テント出現の意味

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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霞ヶ関経産省の一角、同省管理の未利用国有地に正清、渕上両氏を含む一群の人々が脱原発テントを打ち建てた。現在、その土地を明け渡すよう訴訟が両氏に国によって提訴されている。不法占有、不法占拠と言うことであるらしい。

この事件は、私達に次のことを考えさせる。現代のような民主主義的法治国においてさえ、自己原因が一切なくして、最大級の不幸・不運に陥った数十万民衆が自分達の止むに止まれぬ気持・心情をその不幸・不運の経営責任・行政責任があると思われる巨大企業や強力官庁に心底から全身全霊で訴えかける事の出来る場は、合法性、順法性、適法性を100%、つまり杓子定規に守っていては、日本国中どこにもない、という不条理である。テントの出現は、「ほんのちょっぴり」法に触れる覚悟さえあれば、そんな眞論の場が可能となることを示したわけである。

この「ほんのちょっぴり」と言う所に明治維新以来の日本近代化の成果が見られる。江戸時代であれば、自己原因一切なしの不幸・不運にもはや我慢できない民百姓の声は、将軍や大老への直訴と言う「最大級」の不法行為となる。例えば、佐倉宗五郎の将軍直訴。佐倉の百姓達は宗五郎の行為を義挙とみなし、彼を義民と見なし、霊廟をつくり、彼の御霊をまつった。また明治期の田中正造による明治天皇への直訴もある。正清・渕上両氏等の行為は、両氏等が頭の中に有しておられる思想がヨーロッパ由来のものであったとしても、日本民衆抵抗史の地下水脈に通じるものであろう。だからこそ、福島の女性達は、テント出現の噂を耳にし、ただちに霞ヶ関に駆けつけ、女達のテントを打ち建てることになったのであろう。時代の進歩は、宗五郎のはりつけ、正造の悲劇にくらべれば、両氏等に対する国家権力の対応が損害賠償金1100万円の支払と言う形になっている所にあるのでしょう。

しかしながら、私は、ここで時代の進歩よりも、時代を通しての非進歩性に注目したい。どの時代においてもその時代の法律の範囲に完全におさまっていては民衆の真実の思いが為政者の心にとどかないことがある、と言う事実だ。

それでは、自己に正義・真実があると確信すれば、すべての脱法行為を正当であるとして良いのか。かつて、1999年3月に先進市民社会諸国の軍事組織NATOがセルビアに大空爆をしかけたとき、哲学者ハーバーマスは、セルビアの非人道性を現行国際法の枠組内で制裁できない場合、先進市民社会は、自分達の理念にもとづいて制裁行動することが許される、と主張し、大空爆を肯定した。国内法と国際法の違いがあり、数百日のテントと78日間連続空爆という大差があるとはいえ、正清・渕上両氏等とハーバーマスは相似の理論に従っているかもしれない。大空爆当時、大多数の日本言論人は、NATO脱法空爆を肯定した。しかし、私は反対した。非人道性と言う一語にくくられる事実認識に誤謬ありと考えていたこともあるが、かのソクラテスの「悪法も法なり」と毒杯を飲みほした姿にも感動する所があったからだ。

とすると、現在のテント訴訟裁判をどう考えるべきか。私が完全な第三者ならば、なかなか判断を下しがたい。しかしながら、幸か不幸か、私には語の常識的な意味であの土地の「占有者」、「占拠者」であった時間がたしかに存在した。女達のテントで開催された研究会に3回ほど出席していた。正清・渕上両氏のみに「占有」と「占拠」の「不法性」が押し付けられるのを許容するのは、ソクラテスに感動した心に反するだろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1297:130511〕