テント日誌 5/23日経産前省テント広場―256日目原発ゼロ18日目 ─持久戦に入ったテントの日々の中で

昨日は一日雨に降りこめられていた。風情としては嫌いではないといってもやっぱり鬱陶しい。今日は晴れていて風が肌にここちよい。テント前の椅子に座って眺めていると、緑に包まれて先に頭だけ出した国会議事堂も見える。案外と緑の多い霞ヶ関のほんの向こうが永田町であり国会があるのだ。となりに座わっている人がビラをくれた。共謀罪や国家秘密保護法、また暴力団対策法改訂などのものである。国会で審議されているものとしては消費増税が主たるものであって、これらについてはあまり伝わってこない。共謀罪については野田首相が5月の創設と国際公約をしているのだが、審議はどうなっている(?)のだろうか。暴力団対策法案改訂の動きは(?)「治安法案」がラッシュ―のような状況にあるのだが、人々の関心はどうなっているのか。

ここの霞ヶ関から国会は目と鼻の先であるが、ここから見ていても国会は遠い距離にある。以前に、国会前に座り込みをしていた時は、道を一つ挟んだだけなのに距離の遠さを感じていた。これは空間的な距離ではない。国会で展開されている政治(国会意志の決定をめぐる行為)が、僕らの政治的意志とあまりにもかけ離れているということだ。意識の遠さなのだ。この霞が関にテントひろばを作りながら、僕らが意識(自覚)してきたのもこのことだった。この乖離を埋め、遠さを解消することは可能か。政治的な課題の議論が接近を可能にするか、という問いかけを発しそれを模索してきた。原発再稼働問題は政府が国家意志の名において簡単に意志決定することを許さない、ということであったし、それに反対する国民の意志を無視できない状況を作り出した。今後のことはともかく、一つの局面としてそれを生みだした。そうであれば、国会の中で動いている他の法案をめぐる問題ではどうなのだろうか。ビラを読みながらそんなことを考えた。

再稼働をめぐるさしあたっての焦点の一つは福井や関西圏にある。そこに移りつつある。これについてはおおい町の「住民説明会」(5月26日開催)や6月16日か17日かの福井集会として伝えられている。福井現地の動きを全国的に包む形での展開が重要になる。他方で、このテントひろばはある種の持久戦に入る。テント前ひろばは存続すること自身で一つの役割を持つがこれは結構大変なことだとも思う。一見すると穏やかで、淡々として過ぎゆく日々の中で、持久戦的な闘いをすることには意識的な力を必要とする。テントに多くの力が参入すること、それでテントは活力を得るし支えられもする。しかし、持久戦はそれらだけに頼れない。テントに加わり保持する人が自己問答をし、国家意志と国民意志の乖離を埋める事を自分(想像力)の中で模索することが必要である。僕らの日々の行動をこの側面から支えることにほかならないが、これが現在の政治的行為とも言えるし、その難しさだとも言える。禅問答のようなことをして座っていた一日だった。(M/O)