テント日誌11月11日版

経産省前テントひろば1807日後

選挙で出向いていたメンバーも戻り談笑 11月5日(金)

今日の天気はほぼ快晴に近い。木陰に行くとやや肌寒い。季節は確実に冬に向かっている。ただ、まだまだ、身体を動かすと薄っすらと汗をかく。今日の当番はフルメンバーがそろう。みんな元気である。選挙などで、皆、あちこち出向いていたようで、選挙も終わり、久しぶりにのんびりした座り込みが出来たようである。今日は椅子が大11脚と小4脚、幟旗3本、バナーが大小合わせて6枚出せた。

座り込みをしていたら、聞きなれない電話の着信音が聞こえて切れてしまったので、こちらからかけ直したら、DVDのことだった、11月2日の東電裁判の折に時間があったので寄ったら、触り込んでOgさんと話をしていてニュースをもらい、その折に裏面の記事にDVDが100円と出ていたので、気になったので電話をしたとのことだ。ドン・キホーテのことについて話をし、内容は確かなものであることを伝えると、きょう、もらいに行くけどいいか?と言う事で待っていたら、2時半ごろやって来て購入してくれた。おまけにカンパまで頂いた。

その後レジェンドSさんのことでKaさんから電話があり、お嫁さんからの連絡で、Sさんが家から出て行ってしまったのでもし、こちらに来たら、暗くならないうちに家に帰るように伝えてほしいとのことだった。そのあと、Ⅰさんからも電話があったり、Obさんも到着早々Sさんの事どうなっているのか聞かれた。高齢のため、家族も、知人も心配なのだろう。無事に家に帰り着くといいのだが、後で、だいぶたってからKiさんがお嫁さんに電話したら家に帰っていたと言うので皆一安心であった。

その後イロハの女性たちの姿が見えないのでどうしたのか、さっきまでいた辺りに行ってみると、何やら、座り込んでビニールの袋に物を入れていた。どうしたのか尋ねるとプラタナスの木の根元にたばこの吸い殻他、塵を大量に発見したとのこと、不埒者がこんなところに塵をまとめて捨てたようである。WaさんとMaさんとWaさんの三人で処理して綺麗にしてくれました(三人にありがとう)。  (S・S)

安倍・菅「壊憲」政権を倒せなかった衆議院選、それでも原発は止めさせる 11月5日(金)

斎藤美智子さんは家を出て座り込みに向かったが途中で引き返したそう。身体は大分回復している様で電話ではとても元気ではっきりした声。

Moさんの3曲の歌で抗議行動開始。多くの選挙総括と脱原発アピールが続いた。Yoさんが、維新の伸長、COP26の「化石賞」を憂いた。日本は「核推進賞」をもらってもいいかも。もうひとりのYoさんが、広島地裁伊方差止訴訟却下の記事を紹介、原子力規制委員会の基準地震動の甘さを糾弾、原発再稼動を糾弾。 低い基準地震動を定めた島崎邦彦元原子力規制委員会委員長代理を糾弾。

Miさんが、連合会長の野党共闘批判を糾弾、組合の限界、立憲民主党は連合頼りでなく「国民」と共に戦うべき、原発問題・憲法問題から逃げてはいけない、与党も多くの矛盾を抱えている。次の参議院選挙で憲法問題・原発問題を突きつけていくべきだ。「今だけ、金だけ、自分だけ」の人や組合や団体に騙されてはいけない。

Inさんが、韓国の反原発運動は温排水問題から開始、両国で原子力マフィアが政権に圧力。世界の反核・反原子力の運動に。Tiさんが、立憲トップが本気で闘ったか、マスコミの市民・野党共闘批判は御用報道だ、小選挙区で野党一本化しなければ勝てない、立憲民主党が比例区で票をとれなかったことが敗因。原発生き残りしか頭にないエネルギー政策批判、供給だけ考えていてはダメ、再エネへの過渡期にエネルギー効率向上が必要、今のエネルギー基本計画は原発を残す為の愚策。

Hoさんが、残念な選挙結果は、立憲民主党の問題、海江田万里批判。今こそこの金曜日の経産省抗議行動で原発を終わらせよう。参議院選挙で勝とう。

久方のKaさんが、懐かしい・嬉しいと挨拶。企業が永続性・継続性を考えており、木を植えよう。森林を育てる政策でCO2を余計に排出しない。木を植える政策が雇用を生む。木材で高層ビルも建つ。原発は要らない。Asさんが、ここに座込んでから10年、我々を含める大衆運動の持続が大切。決して負けていない。改憲勢力に断固として戦っている。脱原発運動がその中に位置付けられる。汚染水排出・東海第二再稼動を止めよう。今が分かれ目。原発稼働を抑えていることを確信し、改憲勢力2/3超えの状況の中で、反原発・反改憲の運動を続けよう。最後に、命を守れ・地球を守れ・未来を守れ…のコールで終わる。参加者は計38名。

