テント日誌1月27日版

経産省前テントひろば1807日後

月例祈祷会で経産省に向かい抗議の糾弾    1月21日(金)

今日は一日風が強くて難儀した。皆で経産省前まで行くとYoさんが待ち構えていた。荷を下ろしてから幟旗を取り付けたりバナーを張ったりするのだが強烈な風が吹いてきて思うように取り付けられない。そのため、幟旗の丈を短くして何とか風圧に耐えられるようにした。ここの所2~3週間ほど金曜日のみかもしれないが風の強い日が続く。冬型の気圧配置が続くとこの様になるのか?その上、風が冷たい、手袋を外してスマホを操作していると、指先が痺れてきてしまう。

今日はサンケン太郎さんにスマホでLINEの操作を教えることになっている。講師はYaさんだ。太郎さんはメールで発信した事が余りないようでキーボード操作がぎこちない。Yaさんが太郎さんの隣に座りつきっきりで講習を施す。その結果、優秀な講師のおかげでみるみるうちに上達し、トークは勿論のこと写真添付までこなせるようになった。あとは経験が課題を解決していくだろう。Waさんが手助けしてくれてグループ登録もしてくれた。これで諸連絡を簡単にできるようになった。

そうこうしているうちに、JKS47士のメンバーがやって来た。皆に挨拶をしている。この寒さの中だが彼らが、月1回の例会を行い、欠かさず行動しているのを見ると、そのうちに死者の訴えが通じるのではないかと思えてくる。念仏を唱え原発推進の政府や経産省、財界を糾弾する行動に共感するものを感じる。今日も太鼓を打ち鳴らしながら共に訴えた。

4時近くになったので経産省前から、文科省前まで移動して朝鮮学校への無償化を訴えてスタンデイングに参加した。今日から蔓延防止措置が実施されマイクなしのスタンデイングのみの実施と言う事だ。それでも北風の強い寒さの中、横断幕が吹き飛ばされないように、しっかりと手に持っての参加。20名を超える人々の参加で文科省前は熱い一角となった。 (S・S)

携帯カイロでしのげない厳寒の中、経産省に原発推進政策転換を求める 1月21日(金)

10時半から福島原発刑事訴訟支援団が、東京高裁前で東京高裁の裁判官に「現場検証を求める署名」を提出し、控訴審で現場検証と証人尋問を行うように声を上げ、昼に議員会館前でさようなら原発一千万人アクションがそれを訴える抗議集会を開催、テントひろばからも数人が参加しアピール。
経産省前に移動して冷たい風に耐えながら座り込み。経産省申入れ窓口に電話しても繋がらない。

福島原発刑事訴訟支援団のあと、Moさんがコロナ濃厚接触ゆえお休みの為サンケン太郎さんの「座り込め、ここへ」で経産省抗議行動を開始。Taさんがフランスの原子力発電所における鋼材強度不足など、Oさんが腐りきった霞が関特に経産官僚たちに人になってほしい、私から原発ゼロ再エネ100の会の会合から10万年先の生き物への負債である「核ゴミ」を資産扱いする出鱈目、Miさんが安倍・菅政権の誤魔化しを隠蔽する岸田政権批判、私から国政選挙で原発問題を争点化しよう、Hoさんがワクチン・マスク政策への批判。

「水に流すな」の歌と「放射能汚染水を海に流すな」コールを挟んで、Yoさんが核兵器・原発事故で被害が出ているのに「小型原発」等愚かな人間は人類滅亡を導くのではと危惧し人殺しを絶対やってはいけない、Siさんが通行人の反応から毎日のテント座り込みとこの経産省抗議をもっと知ってもらおう地域でも粘り強く頑張ろう、Kuさんが竹中平蔵など「脱原発」と言いながらもひどい政策を訴える人がいる、大間原発建設差し止め裁判と報告集会(1月26日)の案内、と続き「経産省・資源エネルギー庁よ嘘をつくな、…」とコールして終わった。 寒空の下、多くの参加者は首相官邸前に移動して「原発いらない金曜行動」に参加した。  (K.M)

ケロップ(@keroppu8649)さんがツイートしました
脱原発・経産省前テントひろば(金曜抗議)
風があります。かなり寒いです。指先が痛いです。現在の参加者は40名ちょっと。
国会が始まりました。岸田首相は原発を争点化したくないのだろうという観測です。
https://t.co/nca3708Y9G
https://twitter.com/keroppu8649/status/1484444610785341442?s=20
(ケロップ)

不思議なことはいっぱいあるが 1月22日(土)

