テント広場裁判とハーグ旧ユーゴ戦犯法廷

著者: 岩田昌征 いわた・まさゆき : 千葉大学名誉教授
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『朝日新聞』(7月23日、14版、37面)、経産省前テント広場裁判で「国が被告間違え証拠提出か」の記事に国が提出した証拠写真3枚のいずれにおいても被告の一人が別人だった、とある。

早速「ちきゅう座」を開いてみると、「時代をみる」欄に「経産省前テント裁判の爆笑法廷」(7月23日)があり、添付されているYoutube に、被告正清氏とその写真が正清氏とされた別人A氏が登場していた。共に白髪、人相も似た目つき、鼻つきであるが、よく見るまでもなく、全くの別人である。体格はまるでちがう。こんな事が国権による調査で起り得たのだ。意図的でないだけに空恐ろしい。

弁護団によって裁判長の前で即席の首実験が行われ、裁判長も納得したようである。

かかる誤謬が民事ではなく、刑事であったらどうだったのであろうか。検察側は即席の首実験の実行を許容したであろうか。そしてまた日本の裁判所ではなく、国際裁判所ではどうなったのであろうか。

私は、今年の6月中旬から下旬にかけて、バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴヴィナ(BiH)のセルビア人共和国を旅した。6月20日(木)セルビア人共和国首都パニャルカにあるボスニア・セルビア人空手家、和道会空手、神道揚心流柔術のSensei を名乗る人物の家にいた。彼の妻、息子2人(長男も空手家であり、別の町に住んでいた)、そして彼の借家人のボスニア・セルビア人の母と娘とコーヒーを飲みながら歓談するうちに、話題はおのずと、1990年代前半のボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦争に向かって行った。私は持参した多谷千香子著『「民族浄化」を裁く──旧ユーゴ戦犯法廷の現場から──』(岩波書店、2005年)を示して、「ここにこう書いてあるが、どう思うか」と質問していた。例えば、114頁に「『民族浄化』の現場、ヴラシッチ山」の写真があり、セルビア人がムスリム人約200人を惨殺した現場であると、説明されている。

「これは事実か?」「本当に本当だ。私もセルビア人軍の兵士として転戦した。セルビア人の中にも悪い奴が居て、こんな残虐をやった。」と素直に認める。「しかし、その数字は誇張されている。そんな大きな数だとは聞いていない。」「その場所は、コリチャンスケ・ステネ(コリチャン絶壁)と呼ばれている。第二次大戦中、ウスタシ(クロアチア民族主義過激派)と協力者のムスリム人によってセルビア人が虐殺された所だ。」と附言した。

私はそれを聞いて、現場に出かけた日本人裁判官多谷女史の「『民族浄化』に血道をあげていたとはいえ、よくこんな所にまで連れてきたものだとも思った。」(114頁)という不審への解答を見た気がした。

借家人である娘が言った。「私達は難民なのです。1992年にブゴイノで肉親3人がクロアチア人によって殺されて、私と母はセルビアまで逃げて、戦争が終わって、ボスニアに戻って来たのです。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦(ボシニャク・ムスリム人とボスニア・クロアチア人の国)のブゴイノに帰れないので、ここに住んでいるのです。おじさん達3人を殺したのは、私達と仲良くしていた、私のKum (名付け親)だったクロアチア人でした。……」

日本人裁判官の筆で日本人の読者に、ドゥシコ・タディチ、彼の弟は、ハーグ戦犯第1号であり、オマルスカ強制収容所の特別取調官をしていた人物であり、収容者の一人に他の二人の収容者の睾丸を噛み切って殺させた人物、収容者の取り扱いについて事実上のフリーハンドを与えられていた人物である、という様に描写されている。それを告げると、空手家や彼の妻はあっけらかんと何の屈託もなく、言い切る。「弟にそんなことが出来たはずがない。オマルスカにいたことはなかった。あんな事件があった当時、弟はこの家にいたのだ。問題にならない。」そう言って、空手の先生は奥に入って、二枚の写真を持って来た。彼らが真犯人であると確信しているドゥシコ・タディチに似ている男、戦争中オマルスカ収容所の近く、マリチカ村に住んでいた男Z(本名を知っているが、岩田としては伝聞だけで、証拠もなく、実名を出すわけにはいかない。)である。確かに良く似ている。それにオマルスカから50キロ離れたパニャルカにいたと兄が証言するドゥシコよりも、数百メートルの所に住んでいたZの方が事件に関与した可能性は高いだろう。

経産省が目と鼻の先のテント広場にいたある程度似た日本男性二人を弁別出来なかったと言う事実を知ると、オランダ・ハーグ法廷の検察局が千余キロ離れた所にいた二人の酷似したセルビア人を区別できなかった事は十分に起り得る。また、Zの写真を無視したハーグの国際弁護団に比較して、日本国内の日本人弁護団ははるかに法の精神に誠実なのであろう。国内の裁判では神は細部に宿り給ふ。国際の裁判では大局に宿り給ふ。という次第であろう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1376:130723〕