テント日誌特別版 7月22日の第2回口頭弁論を傍聴して(その2)

池辺幸恵(宝塚の平和のピアニスト)さんの傍聴記です。

■   今回「脱原発テントといのちを守る裁判」第二回口頭弁論に、関西から来て大法廷の傍聴をさせていただきました。その内容については前回のけしばさん等による詳細な報告に負わせていただきます。只一つ言うなら、大阪地裁もそうですが、東京も同様にこの狭い部屋が大法廷だなんて、司法の民主主義が粗末に扱われている証拠だなと思いました。

100人も入れない狭い大法廷なので、今回入れなかった300人ちかい人々のためのテレビ中継はあったのかしら・・・。民主主義が機能するには、まず公平な情報開示でしょう。そして三権分立はそれぞれが独立尊重されてこそ成立します。ところが日本では、三権は癒着してヒラメ裁判官でないと出世できません。国民を困らせる判決を出した裁判官が確実に出世しているおかしな司法なのです。

■   それに最高裁は書類審査だけだし人手も足りないのでどうにもあやしすぎます。国民の裁判員制度もなぜ殺人などの重罪を裁かせて一般の国民に過度の負担と人によっては恐怖さえ強いる理由は一体なんでしょうか。リンチがあたりまえの野蛮なアメリカを見習うとは恥ずかしいです。つまり日本はまだまだアメリカの植民地なのです。アメリカ陸軍の司令部を座間におき、空はいまだにアメリカ軍のものなのです。そしてアメリカ軍基地も賄いまですべてが日本持ちで年間約1兆円です。つまり民主主義どころか戦後65年アメリカの言うなりの悲しき日本なのです。この事態をほとんどの日本人は知らないのです。

で、この訴訟はまさに昨年、安倍政権が衆院選で勝ってからはじまりました。つまり安倍政権が息を吹き返すまではことあげしなかったのに、まさに奢る安倍軍国政府になったとたんの恫喝(スラップ)訴訟なのです。この裁判は、今の日本の社会の複雑な重構造を現しており、又一方原発をやめるか続けるかの単純明確な選択を国民にせまっています。「国民の意見の総意といえる 脱原発テント村 」 Vs  「国おかかえの軍需大企業群・御用学者とそれにむらがる 原発村」という国民対国家の対立の構図はあきらかです。それは「わたしたち99%の庶民大衆 Vs   1%の雲の上のお役人や賤民資本主義の強者・勝ち組」の対立でもあります。この裁判の行く末いかんで、これからの日本のすすむ道が平和か、戦争かに分かれるのです。ですから、日本の平和と核のない世界をめざすわたしたちは、この訴訟に負けるわけにはいかないのです。負けたら、まさに1%の資本主義者たちによる軍事独裁国家へとむかうのが目にみえています。

■  みなさん、この脱原発テント訴訟が”民主主義の砦”と言われているのは、まさにその戦いだからなのです。わたしたち国民が3.11以後おまかせ民主主義から脱却し、国民主権の今のうちに(安倍政権による自民党草案は国家主権の明治時代に逆もどりです)、わたしたちは、この貴重な主権をてばなさないためにも、気づいたもの一人一人が、この訴訟の当事者にもなって応援すべき訴訟なのです。

わたしたちは、国民主権と民主主義そして平和憲法を守るためにもこの脱原発テントを守りぬかねばなりません。昔から民主主義の発達していなかった日本では、つねに大衆は国によって人権蹂躙され、庶民は戦争により多大な損害を負わされてきました。赤紙一枚で戦争に駆り出され、兵士となって殺し殺されて、いのちと人間性を奪われる軍隊という暴力装置の歯車として国家により使い捨てにされてきました。 そして、ここでもうひとつ確かに言えることは、かつて戦争をした当事国どうしであっても、わたしたち大衆・民衆は、国家による被害者であり、ともに仲間であるということです。

■  それは、先日の2013年7月27日に韓国で行われた「停戦協定から平和協定へ」の国際シンポジウムと若者たち多数の参加による大規模なデモをみればよくわかります。当日韓国の若者たちは、デモに参集する前に地下鉄で”統一の歌”を大合唱しながらカンパをお願いしながらぞくぞくと集まってきました。その勢いのある様子に出くわして驚いたわたしは、韓国の若者の政治への熱意と真剣さに心うたれました。

ですから、今、このテント裁判は、戦争を生み出す国家の強者の論理に対して、仲間どうしが分かち合い・助け合い・手を結ぶという人間として当たり前の本性がわたしたちに求められているし、その新しい精神で対抗すべきだと思います。今回の参院選でもまたあらわにされたように、庶民がバラバラに主張するだけではなんの実もむすびません。経済よりいのちが大事、未来の日本と地球を憂うわたしたちにとって、これからは共生と理解、ともに協力しあえる新しい生き方を選択するときなのです。

■   今、1%の支配層によるわたしたち99%への弾圧が、この裁判でかくも明確にしかけられてきたことは、いよいよわたしたち社会のナベに強火がつけられ、わたしたちゆで蛙は今まさに煮上がり食べられようとしている危機的状況なのです。ですからこの裁判は、まさに今日本内部での  “アメリカ Vs 日本” の対立の構図をみごとに表しているともいえます。そしてアメリカの傀儡政権である腐敗し日本人の魂を失った自民党政権による、戦後の平和憲法と民主主義そしてわたしたち99%の庶民にむけたクーデターなのです。それはこの大政翼賛に堕した大手メディアを通じての洗脳であり、TPPをみても分かるようにアメリカによる日本の乗っ取りなのです。

さあ今こそ、この日本をアメリカの魔の手からのがれアメリカの頚城をはずすためにも、わたしたち一人一人がこの裁判の応援に結集すべきときなのです。みなさん、このテント裁判の当事者になって、周囲の人たち近所の人たちにこの国民としての真価が問われるこの裁判のことを伝え、分かってもらえる呼びかけをしてまいりましょう。

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正清太一さんの報告 第二回公判を終えて

テント裁判は第二回公判が103号法廷で行われたが、約90名の傍聴席のある地裁最大に法廷である。満員の傍聴者であった。前回に引き続き弁護団の答弁が私たちの主張をまとめる形で終わった後、告訴状の重大なミスを団長の河合弁護士が指摘した。それは、訴状に添付した証拠説明等の写真が私(正清太一)とは明らかに別人を指定していたことを指摘した。会場は一瞬、騒然となり、裁判長は『静粛』にと机をたたいたが、原告側は沈黙のままだった。裁判長の行為が顰蹙を買ったことはいうまでもない。

河合氏は、被告を取り間違えたこと自体、この訴訟は無効ではないかと指摘され、「原告はこのことを気付かなかったのかどうか」と追及され、原告側は沈黙のまま法廷は終了した。

国側は他の国有地の不法占拠を40数年にわたって放置したままである。(自民党の駐車場不法占拠で15億円相当)。こうした一方で国民の切実な要求には訴訟で対応してきているが、こういうことを許してはならないと考えている。既に690日を超える「座り込み」は、福島第一原発の被災者も含め、日本全土から訪問者があとをたたない状況にある。テントを参加し、支援する国民、あるいは世界の人々の声を無視し、原発再稼動をや原発輸出を強行しようとする政府の態度を許してはならない。