『ポリティカ』紙(セルビア共和国ベオグラード発行の日刊紙)にこのところチトー大統領の名前が肯定的に言及される。大政治問題の文脈ではなく、一般民衆の“反”or“厭”資本主義の問題に関連してである。
一例を紹介したい。 『ポリティカ』紙2013年3月24日の記事「医者のかわりに神様」である。
セルビア内陸の町チャチャクの製紙工場の広場に40人の労働者達が集まってロウソクに火をともして、おいのりをしている。死者をとむらっているのではない。生者のためなのだ。すなわち、病気になった同僚の回復や自分たちの健康を願っているのだ。
チャチャク製紙工場は、1930年に創建され、第2次世界大戦中もNATO攻撃の時期も生産し続けた。しかしながら、この工場もまた2007年に民営化された。資本家的経営の結末は、2011年3月23日の操業停止である。債務不払の故に電気が止められたからである。労働者達には2011年4月17日に賃金の半額が支給されたが、これが最後の給料となった。健康保険も切れた。こうしてロウソクをともして、神頼みとなる。
しかしながら、それだけではない。労働者たちはヨシプ・ブロズ・チトーの巨大肖像を持ち出してきた。それはかつて製紙工場の労働者評議会のホールにかかげられていが、はずされた後もどこかに保管されていたのだ。チトーの肖像画のかたわらに、立て看をたて、労働者たちは「独裁者は私達のことを考えてくれた。しかしあなた方は???」と書いている。労働組合議長のトリプコヴィチは、「そう呼ばれていた。だけど、彼は私達を心配してくれていた。彼の時代(~1980年まで:岩田)、賃金がもらえない労働者なんていなかったのだ。私達の工場が経営困難に陥ったとなれば、チャチャクのほかの諸工場が収入の一部をさいて、私達の賃金分を出してくれたであろう」と語る。
40人の中チトー時代から働いていた機械工(60歳)がいる。今日、彼の年金は保証されない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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