Iさんが気づいた。今日は不思議な天気だ。雲一つない晴天は別に珍しくもないが夕方が近づくにつれ徐々に雲が増えるのが普通だ。撤収の時間になってもまだ雲は現れなかった。今日はTKさんが座り込みに参加してくれた。土曜日の座り込みのためだけに遠方から来てくれた。感謝です。

帰り道電車の窓からやっと雲が見えた。エアブラシですっと描いたような雲が三つだけ。いつもなら夕陽を浴びてくっきりと見える富士山が霞の中にぼんやりと見えた。不思議といえば原子力に欲や夢を求め、社会に不可欠だという主張のほうが遥かに不思議だ。   (O・O)

Sさん用の防寒具が必要だ   1月23日  (日)

曇り。風弱い。参加9人(早く来て早く帰る人、遅く来て最後までいる人、いろいろ含む)。F原、S本、E藤、S藤、S山、H野、古株のおじさん(名前失念)、Y口、はしゆきでした。座るとお尻が寒いので?立ったまま、話に花が咲いていました。

美智子さん防寒用の白いダウンジャケットがなくなってしまったとF原さんが困っていました。彼女は今日は来なかったですけれども。どなたかご存じないですか? 見つからなければ新しい防寒具が必要です。

N瀬さんは池袋のデモで不在。コーヒータイムに合流して、デモの様子を聞かせてくれました。

(参考資料)

1月22日または23日は世界同日デモの日です。世界同日デモとはドイツの市民団体が世界中に「自由・人権・平和」をテーマにデモを行うように呼びかけているものです。東京では「日本と子どもの未来を考える会」が主催し、23日に池袋で行うことになっています。今回は「緊急事態条項、改憲に反対」のスローガンを加えています。

北海道の人が地元の銘菓を送ってくれた  1月24日(月)

きょうは晴天だったので風のないところでは春みたいな陽気であったが経産省前は強い風が吹いていた。座り込み準備は担当者・常連さんが早く来てくれたので12時前に終えることができた。

座り込みに入った時点で相棒のSaさんが事務所からミニトラメガを持ってくるのを忘れたので終わりまで音楽を掛け捲った。私の方は何時もの反原発ソング2枚だったがOnさんが持参してくれたのは誰でも知っている有名曲のアレンジ集で実に面白かった、曲調が変わるとこうも印象が変わるのかと!先週は「放送禁止歌」の特集だった。何時も面白い物を探して持ってきて聴かせてくれて感謝です。

1時ごろスズメが沢山やってきて我々の目を楽しませてくれた。相棒のSaさんが数えたら28羽だった。(月)にこんなに沢山きてくれたのは珍しい。誰もエサをやらなかったからか30分ほどで農林省の方へ飛び去って行ってしまった。

Miさんから美味しいお饅頭を頂いた。我々が年中無休で経産省前で座り込んでいるとの話を聞いた北海道の友人が地元の銘菓を贈ってきてくれたとのこと。白餡と小豆餡の両方が入った生菓子で程よい甘さ皆で美味しく頂いた。

3時過ぎに女性がMiさんに話しかけていた。道でも聞いているのかと思っていたが、後で聞いてみると「今日は来ていない様だがいつもいるおばあ様はお元気ですか?」と聞いてきたそうだ。生憎きょうは風が強すぎて斎藤さんも諦めたのでしょう。

まるで雀の学校のようだった。 1月25日(火)

経産省前はそれなりの人通りであったが冷たい強風が吹いていたので皆さん足早に去っていきました。終わり頃に㈬規制庁抗議から来てくれるKuさんが来られ短い時間だったが何時ものように経産省批判を展開してくれた。きょうは福島・飯館村の被害者が訴えた裁判を傍聴されていたそうで短時間だが寄ってくださったそうです。何時ものように事務所への運び込み迄やっていただきました。本当に有り難う御座いました。(保)

上空に雲は多かったが、やや暖かい。12時前に座り込みセットの椅子、バナーなどの設置が完了した。多少の風が吹く昼休みの経産省前、座り込みメンバーはいつもの4名+1だったが、私たちの背後(車道側)から突然、100羽近くのスズメが経産省側の植栽めがけて飛んできた。彼らの約半数ちかくが、植栽のなかに据えられた「経済産業省」の刻石の約1.5Mほどの幅がある上面にこちらを向いて整列した。

以前にも、10羽程度のスズメがのんびりと日向ぼっこをしている様子は見かけたが、150cmに50羽だからほぼ3センチ間隔でギッシリと一列に並んだ。その様子はあたかもスズメの学校風(?)、それとも私たちテントひろばの「応援団」(?)のよう。歩道を行き交う昼休みの勤め人たちが何人も立ち止まって、スマホを構えてその姿を映していた。(EO)

