テント日誌11月15日…いつのまにや総選挙かよ、党利党略の選挙なんて

経産省前テントひろば1162日 商業用原発停止425日

いつのまにや総選挙かよ、党利党略の選挙なんて…

 先週は泊り明けに川内の方に行ったので結構きつかった。若かったらなぁと思ったりしていたのだが、それにしても久見崎海岸に頑張っている面々には何と言っていいか、頭がさがる。僕は時々しかいけないが、可能な人は出掛けて行ってもらいたい。あるいはカンパなどをお願いしたい。これから北風が強くなると言われている砂浜にある川内原発を見あげていたが、それがあるだけで大きな力であると思う。僕らはその砂浜に立つだけで多くの想像を喚起される。長い歴史と人間の営んできた世界について、あるいは未来についての想像をよびさまされるのだ。百行の優れた書き物も、一行の行動に如かないというところがある。これは人間的な想像力の問題である。そんなことも思い知らされることもあるにちがいない。

川内原発再稼動にお墨付きを与えに行った宮沢経産大臣の言動には首を傾げた。それをよりどころにして同意をした鹿児島県の伊藤知事の声明にもこれはなんだとびっくりした。自分の言葉というか、自分の身から出た言葉になっていないのである。例え再稼働賛成でも、血が通ったものであれば、僕らにも考えさせるところがある。それがあるはずだ。何もないじゃないか、これはとうんざりしていたら、いつの間にか衆院選挙の話が進んでいるらしい。アベノミクスとやらの経済政策の破綻がはっきりしはじめた今、幻影が少しでも残っている間に手を打ちたいと言う魂胆だろう。野党がだらしのない今という思惑もあると言える。党利党略の選挙だろうが意外な結果が出てくるかもしれない。民主党政権の反動は安倍を生んだ。安倍政権への反動がどのように出てくるか。

さて、今日はテント日誌に対する寄せられたものを取り上げたい。原発のことを思想的、あるいは理論的に深めていきたいということは賛成である。 (三上治)

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◎山村貴輝さんからの提言

皆さん、おはようございます。今日の配信された【テント日誌】は問題を投げかけていると思います。実は我々テントがなぜ原発に反対するのかと言う基本的なことについてきちんとした議論をしていないのではないか、と思います。つまり、我々がテントに結集する前提として「原発政策に反対する」ことが前提となり、その前提の中身について「最大公約数」的な確認事項を文言化してはいないことが外部からの「質問・議論」に対応できないのではないか、と思います。また、個人的な意見での対応も良いのですが、その基本には「テントとしての反原発の論理」と言うものが必要だと思います。

そこで、「理論小委員会」のようなものを運営委員会管轄のもとにメンバーを決めて立ち上げて、論点を絞り5・6ページのリーフレットを作成することはどうでしょうか。原発の核との関係での基本的問題、燃料費と経済性、地球温暖化との関係(私はCO2が地球温暖化の原因であるとか、地球温暖化がそもそも進行しているのかとか、北極の氷床後退の原因が温暖化と関係あるのか、とかには疑問です。地球物理学的には小氷河期に向かっていることが証明されている、と思います)とか、の内容を多くの原発本、たんぽぽ舎の関係本やパンフレットを叩き台にして作成するということです。以上、ご一考くだされば幸いです

原発稼動は犯罪 さいたま市 石垣敏夫さん

みなさん、 Kimura-m さん
お世話様
テントひろばのみなさん
論客相手にお疲れさまです、
でも大切なことですね、
原発稼動は死の灰(使用済み核燃料)生産を含め犯罪である、と国民・世界全体が認識することですね、
ヒロシマ・ナガサキ・フクシマでそのことを私たち日本住民は直接学ばされたことですから。

