テント日誌 4月3日(水)
経産省前テントひろば 571日目 春の嵐に襲われるのは何度目だろうか
風で捲れたテントの隙間から雨が降りかかってきて目が覚めた。女の涙で顔が濡れて目が覚めたなんていうのなら格好はいいのだろうがこれじゃ、とぼやいて起きたらもう早朝起きの面々は風で壊されたテントの飾りなどを片づけていた。御苦労なことで慌てて加わろうとするが、あまり役立ちそうにないのでテント内の片づけをする。愛の嵐ならぬ春の嵐というけれどまったく厄介である。「テントいじめるには刃物はいあらぬ、強(狂)風があればいい」ということなのだろうか。テントの住人たちはいつもテントが風で浮き上がらないかひやひやである。風の通り道と言う意味ではテントのある一角は少し外れているのが幸いしてはいるのだけれど…、でも、いつも強風が悩みであることは変わらない。そう言えば、テントの中の遺影でほほ笑んでいる吉岡さんとは風ではいつもヤキモキをしたものだった。
「3・11」の2周年も過ぎ、原発問題も「時の風化」というか、ある種の拡散現象にあることがあちらこちらで語られるようになっている。これについては前回の日誌で触れたので言及しないが、脱原発の運動は時間もかかるし、持久力をためささられるところもあるから、じっくり腰を落ち着けて向かえばいいのである。人間の対象への関係は振幅の激しい感情からはじまるがやがては中性的なものになって行く。これは対象への関心が薄らいだように見えるが、中性化することで持続の形態を変えているだけである。原発離れではなく、原溌への関心とその持続のし方が変わってきているだけである。官邸前抗議行動にしても、そこから人々の足が遠ざかったように見えても、これは背を向けたということではない。遠ざかっているように見える人も何かの契機があればまた戻ってくるし、一度でも参加した人は関心を持続させている。簡単にそれは消えたりはしない。ある意味では場は広がっているのである。こういう機会にこそ、自分の中の原発についての認識や理解力を検討し深めて行けばいいのである。こちらの方がつらいが脱原発運動の本筋なのである。原発問題を深いところに掘り下げて認識して行けるかどうかであって、それは個々の孤独な営みでとでもいうべき行為にかかっているのであり、そういう局面に我々の運動はあるのだ。
テントは目下のところ経産省や政府側からテント撤去の裁判を起こされる前段にある。3月14日に裁判所から出されたテント占有している状態の譲渡の禁止という仮処分はそこに位置づけられる。我々のこれへの対応は明瞭である。我々は経産省の管理する国有地の使用要求をしてきたけれどもこれを含めて法的に対応するということがその一つである。向こう側の法的対応には法的対応で対抗するということである。しかし、我々はテントの立て保持していることの政治的意義をより一段と明瞭にして闘う。これはもう一つの側面であるが、我々にはテント保持の目的そのものであるのであり、これをあらためて確認したいと思う。テントの中では自然にこうした討論になる。雨に降り込めながらの深夜の当番で考えているのもこのことである。
私の考えてきたことはこうである。これには大きくは二つの面がある。一つは脱原発というか、再稼働反対というか政治的な主張が一つある。この国民的利害に関わる主張についてはテントひろばという場を結成している理由として語られてきてもいるのでこれ以上はいわない。ちょっと例として触れれば、かつて私が学生のころに国会構内の占拠をめざす行為に参加したことがある。1960年の安保闘争の6月15日の国会構内占拠である。これは安保条約に反対するという政治目的を掲げてやったのであるが、この政治目的に当たるものが現在では脱原発の要求であり再稼働阻止である。ただ、この時に国会構内占拠はもう一つの目的があった。これは国民の意思を無視した国家意思の発動への抗議であり、異議申し立てである。
1960年の5月20日に当時の岸内閣は安保条約を通すために国会内に警察官を導入して反対派を排除して強行採決した。これは国会法としては合法であったかも知れないが、国会《立法府》そのものを成立させている法的精神《憲法精神》から見れば違法であり、その意味で民主主義に反するものだった。国会は国民の意思に基づいてできており、国会議員はその代表にすぎないのであり、彼らは国民の意思としての法にのっとった行為を要求されていたのだ。岸内閣の暴挙は国民の意思に対立した行為であり、その意味で反民主主義であった。デモ鎮圧に自衛隊を使うというのもこの延長上にあった。国会が本来国民の意思に基づくものなら、国民の意思表示を学生たちが国会構内占拠と言う形で実現するのは国会法に反しても法《憲法精神》からみれば合法的なことであり、当然の行為であった。それは国会と言う立法機関を生みだす行為に当たるものであったのだ。1960年の6月15日の学生たちの国会構内占拠は法《憲法》的精神から見れば当たり前のことであり、国会が国民の意思の上にあること、その実現に向かう行為であり民主主義の実現だったのだ。岸内閣の5・19は国会法では合法だが、法《憲法》的精神からは違法だった。逆に学生たちの行為は国会法に反しても法的精神からは合法であり,正当だった。国家的な、国民的な行為が何に基づくべきかで重要なことを示唆していたのである。条約を誰がどのように決定するのかという根本問題に立てば、岸内閣の不当性と学生たちの行為の正当性は明確だった。しかし、歴史の中ではこうした考えは抹殺され、学生たちの行為だけが国会法などを犯したとして裁かれてきた。このことには日本が未だ近代国家でないように民主主義以前のところにあることを示してきたのだ。日本は法治国家と言われるがその実態はこんなところである。
もう50余年も前の記憶を引き出したのは国民の意思の表現、あるいは行使ということを考えてもらいたいためである。経産省や原子力ムラは行政法の枠内で合法的に動いてきたかもしれないが、この間の原子力行政を国民の意思を代表して行ってこなかった。これは福島第一原発の事故後の対応に絞ってもいいが、彼らは国民の意思に基づく機関であるということに反する行為をやってきたのだ。原発推進と非民主主義体質(権力行使)がセットであったということは国民の意思に反した国家意思の行使をやってきたのである。原発事故が明るみにしたのはこの構造であり、これは何らの反省も改革もない形で続いているのである。原発問題は民主主義の問題であると言われるが、それは原発を推進してきた権力機構や権力体質の非民主主義的な性格の指摘であり、その変革が要求されていることである。国民の意思表示と意志表現ということがのシンボル化された行為がテントひろばの創出である。テントひろばの創出と保持は国民の意思の表現であり、民主主義の実現である。経産省の管理規則という法律を超えた法《憲法》的精神の実現をしているのであり、その点で管理規則などの法律で縛られるものではない。今の日本の政治に必要な民主主義が官邸前抗議行動も含めて実現しているのであり、この象徴的な灯は守られていかなければならない。
テントや官邸前抗議行動は日本社会の中で辛うじて実現している民主主義的なものであり、法的精神の下位に位置する法律の一片で潰されてはいけないものである。テントの防衛は真に民主主義的なものの防衛である。1960年以来、地下水脈のように存在してきた民主主義を守り発展させなければならない。テントを存続させる、官邸前抗議行動を存続させることにはこうした根本的なことがあるのだ。政治的な動きは不透明である。こういう時代だからテントや官邸前抗議行動は大事なのである。(M/O)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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