テント跡の宣伝パネルは撤去されている  1月26日  (水)

座り込みグッズを運び出して、セットする時は曇っていて結構寒い。テント登番のOkさんが来る13時頃には陽がさしてきて暖かい柔らかな空気になる。当番のIさんは用事ができてバトンタッチして帰る。通りがかりの男性が立ち止まってバナーを見ていたので、チラシ類を渡す。男性は「私も原発反対です。風邪を引かないように頑張ってください」と言ってくれた。

ヨーカンさんと倉田さんと木村さんが規制庁から回ってくる。木村さんはアメ大前で、「米軍はコロナをまき散らすな」「日米地位協定反対」とシュプレヒコールをやったら警備4人が出てきたという。木村さんは大間原発函館訴訟の裁判に向かう。倉田さんは演説ののち、大間原発裁判に向かう。Inさんも大間裁判の前に寄ってくれる。

Oさんが「テントニュース」を持ってきてくれる。そののち、院内集会に向かう。9条改憲阻止の会の人たちが4人ほど寄ってくれる。三上さんからスナック菓子とみかんの差し入れ。なんだかんだと一時は賑やか。その後、3時半過ぎは4人。と、西部ユニオンの2人が裁判から抜け出して、テントの撤収の手伝いに来てくれた。ありがたい。今日は合計18人。

先週気づいたのだが、前にテントが立っていた所に、経産省は原発宣伝のための映像パネルを2つ立てていたのだが撤去されていた。更地になっている。一体いくらの金を「設置と撤去」に使ったのだ。ムダにムダを重ねても平気なのだ。なにから何まで許せない。(T・I)

福島の子供甲状腺鴈の原因認知を   1月27日 (木)

今日は風が強くいつもよりバナーを少なくしなければならなかった。

セッティングをしているとTuさんが「福島のこども甲状腺癌裁判」提訴行動に行く前に時間があるのでと寄ってくれた。まもなくSyさんもやって来た。

その後、通りがかった女性がさりげなくカンパをしてくれたのでYさんがすかさずチラシを渡した。1時近くにヨーカンさん・Tuさんが地裁に向かった。

その後Miさんも地裁に行く前にと座ってくれた。1時半過ぎに地裁行動に参加した人たちが緑の風船を抱えてやって来た。提訴にあたって風船を持って行進したそうだ。

裁判所が福島の子どもの甲状腺癌を放射能のせいと認めることを強く願います。そしてほとんど毎日来てくれる吉良サポーターのお二人も現れてにぎやかになった。Yさんは郵便局に行き何か所かにテント日誌を送り、小銭のカンパを入金したが手数料を取られたとこぼしていた。

何とも世知辛い世の中になったものだと思う。

2時になって後半の人が現れたので私とヨーカンさんは帰路につく。(I.K)

いつの間にか国会も開かれているが 1月27日(木)

かつて脱原発テントのあった跡地には経産省の宣伝パネルがあった。これには原発再稼働や推進の理由や根拠が書かれているわけではなかった。それは背後に隠されていて、再生エネルギーのためにこんなこともやっているというという話であり、広報だった。その宣伝パネルがいつの間にか、撤去され更地になっている。脱炭素社会へ産業構造の転換をという風潮に便乗して原発の推進ということが出てきているが、それに乗じて原発再稼働や推進のパネルに作り替えるためか。その前を通りながら、あれこれ想像をしているが、これはどうなのだろうか。多分、これは想像してのことだが、原発をめぐる世界的な環境の変化に便じようとする動きが経産省や官僚にはあるのだと思う。自民党の原発推進派のこの間の動きを見れば当たらずとも遠からずというところだろう。

こういう動きを見ながら、福島第一原発の惨事をなかったことのように始末してしまおうとする官僚や電気独占体、あるいは政府与党の面々には恰好のことなのだろうとはおもうが、ことはそう簡単にはいかない。やはり福島原発事故はそう簡単に忘れられることではない。「汚染水の海に流す」という問題一つでも明らかなように、忘れようとしたって問題は次ぎ次ぎと出てくる。忘れるということは人間の知恵の一つだが、この事態にはその知恵は働かない。忘れるよりはそれを記憶として温存するという知恵が勝って働くからだろう。官僚や電気独占体、あるいは政治家たちのご都合主義的にことは動かない。国民というか、市民や地域住民の原発事故から受けた衝動と「原発はいらない」という意識は記憶として保存されているし、政治的に変わらない。原発事故はかつてある首相が収拾宣言をしたことがあるが、依然として続いている。このこともあるが、原発に対す人々の意識は変わらず続いている。