奈良在住のK氏

奈良の帝塚山は秋の音づれを紅葉の鮮烈な橙で伝えてくれる。能因法師の「嵐吹く竜田の川のもみじ葉は三室の山の錦なりけり」が脳裏に霞む。原発の再稼働には未来型の国家ビジョンが残念ながら欠落している。港区では豚骨は堪能したが豚骨の本場で住民自治から反骨すら生まれにくくなる地域経済の「圧倒的な非対称」が存在するのである。さながら中央が地域経済への補完を「紐付き」でなく実施すると同時に自らが住む地域に無ければ良いと思う存在は地方に押し付けない「思い遣り」を持てばいい。当にノーブリス・オブリージュだ。例えば、奈良帝塚山の東に学園大和町がという町があるが住民が葬祭場の建設に反対している。人は誰しも死んだとき葬祭場の世話になる。私のように死んだら、遺灰は海にでも撒いて欲しいという人間には葬祭場は不要だが学園大和町の住民では少数派だろう。では自ら死したときに必要不可欠な施設を他の町に押し付けることになる。札束に物を言わせて解決するのは滅相も無いし、自らの生命活動の尻拭いは自ら責任を持って行う「循環型地方自治」が理想的だ。葬祭場が要らないなら、コンベンション・ホールや教会等代替施設を完備すればいい。我が町の「葬祭場」だ。原発の如き存在は補助金行政にすると目も当てられ無い歪曲した弱者保護になる。夏目漱石が「日本の文明開化」で述べたように、富士山があるから日本は世界一だ、一等国だでは話しにならない。「循環型地方自治」を完成させるべく紐付き補助金行政は止め、野菜等農産品のみならず、廃棄物や忌み物も「地産地消」とすべきであろう。さすれば、経済団体や米国の思惑を越え未来のフロンティアを切り開くべく循環型エネルギーにシフトに向かうのが必然的になる。能因の歌のように紅葉は、嵐に散ろうとも、尚、三室山の旬の絶景を伝えているのだから、死を忌むことは無い。能因の情緒をいまこそ地域が、否日本が、否世界が必要としていると言えませう。(いつもいろいろと書いてきていただいています)。

岐阜 近藤ゆり子さん

いつもテント日誌の配信、ありがとうございます。

>彼女は群馬県の人で山場ダムの事で振り回されて

 んんん・・・”完成”されてしまって活動休止でありながらもなお「徳山ダム建設中止を求める会事務局長」を名乗っている(多分、ブログ*の名称のため)ワタクシメとしてはやはりツッコまざるをえません。

 ”やんば”は「八ッ場」です。

「山場」はちょっと酷すぎます(もちろんタイプミスか変換ミスなのでしょうけど、やっぱりミスとして「問題」)

 1990年代前半、岩波書店が萩原好夫著の「八ッ場ダムの闘い」を出版した当時、これを「やんば」と読める人は首都圏でも少なかった。

首都圏の(東京や埼玉や・・・の)人々の水需要を満たし、カスリーン台風にような被害をなくす、というお題目で、すでに40年近く、地元の反対を潰しながら「ダム」を押しつけてきていることに、首都圏の人々は無自覚で無知だった。

 ゆえに、岩波書店はこの「八ッ場ダムの闘い」本を出し、岩波書店が出すことであたかも”萩原好夫”氏がダムで水没させられる人たちの思いを集約したものであるかのようにされてしまった。

(この噴飯モノ本を推奨したことと、2008年の京都でのある会議での振る舞いを見て、”宇沢弘文”なる人物は、実は相当に底が浅いのではないか、と評価してしまっています。)

 * 今は、「岐阜県警が中電子会社に住民運動潰し指南」関連記事がメインになってしまって、なかなか「ダム・河川」に戻れない状態ですが。

カテゴリ:ウィンドパーク南伊吹  http://tokuyamad.exblog

これは僕がやん場ダムとしてあったI・Kさんの原稿を漢字にしよとしてすぐには思い付かずあとで調べようとして山をあてておいたのがそのまま配信されたミスです。途中で訂正したのですが、一部の方にはそのままでした。I・Kさんごめんなさい。お詫びと訂正いたします。近藤さんありがとうございます。

今回は山場を迎える裁判のことをお伝えしょうと思ったのですが、別のことになりました。早い機会に裁判をめぐる動きをお伝えいたします。(三上治)

川内原発テントの連絡先

<連絡先> 脱原発川内テント 鹿児島県薩摩川内市久見崎町久見崎海岸(郵便物は久見崎簡易郵便局留)Tel 090-3919-0604(渕上)090ー3202-7897(小川)090-7276-9035(福田)090-5339-2243(江田)
e-mail sendai.tent@gmail.com ブログ http://sendai-tent.tumblr.com

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<テントからのお知らせ>

11月16日(日)原発事故被害者集会 

・福島市公会堂 13時30ˆ分~16時30分

・被害者の証言 ゲストスピーチ:おしどりマコ&ケン うた;きたがわてつ

12月3日(水)15時 テント裁判第9回口頭弁論《103号法廷》

・午後2時 地裁前集合 抗議集会

・午後3時 第9回口頭弁論

・午後5時 裁判報告集会(参院議員会館講堂)

・発言: 川内現地報告 勝又美佐子(原発いらない福島の女)河合弘之他