原発推進も火力発電増設も電力会社のためだ 11月6日(土)

今週も好天に恵まれ眠気を催すほど暖かかった。とはいえ衆院選の結果や広島地裁(吉岡茂之裁判長)の伊方原発3号機運転差し止めを求めた申し立てを却下する悪質な決定を思うと目が覚める。原発推進も石炭火力増設も電力会社のためだとあからさまにわかってしまう。原油価格の高騰や冬季の電力逼迫などは企業努力の問題。

とはいえ、いつもの通りスケッチブックに集中し静かな時を過ごした。

○公正な裁判と公平な税制

このふたつが政府が民衆の指示を得る条件という。選挙結果を考えると国民にはストックホルム症候群の人が大勢いるとしか思えない。だいたい食肉加工会社を応援する牛豚鶏なんて想像つかないね。  (O・O)

結局代り映えしない政権が続く 11月7日(日)

総選挙から1週間、日比谷公園で集会があるためか、右翼街宣車の通過が多数、警察の対応もそれなりに厳重。座り込みの交差点は時々通行止め、はとバスも迂回。総選挙から1週間、代わり映えのしない政権が続く。本当に国民の多数に支持を得られているのか、謎。金をばらまけば票が集まるって、これでは第三世界並だ。選挙は、選挙の結果だけがすべて。何だかんだ言っても、とにかく勝ってしまえば「白紙委任状」がもらえる。それが、この国の「民主的」選挙らしい。後は何をやってもOK?勿論改憲も?

本日の参加者は、常連の自転車「兄弟」は欠席、F原、S本、X(氏名、あだ名不詳)、M島、H江、T、K、H本、Y脇、私。N瀬は遅れて事務所の顔を出した。(T崎)

廃炉作業場についての鋭い問い掛けがあり 11月8日(月)

今日は私用で午前中に行けないので相棒のSaさん一人にやってもらった。午後1時過ぎに経産省前に着いた。座り込みに参加していた人たちに挨拶して反原発ソングを掛けた。

簡単な昼食を済ませて間もなくテントの携帯に電話が掛かってきた。誰だろうか?と思って電話をとるってみると国会前で座り込みをしているKaさんからでした。Kaさんの連絡を聴いて驚いた。「今ここに齋藤美智子さんが来ている。誰かから電話が来たら伝えて、私が責任を持って送り届けるから、と」。この間から「駅近くまで行くがもう少しの所で断念した」という話を聞いていたが半分疑っていた私。とうとうこういう日が来たか!来ることはできるが一人で帰るのは大丈夫か? 暫くは我々が送っていくしかないでしょう。

初めて来られたのに高額カンパしてくださったℍさんに感謝です。12時ごろに来られてMさんといろいろな話をされていた。テントのことは聞き知っていた。しかし今の反原発運動には不満がある、それは廃炉についての掘り下げが足りない!廃炉と言って終わっている。廃炉作業は過酷!である。そこをキッチリ分析して提起してほしい。今のところではなかなか難しい問題だ。

今の東電の計画でやっていけるのか? 大いに疑問が出ているのも確か。未だに地下水の問題を解決出来ていない。人間が生きられないほどの高線量の大量の廃棄物をどうやって低線量化して分割保管していくのか目途が立っていない。チェルノブイリのように鋼鉄で覆ってしまう方が早いのではないかともいわれている。今日の座り込みは一時的に小雨が降ったが大方は気温20℃、風も穏やかで楽であった。(保)

明日からは晴天になるようだ 11月9日(火)

午前、昨晩からの雨が降り続くなかをレインコートを着て傘をさして虎ノ門に向かった。事務所では、Yさんが古いパラソルの穴を塞いで雨対策をしていて、それらを幟旗や椅子などと共にカートに積んで出発する。雨の中を経産省前に着くと、そこにはOさんが待っていて、3人で椅子と横断幕等を並べて12時丁度に完了した。雨は時々強く降ってきて通行人はまばらだったが、裁判所に向かうO弁護士が自転車で通りかかって挨拶した。それ以外には、3人が交代で食事に席を外したが何事もなかった。2時から交代のAさんがやってきたところで雨の中を帰宅すると、雨は止んでいた。明日からは晴天が続くようです。(EO)

山本太郎を励ます集まりがあり     11月10日(水)