これを現在的な意識としてだけではなく未来に続く意識として持続させることが大事なだけである。事故から受けた衝撃とそこから得た原発について意識をより自覚的な意識として進化させ意識的に持続させることが肝要なのである。それは脱原発や原発廃止という意思を持続させていくことであり、再稼働や原発存続(推進)に抗する運動を継続することだ。この体制との闘いは立花隆が言っていたが、ほとんどが負け戦としてある。その負け戦にまた抗っていくしかない。この細い道を経てしかことは成就しない。こういうことを考えると僕らの原発についての認識はどのように深まってきたか、反省としてでてきもする。僕は国分功一郎さんという哲学者が書いた『原子力時代の哲学』を想起するのだが、これについての書評がフアイルに保存されているので添付しておきたい。(三上治)

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経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その191

効果不明、溶ける凍土壁、隠す東京電力 ~「凍土壁」を制御できずそれを隠す東電に汚染水海洋投棄を許してはいけない~

2022年1月27日 木村雅英

トラブル続きの凍土壁、隠す東電 

またまた東電福島第一原発の凍土壁でトラブルが発生した。次の記事をご覧いただきたい。

<福島第1原発の凍土壁でまた冷却液漏洩、地下水流入で一部融解も

谷川 博 日経クロステック/日経コンストラクション 2022.01.24>

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00142/01193/

<福島第1原子力発電所で、原子炉建屋への地下水流入を防ぐ「凍土壁」でトラブルが相次いでいる。地盤の凍結に必要な冷却液が漏洩した他、地中の温度が上昇して一部が解けた。今のところ、遮水性は維持されている。

凍土壁は、トンネル工事で使う凍結工法を用いて造成した。1~4号機を取り囲むように、約1m間隔で配置した地中の凍結管に、ブラインと呼ばれる冷却液を巡らせて周辺の地盤を凍らせる。凍土壁の延長は約1.5kmで、凍土量は約7万m3。2016年3月に凍結を始め、18年9月に作業を終えた。造成に投じた国費は約345億円に上る。

東京電力によると、22年1月16日午前5時ごろ、担当者がブラインを入れたタンク2基の液位が前日よりも低下している状況を確認。タンクの液位データを見ると、午前2時30分ごろから1時間に1cmほどのペースで下がっていた。
……>

 昨年から続く凍土壁トラブル

凍土壁トラブルは実は昨年から続いている。木野龍逸さんが昨年末に書いていた。

<効果不明の凍土壁の“機能維持”とは何か―遅れた公表、今になっての追加止水計画 (岩波科学2022年1月)>から紹介する。
・東電は8月下旬頃に温度上昇把握、9月中旬に0度を超えた状態が継続、10月13日に水が溶けている可能性を確認。

・ところがこのことを発表したのは10月28日の中長期ロードマップの進捗状況説明時。当然記者から公表遅れについて何度も質問。

・11月になるとまた温度が上昇し、最高で13.4度になった。温度が上昇した原因は12月2日時点でもわかっていない。

・国費約350億円をかけておきながら効果が不明。

・2019年には、凍土壁を通過する地下水量が1日250立法メートルと試算。

頻繁に凍土壁トラブルを起こしながら、それを隠して発表を遅らせ、その後も次々トラブルが頻発しているのだ。寿命7年と言われる凍土壁を開始して約6年、未だに制御できない東電。

こんな会社に130万トン近くの放射能汚染水の海洋投棄を許したら、何をするか分からない!

川内原発現地闘争メンバーからのお願い (意見広告運動に参加を)

無沙汰しています。

小生、現在鹿児島県薩摩川内市で川内原発1,2号機期の廃炉を目指し活動しております。

突然ですが、御協力頂ければ幸甚です。

チラシを添付します。ご連絡頂ければ何枚でも構いません。お送りします。

ご家族、友人、隣近所などへ配布願います。

宛先 メール houraijyuku@gmail.com

TEL  090-5339-2243

住所  895-004 鹿児島県薩摩川内市木場茶屋町8153-2

脱原発川内テント・蓬莱塾 江田忠雄

 

●2月2日(水)日本原電本店前抗議行動 17時~17時45分

●2月2日(水)東電本店前抗議行動 18時30分~19時30分

●2月3日(木)「アベ政治の継続を許さない」13時国会正門前

●2月4日(金)経産省抗議集会(毎週金曜日)

17時~18時 経産省前テントひろば