある取調に対し遂に翻然転向を決意し漸次その犯行を自供するに到れり。」とある。(強調は岩田)
 更にもう一つの文章を示そう。中村武彦著『維新は幻か わが残夢猶迷録』(いれぶん出版、61-2ページ)。「最も忘れがたいのは、私が入って来る前から入っていた美しい二十四、五の女性で、共産党のシンパ。上流家庭の令嬢で名前も住所も分かっているのだが、本人が白状しないので、『両国ケイ子』と呼ばれていた。もう拷問に疲れ果てて目の色が変わっていたが、私が入って三日目の夜中に発狂して、わけの分からぬことを絶叫しながら、角格子を蹴る足が血みどろになり、凄絶な光景であった。病院に連れて行かれた後の消息は聞けなかったが、共産革命に賭けた情熱の激しさに頭が下がり、見事な女性として涙のこぼれる感銘を受けた。」(強調は岩田)
 尾崎のケース。特高はゾルゲ等が出国する時間を与えないように「検挙したら即時自白」、「遮二無二その日の内に自白」(渡部レジュメ1/6)を追求する。尾崎はゾルゲを逃がす為に、また孫崎説に従うならば、東条等開戦派に避戦派近衛内閣を打倒する口実を与えない為に抵抗するはずである。謎は即日自白にある。東条派側にその事前的確信がなければ、孫崎氏の描く形のゾルゲ事件は起こり得ない。近衛内閣打倒問題とは一応別個に起こったゾルゲ事件が大々的に政治利用されたと言う常識的イメージを十分に消去するには、即日自供の問題が解明される必要があろう。14日逮捕を事実と見るにしても。

 最後に中村著(180-1ページ)からゾルゲ事件関連エピソードを紹介しておこう。

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 獄中のスパイたち

 ゾルゲとともにスターリンのスパイを務めた尾崎秀実と擦れ違ったのはその頃であった。理髪室に行った時、入れ違いに出て来てぶつかりそうになり、お互いに「失礼」と会釈して別れた男の、体格のよい後姿をさして、看守がそっと「あれがスパイの尾崎だよ」と教えてくれた。編笠をかぶる前の顔をちらと見ただけだったので、よく見ておけばよかったと思ってももう遅い。私と同じ棟にいるらしいけれども、それきり擦れ違う機会もなかった。死刑の様子を聞いたのは、ずっと後である。
 その一味の共犯ブーケリッチにはしばしば筆記室などで一緒になった。日本語がうまく、「武家利一」と署名した手紙をよく妻か愛人に書き送っていたが、陽気で愛嬌のある禿頭で、スパイという暗い感じは全くなかった。絶対に許せない連中であるが、何のためにせよ、スパイと罵られ死刑をもって脅かされても、たじろがないその姿勢には一目置かずにおれなかった。
 それに関連して忘れられないのはレッドマンである。英国大使館の館員であるが、そのスパイ活動、謀略活動に日本の警察も憲兵も手が出せぬのはどうしたことだと痛憤久しかったから、開戦となると逸早く本国へ還ってしまったと聞いて地団駄踏む思いであった。後日のことになるが、私どもの平沼裁判が開始されてから、レッドマン関係の事実を究明するため、出国前の彼を一応取り調べたという担当の憲兵中尉某を証人として喚問してもらったが、取り調べの内容は公表を許されていないといって要領を得ず、石田裁判長から叱られる場面もあったが、米英やソ連の諜報謀略活動の底知れぬ深さを痛感させられた。(強調は岩田)
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 ここに強調した所が示すように、日本独立国家は、元来、ソ連だけでなく、米英の対日諜報謀略活動にも等しく脅威を感じていた。ところが、現代日本市民社会の研究者は、ソ連の対日謀略の史実を深く掘り下げるが、米英の対日諜報の史実には殆ど無関心である。孫崎氏は、ゾルゲ事件を素材にして、日本市民社会の独立性忘失を照明したかったのであろう。

令和元年・2019年6月9日(日)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/ 
〔opinion8720:190613〕