暖かな日でよかった。セッティングをはじめて少ししたら隔週で水曜日の当番に入っているIさんが来て手伝いだした。Iさんは今日は山本太郎がはじめて登院する日で、山本太郎を励ますために国会に集まろうという呼びかけがあったので来たそうで、少ししてから国会に向かった。

男子高校生の集団が通りかかり、トリチウムの化学式はなにかなどと聞いてきた。重水素なのでH3Oだと答え、トリチウムの海洋投棄反対、原発反対を少し述べた。と、そのうちの一人に対して「こいつは原発反対だよ、話を聞かないとなー」と彼らの中で確認していた。

Obさんが来てアレコレ話した。野党共闘は多くを期待できないが藁をもすがる気持のあらわれだと言われた。倉田さんはいつものように規制庁抗議から回ってきたが、今日は規制庁にまた、「日の丸」を持った右翼が来て、「ジジイ原発は必要だ、行動をやめろ」と付きまとって妨害をする人のことを話した。倉田さんも選挙について演説した。若い人が選挙に行かない、行ったら自民党に投票するという現実は、若者がやっぱりもの事について深く考えない、思考しない風潮で、それは家庭で政治の話をしないことにあるじゃないかと言っていた。

月曜日の日誌に保ちゃんが斉藤美智子さんが国会に来たことを書いたので、斉藤美智子さんは今日来るのかときらきら星の2人がきた。月曜日は、結局、Kさんが美智子さんを地下鉄にのせたら、もう帰れるからといいと言われ、一人で帰ったそうだ。通りがかり女性が足早に近づいてきてサッとカンパをしてくれてサッと去って行かれた。経産省から出てきた人がこっちを向いてニコッとした。こっちもニコッとした。それでいいのだ!   (T・I)

智恵子の言っていた阿多羅山のような青空 11月11日(木)

雲一つない青空、何故かその青さが際立っていて智恵子が言っていた阿多羅山の空に匹敵するのではと思えた。
ちょっと汗ばむほどの暖かさの中セッティングが終わると昼食に出かけるのかコロナ前と変わらぬ人通りだった。
通りがかりにカンパして下さる人がいてチラシを渡すと頑張って下さいと言ってくれ嬉しかった。
やっと人通りが途絶えて写真を撮ろうとスマホを開けてびっくり、瀬戸内寂聴さんが亡くなったと言うニュース。
つい先日まで朝日新聞にエッセイを書いていらしたのに・・・・
12年5月のテントハンストの時来て下さったことを思い出した。
今日はいつものメンバーがお休みで寂しかったが、吉良サポーターの人が来てくれて良かった。

瀬戸内寂聴さんが亡くなられて 11月11日(木)

時折、出掛ける『TUTAYA』にはコーヒ店も併殺されていて、本も自由に読める。持参して行った本に少しあきると、佐藤愛子さんや瀬戸内寂聴さんの本を手にすることが多い。読みやすいし、面白いのだが、その度に高齢な女性作家のお旺盛な活動に感嘆する。彼女らは100歳に近い。男の高齢な作家や批評家で彼女らのように書いている人はみない。これは何だろうと思いながら、彼女らの本を読んでいるが、佐藤さんの本は直接、政治や社会のことをとりあげているのではないが、時代に対する批判も散見される。瀬戸内さんは小説・エッセイから政治的発言まで多彩なのだが、彼女の作品を読むたびに励まされるかホットするところがある。瀬戸内さんは僕らが経産省前テントを張っていた時に駆け付けてもくれた。懐かしい。その瀬戸内さんが亡くなられた。百歳まであとすこしというところだったし、そこまで生きるだろうと期待を込めて消息をうがっていたのだが、残念である。人が直接に触れあうことは僕らが想像する以上に大きなことでるし、それができる機会がなくなったことは大変つらいことだ。でも瀬戸内さん僕らの中で生きてあるだろうし、窓を超えてすうーとやってきて自然に対話していることになるのだろうと思う。

少し前に亡くなった立花隆がその遺稿作で次のように言っていた。「●有効性を求めすぎてはいけない。●運動なんて99・9㌫は負け戦●あきらめずに負け続ける●継続こそ力」と。また、自分の意思を持ち続けろとも言っていた。瀬戸内さんも言葉にならぬ言葉でそんなメッセージを僕らに送ってくれていたように思う。在りし日の瀬戸内さんを思うたびに僕はそんな声を聴いてきた。瀬戸内さん、さようなら、そしてありがとう。 (三上治)

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11月19日(金)経産省抗議集会(毎週金曜日)

17時~18時 経産省前テントひろば

11月19日(金)総がかり行動 第二衆院会館前 18時30分~

11月21日(日) 脱原発青空川柳句会 12時~

経産省前テントひろば 選者:乱鬼柳